83歳とソルティドッグと大阪の夜
大阪に住むようになって5年目になる。
最初は捲し立てるような関西弁にはビビったし、
梅田では案の定迷子になり商談に遅刻したし、
仕事で車を運転してみれば、環状線の車線変更ができずにぐるぐると回り、半べそになりやっぱり商談に遅刻した。
それでも5年も住めばいろんな出会いがあったり、別れがあったり、この大阪を舞台に世界の端っこの私の物語も山あり谷ありで更新し続けている。
そんな今の私の舞台の大阪で、
大阪の人たちと話しているとある程度会話が弾むとどんな人でも必ず聞いてくる質問がある。
「普段どの辺で飲んでんの?」
という言葉である。
この質問が出てきたら、戦闘開始。
うまくいけば、相手を飲みに誘えるかもしれないし誘われるかもしれない!
そして、この質問から始まり大阪に来たばかりの頃の私は、いろんな人に梅田の迷路のような駅ビルや、上本町のはいはいタウンや、天満なんかに連れて行ってもらい少しずつ飲み方や、大阪の歩き方を覚えて行った。
大阪の人はみんな自分のお得意の街があって、
「梅田ですねー」
なんて答えたら、
「お、梅田のどの辺?俺も仕事場梅田やからええ店あったら教えてや」
なんて返ってくる。
はたまた
「なんやキタばっかりか。それやったら今度ミナミ行こ!キレイなばっかりじゃあかんわ!
舟場の方いこ、おもろい店多いで〜」
なんて返ってくることもある。
私はこのやりとりが何よりも好きで、
みんな自分のお得意の街をお勧めしてくるのが、繁華街といえば一つしかない街から来た私からすると新鮮で面白くて、憧れた。
そんな私も大阪5年目になり、そろそろ
「私ですか?そうですねー、よく行くのは〇〇あたりかなあ」
なんて、なんてことないみたいに言ってみたくなってきて夜な夜な大阪の街を探検するようになった。
勇気を出していろんなお店に飛び込んで、
時には場違いなお店に入っちゃって会計にビクビクしたり、はたまた大外れを引いたり、
はたまたたまたま隣で飲んでたおっさんたちに二軒目に連れて行ってもらったり、仕事での悩みを見ず知らずのお兄さんやお姉さんたちに聞いてもらったり。
いろんなことがあったけど、そんなこんなでいろんな冒険を経て見つけたのが谷六のパブだった。
私の夜の探検の相棒と、あてどなく家の周りを徘徊しているといつのまにか谷六についていて、古民家を改造したパブを見つけたのである。
パブの前にあったクリームソーダーの看板に引き込まれてとりあえず入ってみると、灯油ランプのオイルの香りがほのかに香りが古民家の木の匂いと混ざりあう空間の中でやかましくもいろんな人たちが好きなことをやかましく楽しそうに話している雑多な雰囲気が心地よかった。
そこで2人して「大人のクリームソーダー」というものを注文してみると、本当にクリームソーダがでてきてなんだか童心に帰って大笑いしてしまった。
おしゃれで、素敵な空間なのにノリはゆるくて、入りやすくて。
私はこのパブが大好きになり、ここを起点に谷六を探検するようになり本当にいろんなお店に出会った。
美味しいお好み焼きやさん、
アメリカ人と日本人でやってるアメリカ料理屋さん、
美味しい美味しいハンバーガーショップ、
古民家を改造したスパイスカレーの名店、
田舎フランス料理の一品料理を出してる無口なおじさんのお店に、
ピンク色のバイスサワーを飲ませるチャーシューエッグが美味しいカウンターの居酒屋に、
気さくなおじさんがやってる始まったばかりのタコス屋さん、
それから落語好きなおじさんがやってる本格的なロシア料理店で食べた絶品のボルシチ。
気がつけば毎週末通い詰めるようになった谷六ではたくさんの出会いがあって。
ワインバーのカウンターに座って文化人なオトナの会話にドギマギして混ざってみたり、
少し無愛想なバーテンダーが営む古民家のバーで勇気を出してお酒について質問してみたり。
自然と例の質問にも、
「いや、私は絶対に谷六派ですね。
めっちゃ素敵な店が多いですよ!」
と答えるようになり、私にも得意な街ができたのである。
そんなある日、83歳になる祖母がはるばる九州から大阪にやってくることになった。
祖母は、もともとは京都の大きな商人のお嬢さんで、自衛官だった祖父と結婚して転勤に転勤を重ねて、最後に祖父の故郷の九州に根を張って人であり、祖父が亡き後も九州に暮らし続けている。
この祖母は、その世代の人としては珍しく四年制の大学の国文科を卒業していて、文章を読んだり書いたりするのが好きで、短歌の会に入ったりエッセイを書いてみたりそう言うことを積極的に行なっている人だ。
