見出し画像

29歳の週報 第7号 中国の透明な人

またしても年始早々中国にいる。

12月に旅行で行って1ヶ月も経たないうちに再びまたしても上海にやってきた理由は出張である。

中国人の上司がどういうきっかけで今回の大事な大事な商談に私を同席させてくれたのかは考えて理論上理解できても、感情では理解できず戸惑いながら必死についていくだけの出張で、
私は一緒に来た中国人の同僚や上司の役に立てることが一つでもあっただろうか、と自問自答してしまうのだが。

それでも、こんなに素晴らしいチャンスと機会をくれた上司には感謝しかないしこれからも私は中国キャリアを突き進んでいきたいと決意を新たにする出張だった。

と、いう私のエモエモバリキャリ風ポエム(本音)はさておいて、話を本筋に戻すわよ。

中国は本当に本当に便利な国である。

そして、この便利さへの解析度は中国人と一緒に中国に行くとさらに上がる。

彼らはスマホ一つであらゆるアプリを使ってこの中国というモノもヒトも洪水のように溢れかえる社会をスイスイといとも簡単に泳いでいく。

私がなんのツールも使わないで中国版Googleマップの百度地図だけを頼りに地下鉄を乗り継ぎバスに乗り換えてゼハゼハ言いながら辿り着く目的地にタクシーを使いこなしてサクサクっと半分以下の時間でたどり着いてしまう。

中国は、その社会に溢れてるツールを使えば怖いくらいに便利な国なのだ。

中国人の先輩たちは私に自慢気に

「中国は便利でしょ?」

と言うが、今回の出張では私自身その便利さに圧倒されたものだった。

中国において便利なことはたくさんあるけれど、やはり何よりも便利なことは「安価なタクシー」だと思う。

中国人は中国で息をするようにタクシーを使う。

それも日本人が考えるような道端のタクシーを拾うのではなくて、DIDIというアプリでタクシーを呼ぶのである。

わかりやすいように画像を使って説明すると

このDIDIというアプリを開くとこんな画面が出てきて、

このDIDI自体が位置情報を把握しているので今いる自分の場所をピン留めしてくれて、
そこから自分の目的地の住所を入力すると、そこまで連れて行ってくれる近くにいるタクシーとマッチングしてくれるという仕組みのアプリである。

日本でもウーバータクシーを使ったことがある人なら簡単にイメージできると思うが。

日本と大きな違いといえばこれがとにかく安いのである。

アプリ内では車でもランクをつけられていてそれによって値段は違うが、一番低いランクの車を選べば5キロの距離をおよそ400円から500円で移動できる。

タクシーが高い日本からすると夢のような価格帯である。

私も最初は先輩が使ってるアプリを見て、

「こんなに簡単にタクシーが手配できるのか…」

と感動していたが、先輩から

「蒼子ちゃんもこれから一人で中国出張の可能性があるから自分でやってみた方がいい」

というありがたい言葉をもらい、
実際自分で手配してみたがこれが簡単で便利でびっくりした。

自分のいる地点に本当にタクシーがやってきて、乗って、決済も紐づけられたalipay(中国のpaypayみたいなもの)で簡単に終わってしまうから、特に会話も必要ない。

中国は便利で、もはやサービスを受けるのに言葉はいらないのである。

他にも、美团というアプリで注文すれば近隣のスーパーや小売店に売ってあるものはなんでもデリバリーできてしまう。

そのデリバリー費用は恐ろしいことに5-10元だという。日本円に直すと100-200円と言ったところだろうか。

私はウーバーイーツは使ったことはないけれど、友人たちが悲鳴を上げるウーバーイーツの配送料を思えば夢みたいな金額ではないだろうか。

あなたが夜ご飯の支度をしていて、例えば大事な食材を買い忘れたとき、アプリを開いて近くのスーパーから食材を持ってくるように手配すれば激安の配送料で物が手元に届く。

中国はびっくりするほどに便利なのだ。

中国人の先輩たちが胸を張る便利さは確かに世界一。

今や中国は世界一便利な暮らしができる国なのだ。

中国人の先輩が次から次へと見せてくれる魔法のような便利なアプリに私もすっかり夢中になって、
「中国すげえー!」
となってしまった。

さて。
今は2025年だけど、私が中国で生活していたのは2018年。実にもう7年前のことである。

当時の私は22歳で若くて無謀で、
ニーハオとシェイシェイしかわからない状態で中国に飛んで1年暮らしていたのだが、

私が誰から中国語を習ったのかと言えばその街に暮らす数えきれない人たちだった。

食堂のおばちゃんとか、日本語科の学生とか、
いろんな人たちから教えてもらったけれど、
やはり私が中国語を話す最高の練習の舞台になったのはタクシーだった気がする。

私のいた中国の地方都市のど田舎の街のとある地区は、高鉄という新幹線の駅までバスなら2時間、タクシーなら50分というところにあった。

大体新幹線の駅に行く時は旅行に行く時だったので荷物も多かったから、私は主にタクシーを使っていたのだが、タクシーのおっさんは外国人がめちゃくちゃ珍しいその街で私が日本人だとわかるとものすごくいろんなことを話かけてくれた。

