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空間と時間を俯瞰する

達人同士の会話には、興味深いものがあります。
 
ショパンコンクール第二位のピアニスト反田恭平さんのラジオ番組に、オーボエ奏者の荒木奏美さんがゲスト出演したときのこと。

反田:荒木さんの演奏には色気があります。一緒に演奏していて、ここに来てほしいというところに、ツボに的確にきてくれるんです。
荒木さんはフレーズの最後まで体で感じているから、ここに来るなと聞いていてもわかります。
 
荒木:ホリガーと共演したとき、頭の音を出した瞬間に第三楽章の終わりまで音が見えたんです。言葉で説明するのは難しいのですが、時間の感じは自分の中にありました。


短い会話ですが、すごく印象的でした。
 
反田さんは荒木さんの演奏を色気があると表現しています。ここでの色気とは、自分の望みを十分に理解してくれて、「痒い所に手が届く」ような対応をしてくれることだと、反田さんは捉えているようです。そして、それができるのは、曲のフレーズの最初から最後までが体にしみこんでいるからではないかと、考えているように思えます。「最後まで体で感じている」というのは、どういうことなんでしょう。プロの演奏家ですから、最後までマスターしているのは当然のこと。曲全体を体で感じているとは?
 
それに対し、荒木さんは演奏の頭で、第三楽章の「最後まで音が見えた」と応えています。聞こえたのではなく「見えた」。しかも、開始時点で、最後まで見えた。
 
これはどういうことなんでしょう。これは想像ですが、最後までの音が俯瞰できたのではないでしょうか。空間を俯瞰することは理解できます。ドローン撮影のように。卓越したラグビー選手は、フィールドでプレイしながら、上空からフィールド全体を俯瞰できるそうです。もちろん頭の中でのイメージで。これと同じことが、時間においても起きているのかもしれません。演奏の開始時点で、最後までの演奏、つまり時間の流れ全体を俯瞰できる。だから、聞こえたのではなく、「見えた」と表現したのでは。「時間の感じ」とは、そういう感覚のことではないでしょうか。反田さんの「最後まで体で感じている」という表現も、時間を俯瞰していることに符合する気がします。
 
これは、時速150kmの剛速球や、鋭い変化球を打ち返すバッターの感覚とも近いかもしれません。ピッチャーの手を離れて、約0.5秒で届くボールに的確に反応できるのは驚異です。それは手を離れた瞬間に、打席までのボールの軌道が「見える」からなのではないでしょうか。無意識に見えるのは、空間なのか時間なのかはよくわかりませんが。
 
卓越した演奏家やスポーツ選手は、鍛錬の結果、こうした時間や空間を俯瞰して見る能力を獲得しているのだと思います。
 
今度は私の実体験も交えて、少し別の例えで考えてみます。
 
私は、能(謡と仕舞)の稽古をしています。仕舞(サンプル動画です)とは、地謡がうたう謡に合わせて能の一部(だいたいハイライト部分)を舞うことです。詞章(歌詞)と体の動きを一体化させるために、詞章も暗記します。暗記は最初から順番にするので、体にしみこませていないと、ある言葉が全体のどの部分にあたるかを、すぐに把握することは案外難しいものです。
 
私の師匠ですら、稽古の時にある部分の詞章(例えば「うち眺めゆけば」)を指摘する際、その箇所を引っ張りだすために、「・・・(前の詞章を早送りのようにつぶやき)・・・うち眺めゆけば」というようなことをしたことがあります。テープに録音した音楽で、聴きたい箇所を早送り再生して見つけるように。(それは稽古をつける場面で、たまたま起きたことです)
 
テープ再生に対して、音楽がデジタルデータになっていれば、必要な部分を簡単にピンポイントで再生できます。最初から最後までが圧縮されている。それが、「最後まで体で感じる」のイメージなのかもしれません。
 
 
私のような未熟な素人は、舞台上で一瞬頭が真っ白になることがあります(なぜ起きるのか、このメカニズムにも関心ありますが)。その時、ある程度詞章と型が体に入っていれば、今謡われている詞章を聞いて曲全体の中での位置を即座に把握し、もとに戻れます。空間でいえば、上空から俯瞰して現在地をピンポイントで把握するようなものです。それと同じことを時間で行う。
 
 
達人は能舞台に上がった瞬間に、三間四方の空間を上空から俯瞰し、さらに最後までの詞章、拍子、囃子、動きの型などが一体となって、しかも時間圧縮されて体の中に立ち現れている(見えている)のではないかと想像します。荒木さんも、そうして最後までの音が見えたのかもしれません。
 
 
能は室町時代から、武士が修得すべき技能でした。戦闘場面において、空間と時間を俯瞰する能力の巧拙が生死を分けた、そして能を通じてその能力を磨いたと考えることもできると思います。
 
このような、空間全体を俯瞰し現在地を把握することや、時間(時代)の流れ全体を俯瞰してその中で特定のタイミングを把握することは、的確な意味づけを可能にするため、音楽やスポーツに限らず、あらゆる人間の営みにおいて有効な能力だと思います。特に、現在のような不確実性が高まる時代においては。
 




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