医者や薬剤師などの理系ばっかりの家族や親戚の中で唯一の文系人間で、高校の時にあまりにも化学と数学の成績がひどい私をみて
「かわいそうに、おばあちゃんの頭が遺伝したんやー!ごめん蒼子ちゃん〜」
と真剣に悲しんだりしてきた。
だけど、もしそうだとしても祖母は私の書く文章や、日記をすごく楽しみにしてくれていて、
京都の大学の国文科への進学が決まった時も、
医療職の両親が「就職は大丈夫だろうか?ちゃんと教職だけは取りなさいよ」と心配する中で、
「蒼子ちゃん、よかったなあ。
おばあちゃんといっしょやんー」
と無邪気に喜んでいた。
九州の田舎で、優雅な昔の京都の商人の操るような美しい上方弁を操り、たくさんの本に囲まれて、素敵なお洋服が大好きな私の自慢の祖母。
私が都会の企業に就職を決めた時、
「ええ時代やねえ。おばあちゃん、昔は新聞記者になりたかったんよ。
高いビルディングの街をピンヒール履いてパンツスーツ着て、かつかつかつって歩いてみたかったんや。
蒼子ちゃんは、おばあちゃんの憧れよ。羨ましいって思ってるけどそれより嬉しいわあ。嬉しいことこの上ないわあ」
と涙ぐんで喜んでくれた。
そんな祖母が今回はなんと京都で大学時代の同窓会があるということで、そのついでに大阪に寄りたいと言うのだ。
母も一緒に来ると言うことでもちろん快諾して、
さてどこに連れて行こうかと頭の中をぐるぐる考えた。
そして、2週間前祖母は祖母らしくいつもよりかっこいい服を着て新大阪の駅に降り立った。
一緒にいつも仕事帰りに行く梅田の駅ビルの餃子屋さんに行った。
ここの餃子屋さんは、ニンニクを使っていなくて、すだちと岩塩をかけて食べると、びっくりするほどに美味しいのだ。
私が大阪で見つけた大好きな大好きなお店で、そんな大事な場所全部に祖母を連れて行きたかった。
九州で、車の免許も持たない祖母はあまり飲み歩いたりした経験もなくて、
大阪の飲食店が大量に立ち並び、仕事帰りのほろ酔い気分のサラリーマンたちが闊歩するその雰囲気すらも珍しいらしく圧倒されていた。
「偉いところに来てしもたわあ。
蒼子ちゃん、こんなところでご飯食べるのん?」
と不安そうにしていたけれど、ひとくち餃子を口に入れた途端にそんな不安は吹っ飛んだらしくパクパクと餃子をほおぼり、
「いやっ、おばあちゃんこんなに美味しい餃子食べたの初めてやわあー。」
と、満足げに微笑んだ。
母から祖母の食がだいぶん細くなったと聞いていたのでそれを考慮して注文したのに、私の分のものまで平らげた祖母に目をまん丸にする私と、
「お母さん、蒼子の分まで食べちゃって」
と嬉しそうな母。
私も食が細くなったと聞いていた祖母がこんなに食べるなんてと嬉しくなって、追加の餃子を注文して。
なんとも幸せな時間が流れて行った。
それでもその餃子はあくまで前段で、
今回私は絶対に祖母を谷六に連れて行きたかったのだ。
というのも、
この前祖母が母と居酒屋に行った時に、
「ハイカラな飲み物を飲んでそれが美味しかった」ということを聞き、そのハイカラな飲み物がハイボールであったことを聞いたのをきっかけに、祖母が結構お酒が好きなことを初めて知ったのである。
母が言うには、近所のスーパーで焼酎とか梅酒は買ってきてちびちび飲んでいると聞いていて。
2日目の夜ごはん。
ロシア料理店で私が注文したソルティドッグを見た祖母は、
「コップに何かついてるけどそれはなんやの?」
と聞いてきた。
「ああ、これはお塩よ。おばあちゃん」
と言うと、
「へえ、けったいやねえ。お塩がコップに塗ってるの?それってどんなお酒やの?」
ともともと大きな目をさらに大きくして聞いてきた。
「おばあちゃん、飲んでみる?」
と言うと祖母は少し戸惑いながらもお塩がついたコップに口をつけて一口ソルティドッグを飲んだ途端、さらにさらに目を見開いて
「なんやこれ!おいしいわあ。」
と言った。
「ちょっと蒼子ちゃん、このお酒の名前もっぺん教えて。なんやった?」
「ソルティドッグだよ、おばあちゃん」
自分が注文したビールを放り出して私のソルティドッグを離そうとしない祖母の姿が嬉しくて私は代わりに祖母が注文したビールをあおった。
「蒼子ちゃん。これもう一杯飲めへんの?」
と言ってる祖母を引きずってその日ついに私は祖母を連れて谷六にやってきた。
谷六を歩きながら、
「京都の真似したみたいな街やなあ」