「俺外人なんて乗せんの初めてだよ」
「お前中国語上手だな、父ちゃんか母ちゃんが中国人なのか?」
「おい、この街の〇〇はもう食ったのか?」

50分ひっきりなしに続くマシンガントークに聞き取れないこともあったし聞き取れて嬉しいこともあった。

方言訛りの普通话(中国の共通語のこと。中国では方言による差がとても激しいので、全国共通の中国語がありこれを中国語で普通話、英語だとマンダリンといいます)で、いろんな話を聞いたこと。

自分の拙い中国語が本当に市井に生きる中国人に届いていく喜び。

タクシーのおっさんたちは私に中国語を話す勇気をくれたし、
中国語で会話をする場をくれたと思っている。

時には、
「やべーよ、このまんまじゃお嬢ちゃんの乗る新幹線に間に合わねえよ。ちぃと遠回りになるが空いてる道を行かせてもらうがいいよな?」

と、ウソかホントかよくわかんないけど、そんなことを言っていつもと違う道を通ることもあったが、確かに電車に乗り遅れたことはなかった。

と、ここまでダラダラ書いて何が言いたいかというと、2018年。

およそ7年前まではタクシーの運転手のおっさんたちはしゃべりまくり、道のプロフェッショナルだった、ということだ。

そしてそれは2025年の今完全に過去のことになっていた。

アプリで呼んだタクシーの車は、7年前と違いめちゃくちゃ清潔で綺麗でシートはふかふかでペットボトルの水が一本サーブされていた。

運転手の人もそこはかとなく上品な紳士で。

「やっぱ私がいた田舎町と上海は違うなあ…」

と感心していたらそういうわけではなくて。

先輩曰く、
アプリでタクシーを手配する時に安い車を手配すると車で寝泊まりしてるようなタクシー運転手に捕まるのでそうなると、車の中が臭かったり不潔だったりするらしい。

なので、先輩は少しランクの高い車を呼んでくれたとのことで。

それでも値段は日本と比べると破格に安い。

車は私たちを乗せるとすぐに走り出す。

車を呼んだ時にアプリで行き先を指定してあるので、別に行き先を告げる会話も必要ないからだ。

私が中国にいた2018年は、行き先を運転手に口で伝えるのも一苦労で。

タクシーに乗る前から何回も行き先の名前を発音正しく言えるように緊張したものだったし、
しっかり伝わった時は本当に嬉しかったけど、今はそういうものも無くなってしまったのかと思うと少し寂しく感じた。

乗り込めばそのままなんの会話もなく走り出し、到着したら車は止まり。

私たちも降りるだけ。

運転手さんと一言も言葉を交わさずに完全に移動は成立する。

中国はやっぱり便利だ。

でも、便利なのになんだかゾクりとする後ろめたさを感じてしまう。

先輩方や友人の中国人たちみたいに、

中国は便利だよー!

って無邪気に言えない。

なんでだろう。
ずっと考えるのを避けてきたけど敢えて言葉にするならば、

この便利さは、自分と同じ人間を透明にしないと成り立たないものだからだと思う。

たった10元、200円の配送料でスーパーから物が届く。
タクシーの運転手とのやりとりを完全にアプリで管理することで会話がなくても移動できる。

それはまるで配達員やドライバーがシステムの一部のネジのように人間ではなく装置として存在するように見えて。

人間が人間を装置のように使って便利な暮らしを享受している構図に、私はドン引きしてしまっているということに気がついた。

が、私がこの中国の人たちや中国にドン引きする権利があるのかと言えば、
私の国の日本や日本人も労働者を尊重できてるわけでもないし、私の日本での暮らしもたくさんの人の労働によって享受している物だからそれを糾弾したり批判する資格もないし。

と頭の中がぐるぐる回る。

だけど、こんなにも目の前で働くタクシー運転手やデリバリーの配達員の人たちをまるで見えないように透明な存在にしてしまうところに私はどうしても不気味だという気持ち悪さを覚えてしまうのだ。

