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太陽が有るところに、月は有る事が出来ない。 此の世界、此の世界に有る「視点」は全て平等に意味が無い。然し、どうやら個々が此の世界を覗き込んだ時に抱く写像は皆大体等しい。だからこの世界の実在性は認められる。物質的な存在をしている物に関しては明らかに其処に有ると言える。 此の世界には、多種多様な決まり事が有る。 物理的な法則、官僚的に括られた人間社会の動静、等本当に様々な決まりが有る。何処か共通の原点を作り、其処から「プラス」と「マイナス」の観念を発明して善し悪し等主観的な観念を
ゆらゆらしたい。メジコン買おうかな。。。
きっと、人間の事なんてみんな見下しているんでしょう。 持論でございます。私、最近はあんまり自分が此の世界で生きている気がしなくて堪らない。だから、見下している。 妬み嫉みなんて湧きませんわ。恐らく此の頃、本当に興味が無くなって仕舞ったんです。だからとて私が特別偉いと、秀でていると思うわけでは有りません。 案外、此の社会はきっちりと回ってはいません。自分が思っているより、緩い。だから、其の緩さに対して、自分がきっちりやってきた処に就いては嫌な気持ちが浮かぶのです。 そうして早
依存する、と云う事に就いて 私というのは、恐らく「薬物依存」、「物質使用症」等と云ったところに近い特性を持っている。 「依存症」と云うならば、症状として自己或いは社会性を著しく侵す様な依存特性なんだろうなと推測出来る(医学的視点で云うならば未だ抽象的であるかも知れない)が、依存すると云う事に就いては精神医学、心理学の域でない。 依存と云うのは曖昧に、「無くてはならない」と云う観念である。 例えば私は、日々を生きる為に、薬の使用に依り、変な気持ちやエピソードを和らげる或いは無
思考をする。「うーん」と悩んでみる。頭を捻る。 此れを嫌いになる人間が、沢山いる。 思考は重要か 私は、「何故思考はそんなにも大事なのか」と言われて、正確に言い当てる事に自信が無い。此れは、思考が能動的な行為でないからである。自ずと始まるものが思考なのである。私が持つスキーマというやつが、勝手に私を思考に走らせてしまう。しかも理性的に考え事をしている積もりが、自らの感覚が吐く事を論理に纏めあげたというだけであったりする。人間という生物は、どうやら此の脳内作用に依って考え事
野暮ったい、嗚呼野暮ったい。もう君なんて消えて仕舞えよ。君の事僕はいけ好かないんだ。君は僕が許容出来る人じゃない。僕の目に写って欲しくない。 そう思う人が今日、居た。 有る日、私と友人で談話をしていたなら、其れにナイフで切り込みを入れる奴が出て来てしまった。 でも僕が誇りに思う友人だ。此のナイフを持った野郎もきっと何か奥深いものを持ち合わせているんだろう。だからひとつ聞いた。 「ねぇ、此れは面白い奴なのかい」 友人は何も言わない。 私は悟る。此奴、面白くない奴なんだな、と。
エスモカODだけは絶対にしない様に。 気持ちが悪くなって頭が痛くなるだけだから
欠伸猫 彼は誰星に 背を向けて 朝腹を見て熱い珈琲
友人の誕生日という事で、少しbirthdaycardというものを書いてみた。 励ましを贈った積もりだ。 「君の友人は上手くやっている」という事を見せたかった。そして、此の現代を生きる者として、自らを見失わない様に、言葉を贈りたかった。 私は哲学や文学が好きで、亦現代を生きる術として強く勧めている。此のカードは、彼への励ましと共に、哲学入門みたいな事をしている。 友人の事を想って、書いた。 正直のところ、学生に向かってこんな事を書いてみても、一切合切伝わらない気がしてならな
血迷ったので物語を書く あきは夕暮れ。 私、本を読んでいた。太宰治、『もの思う葦』をまじまじ読んでいた。駅のホーム、只静かな一番線のベンチにて大きく座り、そしてノスタルジィを感じていた。 そこに、私の肩をとんとん叩く感覚がした。 顔を上げるとお婆さん一人。話を聞くと道に迷ったそう。 「上りの電車に乗るには、ここで待っていればいいのかしら?」 上品な口調。どっしりとした立ち姿にお婆さんの人を見た。面白くて、少し、考えた。そしてこう言った。 「時間を急いているのなら、3,4番
さっきODに就いての文を書いていて、最近の精神医学ってとんでもなくミスリィド(?)をしていると思ったので幾らか書く。 注意:此の文章は決してOD(オーバードーズ)を推奨するものでは無い。心に留めたまえ。 市販薬>処方薬になりがちな現状私、最近はブロンを飲んでいるけど、処方のアトモキセチンよりも圧倒的に精神作用が上手くいっていると思っている。 幾らか考えて見ると、其の要因が見えてきた。 プラセボに就いて 市販薬には、穏やかな精神作用をもつ薬が幾つか有る。市販薬を買う場合
大仕事、無事終わった。 此れから毎日ブロンを入れなくても頑張れる日々が再開する。 只、近いうちに亦、仕事ができる。 最近の精神性に就いて。 私、前述の通り大きな仕事をしていた。その為に、主に精神的負担を減らす為に、毎日とブロンと言う薬を15錠飲んでいたのだが、此れにより随分と、情緒の浮き沈みが激しくなった。 ブロンの副作用の其の幾つもが、私の作業を妨害するものだからいけない。私、手が震えて紙を折れないし、頭が回らず簡単な計算すら手こずった。段々と身体に熱が溜まり、そして怒
只、只、私は、生きる事を重要視している。若しかしたら論理的に生を正当化出来なくば、私は死ぬかも知れない。それ程、重い。 少し前に、「自分は自分を可愛いと思う心が欠落している」と言った気がするが、今も其れは変わらない。然し、昔死のうとした時には、包丁を持つ其の手がぴくりとも動かなかった。であるから、死にたくないのかも知れない。 人間の本質は無意識に有って、其の無意識に依って人は動かされている…と何時か聞いた事がある。そうだと思う。根本的な事はどう仕様も無いという事、実感するのは
気にならなくなる事、 其れ則ち、死ぬという事
我思う故、我有り。と言うけれど、 思う事なんて、誰でも出来る。 言うならば、「自尊心と、己への自己過信故、我あり。他は情があれど知らぬ。」
特段最近は文学作品に触れていない。 そう云うメンタルじゃない。 だから、書く事も、無い。 自己への認識に就いて 自己への認識に就いて、私は多分捻くれていると思う。 倫理観の問題かも知れない。私は、自分を可愛いと思う心が欠落している。だから、私は自分の事を幾らでも痛ぶれる。「自分の健康」と「其れを代償に得る利得」を公平に天秤へとかける事が出来て仕舞う。 例えば、「自分はしばしば変な気を起こして、周りが見えなくなるから、ちょいと薬を沢山飲んで無理矢理に気持ちを抑え込もう。」と