と大阪の人に聞かれたらぶん殴られそうなことを大きな声で言って喜んでるほろ酔い気分な生粋の京都人である祖母とのパブまでの道はあっという間で。
祖母はそこに入るなり、注文をとりにきたスタッフさんに
「私はソルティドッグ」
と、なんてことないようにすました顔していった。
出てきたソルティドッグを祖母はゆっくりゆっくり味わった。
粒々の岩塩をガリリと噛みながら、グレープフルーツの苦味と甘味が口の中で混ざり合っていく中に、ピリリと強いウォッカのアルコールの存在感。
ソルティドッグを口の中に含んだ時に、舌の上で発生するあの味覚を祖母はその日初めて味わった。
「ここはバーってやつなの?」
と祖母に言われて、
パブとバーの違いを説明すると祖母は真剣な眼差しでそれを聞いてくれた。
祖母がもういっぱい飲めそうだったので、
そのパブから近い大好きなバーにも連れて行くことにした。
古民家立ち並ぶ谷六の道一つそれたところにあるそのバーは口数少ないバーテンダーがいる静かなバーで。
祖母が好きそうな佇まいでここも絶対に連れて行きたいと思っていたのだ。
「なんだか、ドラマの中みたいなところやねえ」
と祖母は少し緊張しながらも楽しそうだった。
何にしましょうか?と聞いてきたバーテンダーの人に祖母は、
「あのね、私もう何杯かのんでますの。
だから、そんなに強いのは無理なんだけど、
甘くて爽やかででもそんなにキツくないのがええんやけど、、そんなんできるの?」
というと、バーテンダーさんはいつもの通り顔に表情はなかったけど、
「あ。できますよ。」
となんてことないように言ってのけて、
でてきたのは
「チャーリーチャップリンです」
と、濃い濃いオレンジ色のカクテル。
アプリコットやレモンのジュースを使ったブランデーのカクテル。
祖母は楽しそうにグラスを口元に持って行き、
「うわあ、これも美味しいわあ。」
と微笑んだ。
「すごいのねえ。お酒ってこんなに種類があって、
私83やけど、楽しくて楽しくてハマってしまいそうやわあ」
と幸せそうに言っていた。
「バーなんて来たの初めてやけど、
私1人でこんなところにカツカツカツって入っていって、静かなところでバーテンダーさんに
『チャーリーチャップリン』
なんで注文できたらめっちゃかっこいいやないのお〜。
新しい夢ができちゃったわあ」
ときゃっきゃとはしゃぐ祖母と私と母の谷六の夜はどこまでも優しく、色とりどりのカクテルに彩られて。
上機嫌で帰り道を歩く祖母があまりにも楽しそうで、私は少し飲み過ぎていて、何やら歌いながら帰った気がするけどその記憶も定かではなく。
1人正気を保っていた母が、
「この年齢なんだから少しは落ち着いて飲みなさい」
とお叱りのコメントを出すに至った。
祖母は、ソルティドッグとチャーリーチャップリンという二つのカクテルの名前を大切に持って帰っていった。
祖母が帰った次の週の土曜日に祖母に電話をかけた。
あの谷六の夜が楽しかったね、と言う話をした。
「おばあちゃんね、絵の教室でみんなに自慢したんよー。
大阪に行って、孫にバーで一杯奢ってもらったんやでーって。
パブとバーの違いもみんなに教えてあげたのよ。チャーリーチャップリンもソルティドッグもみんな知らなくてね。みんなに尊敬されたのよ〜。
私ちょっと得意になっちゃった。」
そんなことを言って愉快そうにケラケラ笑っていた。
早速、油絵仲間に自慢してるちゃっかりしたところも含めて楽しそうに話しながら笑う祖母が嬉しくて電話口で長いこと笑いながら話をした。
今年の年末は実家に帰る。
タクシーでもなんでも使って祖母と街に繰り出したい。
バーで一杯かまして、素敵な新年迎えたい。
そんなことを思っていると、今年の残りもあと1ヶ月半。
残りの週末はあと7回。
これを書いてる今は日曜の夕方17時55分。
さあ今日はどこに繰り出そうか。
残り少ない2024年の週末で私は何に出会うだろうか。
谷六の夜はきっと今夜も優しい。
服を着替えて夜風にあたり一杯飲みに行くにはちょうど良すぎるタイミングなので、これから一杯交わしに私は出かけることにするので、この記事はこの辺で切り上げて。
今日の話はこれにておしまい。
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ちなみにこちらの記事にも祖母は登場しております。
ぜひ読んでやってください。
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