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短編小説:風に恋い恋う

 あなたが気まぐれに来るから、カーテンを直せないでいる。あなたが来てくれたらいいなと思うから、できるだけ長く、会いに来てほしいとおもうから、カーテンは直さないでおく。
 かしゃかしゃかしゃ、と音を立ててあなたは今日も来てくれた。ほとんど外れてしまっているレースまがいのカーテンと、半分くらいかろうじて掛かっている紺色の遮光カーテンを巻きつけて、僕にあなたが見えるようにしてくれる。
 また まってたの?
 あなたの笑い声は風だ。風としかいいようがない。あなたのかたちを教えてくれる外れたカーテンを揺らして、部屋の中に穏やかな空気の流れを作る。ばかにするみたいに、心底おかしいとでも言うように、そのくせ、お気に入りなんだと知らしめるように、あなたの笑い声はずるい。
 ねえ みえてる?
 頷く。最初の頃よりはずいぶんと、あなたを見るのが上手になった。まばたきのたびにその睫毛が揺れるのさえ、もう、見えるよ。
 こっちが どりょくしてるんだよ。
 頷く。そうだろう、そのとおりなんだろう。あなたが歩み寄ってくれなければ、あなたと会えるはずもなく、あなたと話せるわけもなく、あなたの存在さえ意識しないまま生きられた。あなたさえいなければ。
 なあに、その びみょうな かおは。
 首を傾げて笑って、誤魔化した。僕は僕を不幸だとおもう。あなたに魅入られて、気まぐれに愛でられて、もうすっかりあなたに囚われて、あなたを待ってしまう。会えない日を指折り数えて、会えたら単純に嬉しくて、そうしていなくなったあなたを嘆いて、また指を折る。
 ねえ、せっかくあいにきてあげたんだから なにかしゃべって。
 僕は少しだけ考えて、面白い話は何もないよ、ごめん、と答えた。あなたは足をゆらゆらさせて、前髪をさらりと撫でて、目を細めて笑う。
 こくはくされてたね?
 見てたの、と反射的に呟いた。たまたまそこをとおりがかったんだよ、となんでもないことみたいに答えられた。確かに風は吹いてた。ああそうだね、あなたは風だったね。
 すなおでやさしそうな ふつうのこだったね。
 うん、そういう子だよ。
 まっかになって おひさまみたいだった。
 あんなに好かれたらくすぐったいよ。
 すかれてるって じかくがあるんだね?
 すきっていわれたからね。
 ああ、そう。うれしい?
 そりゃあね。
 また、空気を揺らして笑う。笑うから空気が揺れるのかもしれない。わからないな、だって僕は人間で、あなたは風だから。
 ねえ、
 話しかけたのは同時だった。順番を譲っちゃダメな気がした。だけどあなたは風だから、僕が引くことを決めつけて勝手に喋る。
 ねえ、あのこは にんげんだね。
 僕の喉は締め付けられて、あなたのことが憎らしくなる。そうだね、そうだよ、あの子は人間だ。僕も人間だよ。あなたとは違う。けれど僕はあなたがすきだ。あなただって僕を気に入ってくれているだろう?あの子の「すき」という告白を、自分自身で吹き飛ばして掻き消すくらいには。だけどもう、言わせてはもらえない。
 おもしろいかおしてるよ。
 あなたは意地悪な顔をしてる。そうしていたずらが成功した子どものように笑って、カーテンをバタバタとなびかせる。ああ、もう、行ってしまうのか。
 じゃあね。
 うん、じゃあね。またねと言ったら、二度と来てくれない気がするから、一度も言えないままだ。すきだよなんてまさかまったく、言えるはずもないから必死に飲み込むばかりだ。
 ぶわりとカーテンが膨らんで、姿を消したあなたは僕を撫でて外へ出ていく。くるくると纏いつくあなたを抱き締める術を探している僕を弄ぶように、優しく優しく包んで撫でて、するりと放す。
 すきだよ。
 え、と声が漏れた。思わず伸ばした手は何にも触れなかった。ただ、あなたの名残で、外れたカーテンがカシャカシャと鳴いた。
 そして僕は、気まぐれに来るあなたを待つ。この関係を終わらせるのはあなたであってほしいから、カーテンを直せないでいる。
 

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