小学校で必要とされる計算機の理解とは
プログラミング教育って?
先日こんな話題がニュースになってました。解説してるウェブサイトはたくさんあるんですが、予想通り、プログラムなんて書かなくてもいいから他のことをもっと勉強させたほうがいいとか、先生はプログラムなんか書いたことないんだから、付け焼刃で授業しても無意味とか言われています。小学校の先生はそうじゃなくてもブラックな勤務やらされてるのに、英語だなんだとやること増えすぎっていうのは、その通りだとは思うんですが、それはまた別な話として。
最初に結論から書いてしまうと、これはもうこの「プログラミング」という単語が駄目だったんじゃないかと。まず、私の理解から書いておくと、以下のノートがとてもよくまとまっていて、改めて書くまでもないので、引用しておきます。
形式的というか、言葉的には上の説明ですべてなんですが、まだすっきりしない感じがするという人もいそうです。つまり、これが身に付いたからなにが嬉しい(役に立つと言い換える人もいるかも。学問は直接的に役に立つとは必ずしも言えないんですが。)のかわからないという点です。そこで、私なりの視点で、目指すものを考えてみます。
実際に小学校で行うプログラミング教育なるものの目指すもの
実際に始まってみたら、そうじゃない残念な状況になるのかもしれませんが、こうなってくれたらいいなというか、こうあるべきだろうと思うところを書いておきます。あのとき自分はこんなことを考えていたんだと後から見返すための資料にでもなれば。
1. コンピュータ(計算機)を身近な道具と感じられるようになる。
実際コンピュータは、色々なことが出来る電卓なので、とても便利です。プログラムを書かなくても過去の人たちが様々なプログラム(アプリ)を用意してくれているので、たいていのことはどこかから探してくれば、やりたいことを実現できます。しかし、それは家電製品を買ってきて使うのと同じで、学校で学ぶことではないと思うのです。家電もどんどん新しいものが出て便利になりますが、掃除機の使い方は学校で学びません。操作方法や機能はどんどん変わっていくので本質的ではないし、教えた先から陳腐化していくので意味がありません。コードが書けるようになることも同じで、この記事を書いている時点では、PythonとかC++とかがメジャーですが、数年先にはどうなっているか全くわかりません。極論を言えば、人間がテキストでコードを書く必要もなくなっているかもしれない。でも、今の小学生が大人になっているころにノイマン型計算機がなくなっているとは、思えません。(絶対とは言い切れませんが、これだけ今のコンピュータが浸透している状況をまるごと入れ替えるのは、相当時間がかかると思います。)
そう考えると、コンピュータってどういうものなんだ。という道具としての本質的理解が必要になるのではないでしょうか。はさみとはなにか?三角形とはなにか?といった理解のようなものです。小学校では電気とはなにか?とか磁石とはなにか?といったことは理科で習いますが、そういうものと同じ次元のものとしてコンピュータがあると思うのですよ。
2. 世の中にある様々な道具がよくわからないけどなんか動いてるにしない。
今の世の中、ほとんどのものにコンピュータが組み込まれています。企業の会社員は言うに及ばす、ほとんどの仕事で、コンピュータが組み込まれた何かを使う必要があると思います。日本はIT後進国なので、逆にまだなんとかなっているところがあるように思いますが、世界的にみてもコンピュータなしに世の中が回っていくことは、なくなるでしょう。例えば、車なんかはもうすでに計算機にタイヤがついているような状況といってもいいレベルですし、外から情報を得る手段は、ほぼデジタルになっています。物事を表現する手段もデジタル化してきています。デジタル化するということは、例外なくコンピュータをなにがしか使って処理をすることになりますので、無人島で自給自足生活を送るのでもない限り避けて通れません。
そのような中で、各種道具がどういう原理で動いているのかわからないまま使うというのは、極論を言うと、火がなにか?ということを知らぬまま、ライター(もしくは火炎放射器)を使っているような怖さがあります。
3. 自分がやりたいことを解決する手段としてコンピュータを使える。
このレベルは、もしかすると小学校の義務教育として必須なものかどうか議論がありそうではあるのですが、個人的にはこのレベルになれば、いわゆる生産性が大きく高まると思うんですよね。例えば、先日実家の年金生活を送っている両親の月々の収支を、ざっと計算したのですが、電卓でやるととてもめんどくさくてもExcelで、ちょっと表計算すればすぐ視覚化できます。これは、別にExcelの使い方を教えろと言っているのではなくて、どう課題を取り扱えば、解決するのか?というのが頭に浮かぶかどうか?ということだと思うのです。この例は、かなり従来のコンピュータ寄りな話ですが、今後のIoT機器などは、もっと物理的な行為をデジタル化していくことになると思います。現状では、スマートスピーカーを使って、部屋の照明やカーテンを制御するなんていうのは、好きものしかやりそうにないですが、日常生活にあるものが、どんどんデジタル化されていくのは間違いありません。そんな世の中で生きていく上での基礎力として、道具としてつかっていけるようになるのは重要なのではないでしょうか?
まとめ
小学校の学習指導内容というのは、戦後長きに渡ってブラッシュアップされて色々な人の叡智が詰まっていると思います。しかし、アナログ(物理とエネルギーの世界)に加えてデジタルが社会に浸透していく中で、その基礎を教える方向転換を早期に出来なかったというのが、今の状況を作り出してしまったのではないかと思います。自分もコンピュータを生業にしてきたものとして、今後なにかやっていかねばならないなぁと感じます。
日々思っていることを形に。こういうところに残しておけるのは良い時代になったと感じています。BBSのログとか復活させたくなります。