7年前。
おしゃべりして楽しかったタクシーのおっさんたちはどこに行っちゃったんだろう。

タクシーのおっさんはいい人ばっかりだったわけじゃない。

日本が中国を攻撃して中国人をたくさん殺したから俺は日本人を乗せるのは嫌だ。

と言われたこともあったし、

相場の2倍の値段をふっかけられたこともあったし、

今夜のお相手に誘われたこともあった。

だけど、それと同時に

泣きたいくらいに優しい思いを投げ出してくれたのも数えきれないタクシーのおっさんたちだったのだ。

いやなことがあれば、

チクショー!ゴミタクシー野郎!

と、地団駄を踏み。

時には絶体絶命のところをタクシーのおっさんに救われて、タクシーの中で安心して号泣してみたり。

タクシーについては思い出がたくさんたくさんあるのに、ロボットみたいにアプリに言われた道を言われた通り走り一言も口を聞かないタクシーの運転手を見ているとなんだか、

決定的に中国が変わってしまったようで。

その便利さを喜ぶ思いよりも、
寂しくて不気味な気持ちが勝ってしまうのだ。

そんな思いで連日タクシーを乗り継ぎ乗り継ぎ商談先を梯子していたある日の夜。

中国人の先輩と上司が、
取り止めもない雑談をしていて。

「米国人が中国のSNSに流れ込んでくるなんて面白いなあ」

という言葉を先輩が発した途端、

いきなりタクシーの運転手が口を開いた。

「その理由がなぜだか知ってるかい?」

先輩たちはなんの抵抗もなく、

「なんなんだよ?」

と運転手を会話の輪に巻き込んだ。

そうだ、中国人は本当に見知らぬ人が会話に入ってくることに抵抗もしなければ自然に受け止める。

こういうところは何にも変わっていない。

運転手の人は、まさに立板に水が流れ落ちていくように中国のSNSと米国のSNSを取り巻く状況から、どうしてその現象が起きているのかを鮮やかに解説した。

その言葉には無駄がなく。

解説は明瞭でとにかく説得力もあって。

私と先輩たちは聞き入ってしまった。

「すごい!めっちゃわかりやすい。そういうことなのかー!運転手さんあんた詳しいっすね!」

という先輩の言葉に、運転手さんは得意げに、
でも少し寂しさの影を感じさせるような複雑な笑顔を浮かべて。

「まあ、IT分野はこう見えても得意なんだよ」

と答えた。

自分の専門分野とか得意な話題が出てきたら黙ってられない、
なんか言いたい気持ちを抑えられない。

そんな中国人の気質が好きだった。

でも、それはまだ滅んでない。

見えにくくなってるけどそこに確かに残っていたのだ。

中国は生き残るのが難しい超サバイバル社会で、
北京大学や精華大学という中国トップの大学を出ていてもいい仕事を見つけられずにデリバリー配達員でとりあえずの生活を凌ぐ人たちは少なくない。

そして、たとえ新卒でアリババという中国最強のIT企業に入れたとしても3ヶ月も持たなかったり運良く生き残れたとしても35歳以降役職につけなければクビになったり。

彼らはとにかく現役の頃は出前をたのみタクシーを手足として使い、数多の人間を踏み台にして便利な暮らしを享受するけれど、

一度転落すれば今度は自分がタクシーを運転したり出前の配達をする側になるリスクを孕んだ終わりなきレースを綱渡をするように生きている。

そして多くの人がそのレースから振るい落とされていく。

あの流暢に中国のSNSについて解説してくれたおじさんももしかしたらかつては風を切って大きな企業で中国を動かすような仕事をしていた人だったのかもしれない。

中国という国を知れば知るほどにその複雑さとそこで生き抜いていくことの難しさばかりを突きつけられる。

小さな光の点に向かって無数の人が無謀なレースを強いられるこの社会がどこに向かっているのかを真剣に考えれば考えるほどに途方もない気持ちになる。

私は外国人で、ただの中国好きの日本人。
悲しいほどに部外者で、きっと未来においてもそれは変わらないだろうけれど。

昔はそれを寂しく感じたが、今はそれにホッとしている自分もいる。

そんなセンチメンタルになってるこの度の中国出張ももうすぐ終わる。

まだまだ書きたいことがたくさん出てきた出張だったのでこれからも色々書いていくのでぜひおつきあいのほどよろしくお願いします。

それではみなさんまた次の記事で会いましょう!

再見(ざいじぇーん)




いいなと思ったら応援しよう!