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「霊を見る」ことと「霊的理解度」には関係がありません

こんにちは^^
シロイハトこと、ひとみです。

私の母方は、いわゆる「霊感の強い」人が、とても多い家系です。

私の霊感を開くきっかけを与えてくれた祖母を始め、
私の母も、叔母も、従姉妹たちも…、
霊を感じる力がとても強く、
ここの一家には、不思議な話が、それこそ「ゴロゴロゴロゴロ」しています。笑

今日は、その一族の中の祖父が亡くなった時のエピソードを、分かち合わせてください😌


さて、大好きだった私の祖父…💕
その祖父は、晩年ガンを患い、長期の入院の末、亡くなりました。

霊感の強い一族らしく、祖父が亡くなる直前にも、意識を失った祖父のたましいが叔母に乗り移り、家族一人ひとりへの遺言を残してくれるという、印象的な出来事があったりもしました。

そして、大勢の家族に見守られる中、祖父は息を引き取りました。



祖父のお葬式は、とても立派なものでした。

母方の実家は福島県にあって、もともと、お葬式がとても派手な地域のようなのですが、
特にこの一族は、とても情が濃いというのでしょうか、
人への愛情を、とてもストレートに、行動で示すところがあります。

お葬式でも、大勢の孫が一人一人メッセージを読み上げたり、
頂いた数多くの弔電なども、決して省略せず一つ一つすべて読み上げたり、
ご近所の方や、その地域の代表の方までが、故人への手紙を読み上げたり…、

祖父の人柄が偲ばれ、また祖父への愛情がとても感じられる、素敵なお葬式でした。



そして、焼き場へ向かう車の中…

私は、たまたま、従妹(いとこ)の中でも一番霊感の強い、Nちゃんと並んで座ることになりました。

祖父と一緒に暮らしていた4人の従妹たちは、みんな、とても優しくて可愛らしい性格をしており^^、そして、ものすごいおじいちゃんっ子😊
当時、4人ともまだ若くて独身だったこともあり、祖父の入院中など、4人で交代交代、病院に寝泊まりしていたほどです。

そのNちゃんが、窓の外を見ながら、寂しそうにこう言ったんです。

「おじいちゃんは、どこへ行っちゃうんだろう…」


私はその言葉に、心の底から驚いてしまいました!

なぜなら…、
Nちゃんは、ものすごい憑依体質。

お盆にお墓参りに行っただけでも、先祖の霊に憑依されて倒れたりして、なじみのお寺さんに、いつも除霊してもらってるほど。

霊も本当によく見るみたいで、
看護師になりたいと昔から言っていたのに、「こんなに霊が見えると、病院になんてとても怖くていられない」といって、職業選択を変えたほどです😅

そのNちゃんが、言いました。


「ひとみちゃんは、人って死んだらどうなると思う?」

「私はね、すべてなくなって、そこですべてが終わりだと思うんだ」と…。


私は、本当にビックリ。

まさか、霊を見まくり、霊に憑依されまくっているNちゃんが、死後の世界を信じていないなんて…😳

むしろ、私よりしょっちゅう霊を見ているNちゃんは、私よりもずっとずっと霊的理解度が高いと、その頃の私は勝手に思い込んでいました。

死んだ後の人のたましい、つまり「霊」を見る彼女が、たましいの存在を信じていないなんて、すごく意外でした。

人の心って不思議なものだな…と驚きつつ、
その頃すでに「宇宙の真理」を思い出していた私は、
優しくNちゃんに、こう話してみたんです。


「私は、死後の世界ってあると思うな…」

「人は、死んでも無になってしまうわけじゃなく、たましいの存在に戻るだけで、そのたましいは、永遠に生き続けるんじゃないかな…」

「だから、おじいちゃんも、いなくなってしまったわけじゃなくて、きっとずっと、たましいになって生きてるんだよ。だから、寂しくないんだよ^^」

と…。


Nちゃんは、「ふーん…」と言っていました。

不思議な確信を持って話をする私に、少々驚きつつもw、
腑には落ちていない、納得はしていない感じでした。


でも、私も、それ以上は、何も言いませんでした。


こういうのって、人には、受け入れられる「時期」というのが、ありますからね…^^



そして、焼き場について、お経を上げ、
そのスイッチが押された瞬間です。

Nちゃんが、「ギャー!」と言って、突然その場に倒れました!

目を半分閉じて、体をバタバタとさせ、明らかに誰かに憑依されています!


それは、今、その肉体を焼かれようとしている祖父でした。


「熱い~!熱い~!!」と、Nちゃんの体を借りた祖父が、叫びます!

のたうちまわっています。


周りの人たちは、もうビックリ仰天です!

Nちゃんの憑依体質をよく知る私たち一族は、「ああ!まただ」と、割と冷静に受け止められても、
それ以外の方々は、こんな場面に遭遇するのはきっと初めて。

もう、ザワザワと、大騒ぎになりました!

