AwaNana

のほほんと生きてるように見せるのが得意な私の、漏れ出た声を記しています。 自分の声を、…

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のほほんと生きてるように見せるのが得意な私の、漏れ出た声を記しています。 自分の声を、認めてあげられる場所にしたいです。

最近の記事

カプチーノと夏の私

来たる22歳、の、前に なんだか書きたくなったコト。 21歳の夏。 あー、感じたこと沢山。 まずは、アメリカ 自由な場所で、自由に踊っていいんだ を、肌で感じた みんなが自由に楽しんでて 自分と向かい合ってて、だけど簡単に人に話しかけてきて、必要なくなったらすっと離れて なんて心地いい土地! 私ここに絶対戻ってこよう!って思った もっと自由に、楽しんでいいんだってことを知れた ダンスってもっと楽しいんだって 今だってこれ以上ないくらい楽しいのに これより上がある

    • 応援の話

      「応援してください!」とか「応援よろしくお願いします!」とかって言うけど、私はあまり、自分がそれを言うの、好きじゃない。 応援してるよー!って言われるのはとっても嬉しい。単純に気にかけてもらえてるだけでも有難いし、応援してくれる方々がいるからこそ、もっと頑張りたいし強くなりたい、大きくなりたいって思えるから。いつもありがとうです。 でも、自分から「応援よろしくお願いします!」って言うのは、なんだか、強制しているようで気が引ける。 「応援」ってお願いしてされるものでもなく

      • 意外と自分は他人軸だった話

        今日、というか昨日、か? 友達に、今思っている「遠慮」を全て話した 結果帰ってきたのは、「気にしなくていいよ」だった。 昔から私には考えすぎる癖がある。 そのせいなのかなんなのか、相手の状況を鑑みて、私がやった方がいいなら何でもやるって言ってしまうし、逆に私がいない方がいいだろうと思ってしまうと、縮こまった挙句、すっと消えてしまう。 そのおかげで、高校時代は安請負したことに苦しめられた記憶が多々あるし、今でもあれもやるよ、これもやるよ、と言った後に、ふとなんで私これや

        • 私の話

          初めて、私の言葉として、抽象的じゃなく具体的に、自分の中に燻って、いつか闇に引きずり込んでしまいそうな気持ちを書き残しておきたいと思います。 家族と一緒にいるのが辛いです。 でも誰かが悪い訳ではありません。何か家庭として問題があるわけでもありません。 ただ、母親のため息が胸に刺さって 反抗期の妹の軽い暴言が胸に刺さって 父親の何も言わない目が胸に刺さって 家族が何なのか、分からなくなってしまうんです。でもこれは今に始まったことじゃありません。多分何も変わっていない

        カプチーノと夏の私

          助けを求めたいときに 求め先が見当たらなくて あーあ、私は1人なんだって その繰り返し。 助けてよって言ったら、助けてくれますか? この苦しいから救ってくれますか?

          助けを求めたいときに 求め先が見当たらなくて あーあ、私は1人なんだって その繰り返し。 助けてよって言ったら、助けてくれますか? この苦しいから救ってくれますか?

          周りにいつも近しい人がいるわけじゃないから、自分はいてもいなくても一緒だ、って思ってしまう。 それが、とても、虚しい。

          周りにいつも近しい人がいるわけじゃないから、自分はいてもいなくても一緒だ、って思ってしまう。 それが、とても、虚しい。

          恋愛がしたい話

          最近とっても思うことがある。 彼氏が!!!!!欲しい!!!!!! いや、今までだって思ってたは思ってたけど。 なんだか今まで以上に、大学生になってから1番と言っていいほど彼氏が欲しい。 恋愛したい、キュンキュンしたい、なんかこう、自分のこと好きなのかな、どうかな、脈あるかな、みたいな、手繋ぐの繋がないのどっちなの!?みたいな、そういうトキメキが欲しい。 そしてその後に待っているであろう、互いに好意を抱いているからこその空気感、雰囲気。 絶対にこの人は味方だ!という安心

          恋愛がしたい話

          他人が精神的な何かを解決してくれた記憶はほとんどない。 元々、我が強い性格だし、何かと"強い"から、大体のことはひとりで解決出来ていた。友達に話している中で、自分の思考が整理されることはあっても、誰かが直接的に自分の精神的な悩みを解決してくれることはなかった。 それが、良くも悪くも、なわけで。 ひとりで抱え込まないでって簡単に言うけど、私の問題は私の問題でしかなくて、あなたの問題にはなり得ない。それをひとりで抱え込むなって? 何を身勝手な。 逆も然り。私はあなたの問題

