九月入学と今後のこと
はじめに
三月、四月と転職したりなんだりとバタバタしてノートを書く余裕がなかった。そこに来て、この騒動である。2020年4月は、間違いなく歴史に残ることだろう。1月に年が明けたときには、こんな状態に世界がなるとは、誰も思っていなかったに違いない。第二次世界大戦の後、さまざまな歴史的イベントはあったが、国際社会全体がこれだけ大きく影響を受けるイベントは、ソ連の崩壊やベルリンの壁を超えるものなのではないだろうか。
そんな渦中に自身がいるということは、なんとも不思議な感覚がある。職がなくなって生活が出来なくなりそうな人には申し訳ないが、歴史の転換点となるのではないかとわくわくしているところもある。
そんな中で、学校が休校となっている。私の娘も入学式を4月頭に行ったきり、学校には行っていない。再開の目途が立たない中、九月入学という話が湧いてきた。今の娘の状況を見るに、半年、年度を延長してくれたほうが、いいように直感的には思うが、色々影響はありそうなので、徒然なるままに、メモしておきたいと思う。
どう九月にずらすか
今の学齢の子たちを半年後ろ倒して九月に入学させる(もしくは進級させる)とすると検討の時間が少なすぎる。批判の声の一つとして、火事場泥棒的に拙速に過ぎるという意見があるが、確かに今から九月からの制度を作るというのは、無理があると思う。しかし、今の学年を一年半にするというのではどうだろうか?どうせ、今はいつ始められるかわからないのだから、一年半かけて、今の一年間のカリキュラムを踏まえて、進めればいいのだ。
グローバルに合わせられるメリットというのも挙げられているが、これはむしろおまけと思ったほうがいい。世界的には、九月辺りが入学月な国は多いが、必ずしもそうではないし、国の様々な事情があるので、一概にメリットになるとは限らない。(参考リンク:学校制度の諸外国との比較)
平時においては、できない議論が強硬で、おそらく教育制度を変えることは無理だろう。どさくさという批判はあるかもしれないが、このタイミングで大きな変革を行うのは、日本の歴史的にもよくあるケースだと思う。よくも悪くも黒船がこないと日本は変化しないのだ。
想定される課題
まず一番の問題は、ずれたことにより発生する、入学時の4月から8月生まれの子供たちだ。これについては、こう考える。今、幼稚園、小中高大にいる人たちは、そのまま4月から翌3月の括りで、九月に進級する。今年は一年半同じ学年に留年することになるが、今留年しているようなものだから、問題にはなるまい。問題は、来年の4月に幼稚園に入園、もしくは幼稚園に行かずに小学校に入学する予定だった4月から8月生まれの子供たちである。その子たちを来年の9月に入学させるとすると、さ来年に入るはずだった次の年の4月から8月までの子供たちと一緒に入園入学することになってしまう。ざっくり言えば半年分なので150%の人数となる。これを一度通り過ぎれば、9月から翌年8月までの子供が、次の年に入ることになるので、人数的には適正になるはずである。しかし、受け入れる教育機関のほうが許容できるかどうかは、定かではない。もしくは、来年度は9月に、その4月から8月までの半年分の子供だけ受け入れ、9月以降は、翌年に回すという選択肢もあるかもしれない。この場合は、ざっくり50%しかいない学年が発生することになるが。こんなことは、文科省の人たちはとっくに想定済だと思うが、それでも無理だというのなら、どういう課題があるのだろうか?
もう一つの課題としては、学費の問題はある。一年半となると半年分の学費は、増えることになるだろう。そうでないと学校側が運営できなくなる。公立はまだいいかもしれないが、私立は死活問題になりうる。ここは、税金で賄うしかないように思う。
今後のこと
九月入学の件は、一義的には今の休校によって、学校生活が止まっている子供たちをどうしていくのか?という点に尽きる。オンラインでの授業も地域によって大きく違い、家庭の対応も不十分である家庭も多い。そもそもいきなりやれと言われても無理がある。それこそ平時の時に、しっかりと体制を整えなければ対応不能だろう。本人の仕事も不透明なのに、子供の教育まで家庭で、担保せよと言われてもと思う人が多いと思う。今後の世界を考えると、このような事態が、定期的に起きても困らないような社会構造が必要になるのではないか?少なくともここ数年は、繰り返し起こってもおかしくない状況だろう。
大規模な災害が起きても同様の事態は起きる。災害の場合、ピンポイントでその地域の問題とされるので、全国的な変革が起きにくいと思われる。今回は、全国で同時発生したことで、耐性のあるシステムを構築するのに良い機会だ。物理的に一つの空間に集まることが前提とならない柔軟な学習システムの構築が必要だ。