祖母や叔父、叔母が彼女を取り囲み、焼き場にいたお坊さんに、除霊をお願いしましたが、「私は、そのような力は持っておりません」とのことで、見守るしかない状態…

私も遠巻きに眺めながら、
「おじいちゃん!おじいちゃんは、もう死んでるんだよ!たましいの存在になってるんだよ!熱いはずはないんだよ!早く気づいて!」と、
一生懸命、心の中で語りかけていました。

すると、間もなく祖父の霊=Nちゃんは、落ち着きを取り戻していきました。


そして、何人かの名前を挙げては、生前の感謝のメッセージを述べ始めました。

それは、むしろ自分の家族よりも、家族同様に仲の良かった「他人」に向けてのものが多く、祖父はつくづく義理堅い性格をしてたんだな~と、ちょっと可笑しかったです^^

私の母なんて「まったく、他人にはメッセージを残すくせに、自分の娘は呼ばないんだから!」なんて言ってましたけどw、
でも、自分の家族には、亡くなる時にメッセージを遺してくれてましたしね^^、ここでは何も言わなくても分かってくれているはず、っていう思いだったんじゃないかな。


そして、10~15分ほど、憑依状態が続いたでしょうか…、
Nちゃんはやっと、普通の状態に戻っていきました。

そして、祖父は骨となり、無事すべてが終了し、
帰りのバスの中…、


私とNちゃんは、来た時と同じように、なんとなく、また隣同士に座りました。


お互いに無言で、バスに揺られていましたが、


しばらくして、ふと、Nちゃんが言ったんです。


「あのね、おじいちゃんが私にとり付いて、離れていく瞬間にね、

 おじいちゃんが、何度も何度も、こっちを振り返りながら、

 家から見える、大きな山の向こうへ、歩いていくのが見えたの。


 その瞬間にね、

 ああ、確かに人は死んでも、いなくなっちゃうわけじゃないんだな…、

 たましいになって、いつまでもいるんだな…って、思ったんだ…。

 だからやっぱり、ひとみちゃんの言う通りなんだと思う…」

と…。


そう話してくれたNちゃんの顔は、不思議な安らぎに満ちていて、
私はなんだか「良かったな…」と、とてもとても嬉しくなりました…✨

*****

いわゆる「霊感」というものと「霊的理解度」は別物なのだ
ということを、
私は、祖父の死を通して、彼女から学びました。

「霊を見る」からといって、
必ずしも「宇宙の真理を知っている」「霊的理解度が高い」わけではないのですね。

また、「霊を見ない」からといって、
必ずしも「宇宙の真理を知ることが不可能」なわけではないし、
「霊的理解度が低い」わけでもない。

私のお客様方の中にも、霊的感性にとても優れておられる方、霊的成熟度や霊的理解度がとても高い方などが、おられます。

私がそのように伝えると、皆さん判で押したように、「いえいえいえ…!私は別に霊を見たりするわけじゃないし…!」と、同じ反応をされるのですがw、
そうではないんですよ^^

それとこれとは、「まったくの」別物なんですね😌

霊になんてまったく興味はない、スピリチュアル?何それ?というような方の中にも、ごく自然な信仰心を持ち、霊的成熟度の高い方は、たーーーくさんおられます。
霊格と人格は比例するような気もします。

反対に、「霊を見る」方の中にも、いまだ霊性の未熟な方は、たーーーくさんおられます。

私はむしろ「霊を見る」人ほど、霊性が低いんじゃないかとすら、思っているところがあります。

だって、自分の目で見なきゃ、信じられないってことじゃないですか…w?

実際、私も、昔はまったくスピリチュアル否定派で、
霊の話をする自分の親族を、「この人たち、結構ヤバイよね…😓」と敬遠し、
霊が出て怖いからと枕元に竹刀を置いて寝たりw、私の部屋に逃げてきたりする母にも、
「頭おかしいんじゃないの…?」と、本気でひいてたタイプなのですが😅、
ある時から実際に、自分が、霊を見たり、感じたり、メッセージを受け取るようになって、
やっと、その存在を認められるようになってきました。

私って、自分で体験しなくては信じることのできない、結構な頑固者なんですよね😅

そして、「宇宙の真理」を知る前の私は、
霊というのは、ただ怖いだけの存在でした。

見たら、まさに「キャーーー!!」
私たちに悪いことをする存在、「来ないで!あっちに行って!!」と怯えていました。

でも、今の私は、この世に生きるたましいも、またこの世を去ったたましいも、同じく愛と光の存在であることを知っています。

相手を恐ろしい存在にしているのは、自分自身なのだということを、理解しています。

*****

亡くなった方の霊を、見たり、感じたりすることは、
自分のたましいを向上させていく上で、真理を実践していく上での、必要条件では決してありません。

むしろ、霊を見たり、感じたりするが故に、人生に迷っている人って、結構多いんですよね…。

そして、そのことに、いたずらに振り回されてる人っていうのも、結構多いんですよね…。

私も、そんな時がありましたから、よく分かるのです。
そういった能力がエゴと繋がってしまうと、本当に恥ずかしい経験となってしまいます…


その後亡くなった、私の敬愛する祖母は、
「強い霊感」と「霊的理解」を兼ね備えた方でした。
そして、色々な経験の積み重ねの結果だったのでしょうか、
その頃には、それをもう完全に日常生活の一部としていました。

「霊を見る」ことは、本当に日常のなんでもないこととなっており、
ふと何もない空間に向かって、「しっしっ、あっちに行け。おらんとこに来ても何にもしてやれんぞ」と、まるで独り言のようにしゃべっていたり、

祖父の初盆に訪ねた時も、
「おじいちゃんが、オラに、もっと体を休めろ―、休めろーって、言いにくるんだー」って、フツーに話してたりして、
祖父は死んだのかまだ生きてるのか、分からなくなる😂ww

生きている人とも、亡くなっている人とも、同じように、おおらかであたたかなコミュニケーションをとり、
謙虚で、誰にでも親切で、優しくて、
スピリチュアルとは何の関係もない仕事に励みながら、
必要としている人には、必要な時に、必要なだけの、霊的対話と導きを、さりげなく施してくれた…、

私が目指すのは、祖母のようなスピリチュアリストです✨
まだまだ、足元にも及びませんが😆


たくさんの愛と学びをくれた祖父母に、改めて心からの感謝を…💕

また、「霊を見る」能力によって、私の信じる世界を裏付けてくれたNちゃんに、感謝を✨

そして、読んでくださった神神様も、本当にありがとうございました😌🙏✨

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シロイハト
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