          生きてていいよ、の話

          たまに、自分が生きてていいのかわからなくなる。 だいたいそういう時は疲れてるな、と思うのだが、その一方で、凄く潜在的に、「生きていていいよ」という許可を、誰かに貰えないかと切に願っている自分も自覚する。 私は自分のことは好きなはずだ。 顔も、スタイルも、性格も、特にコンプレックスはないし、自分のやりたいことに挑戦し続けられる強い精神も持ってる。 自分のことは好き、だけど、「生きてていい」という自信はあまりない。 誰かの役に立たなきゃいけない、とか、誰かのために生きな

          生きてていいよ、の話

          らしい、話

          私らしく とか 自分なりに とか。 世の中はそうやって「私らしさ」なんてものを規定しようとしてくるけど、果たしてそれは、本当に「自分らしく」いられるのだろうか。 「っぽい」って言われること、ないですか。 例えば、服屋で見つけた服を見て、 「これ、○○っぽいね、○○着てそう」 とか、あるじゃないですか。 他人から見た自分。 それを指摘されると、気にしちゃうじゃないですか。自分はこういう格好をしてるっぽい人間なんだ、とか、自分はこういうことをするっぽい人間なんだ、と

          らしい、話

          なんでもないや を聴きながら、泣く。何の涙かわからない。でも、それでいい。奥深くにいる私が、少しだけ顔を出したから。

          なんでもないや を聴きながら、泣く。何の涙かわからない。でも、それでいい。奥深くにいる私が、少しだけ顔を出したから。

          拠り所の話

          気づいたら3月も折り返しそうになっていた。 春休みもあと数週間で終わり。今年の春休みは何ができたかなあ、なんて少し振り返って、結局ダンスしかしてないことに気づく。 ダンスばかりの日々は、楽しい。 けど、それと同時に少し空虚な気持ちになることもある。 ダンスで出会った仲間はもちろん、大事で、かけがえのない、大切な仲間たちだ。でも、自分が感じる葛藤を、思っているままに伝えられる訳では無い。 多分、みんなそうなんだろう。色々なところに拠り所を作って、それぞれで話せる話題を選

          拠り所の話

          誰かに何かを伝えるって難しいけど、伝えなくちゃ。ずっともやもやしたまんまで、いる訳にはいかない。

          誰かに何かを伝えるって難しいけど、伝えなくちゃ。ずっともやもやしたまんまで、いる訳にはいかない。

          ハッピー人間とは程遠い話

          今年も、ハッピーで楽しい一年になりますように! そうインスタの今年の投稿には書いた。 プロフィールには、カラフルでワクワクな毎日を!なんて書いてある。 資本主義は労働者と資本家って構造にしかならない。 これは父に言われた言葉。 特定技能ナントカで、外国人を安く雇って労働力にしようとする社会を目の当たりにしている。その人たちはただ必死に生きているだけなのに、と私は少し悲しくなった。 世界中のみんなが幸せになればいいのにな。 ずっと、もう本当にずっと思っていることだ。

          ハッピー人間とは程遠い話

          冬の風が頬を掠めた話

          冬の風が頬を掠めた。 何を思い出したのだろう。 その冷たい風が、私の頬を掠めた時、走馬灯のような、忘れているようなことが、でも覚えているようなことが、脳裏も一緒に掠めて行った気がした。 死んだじいちゃんのこと? 葬式にはたくさんの人が涙を流しながらやってきて、突然の別れを惜しんだ。実の娘であるはずの母は、実感がないと言い、泣かなかった。叔母は泣いていた。 私もなぜか涙が出なかった。だけど、夜中、突然じいちゃんに、頑張って生きるね、と静かに心の中で言った時、感謝と、後悔と、

          冬の風が頬を掠めた話

          変わっていく話

          夕暮れ時。 赤い空は徐々に青く染まり、紺に近くなり そんな変わりゆく空が綺麗で、吸い込まれるように写真を撮った。 でもその綺麗さは、写真には写らない。 私はひとつの所に留まり続けるのが苦手なのかもしれない。 多くの人は居心地のいい場所を探して、見つかるとそこを「居場所」にする。 例えば、仲がいいグループが出来たとしよう。 きっといつだってそのグループの1人でいることを望むだろう。実際にずっと一緒ではなくても、心はつながり続ける。 でも私は、ある程度仲良くなると、1

          変わっていく話