月下で恋を奏でる 【其ノ肆(終)】
手が悴む。指先が氷に触れた時のように冷たい。
季節はあっという間に移り変わっていくなと、しみじみ感じる。今日は随分冷え込んだ。夜には雪がチラつくとか。
冷えきった手に白い息を吹きかけながら、いつものように神社へと向かう。鳥居をくぐると、いつものように彼女がいた。
「こんなに寒いのに、来てくれてありがとう」
紅は、そう言ってふわっと笑う。とくん、と胸の奥が鳴るのを感じた。
彼女と出会ったばかりの頃は、紅といると落ち着くとか、楽しいと思っていた。今もその感情はきちんとある。でも、あの頃とは違う感情が芽生えて、枝を伸ばしている…って、なんか俺らしくないな。
彼女の隣に座って、また話をする。
「そろそろ冬休みなんだっけ」
「そろそろっても、あと2週間あるけどな」
学生の楽しみの1つである長期休み。宿題も出るから、良いのかどうなのか。ぼやいていると、ひゅうと風が吹いた。体温を奪おうとする風、冬は中々好きになれないな。雪はすきだけど。
「此処は寒いね…良かったら、本殿の中に入らない?」
彼女曰く、本殿の中に僅かなスペースがあるらしい。でも、中って人が入ってもいいのか? いやまぁ、俺は人じゃないけど。彼女に言われるまま、本殿に体を向ける。
「し、失礼します…」
中のスペースは、3畳くらいの広さ。暖房器具があるって訳でもないけど、少し暖かかった。
「2人で入ると少し狭いね」
「でも、風をしのげていいよ。ありがとう」
此処にこんな所があったとはな。寒くないと分からなかった。冬になって良かったな。
彼女と出会って、嫌いなものが好きになっていく。不思議だ。
*
冬休みに入り、数センチだけだけど雪が積もった。家の近くにある池の表面が凍っている。服の中にまで冷気が入り込むのは勘弁してほしい。
長期休みに入ったことで、神社にいられる時間も長くなった。今日も本殿の中を覗いてみる。あの日から、此処で話すようにしているんだ。
「紅…べに!? 」
彼女は本殿の中で横たわっていた。そっと、彼女の首に触れてみる。手のひらからじんわりと熱が伝わってきた。
「発熱…神様の発熱ってどうしたらいいんだ」
人間みたいにすればいいのか? 一先ず、俺の上着を着せて体を温める。凍った空気が俺の体を冷やす。他に何をしたらいいんだ。考えを巡らせていると、聞き慣れた声と共に、紅が目を覚ました。
「こうき」
「紅、大丈夫? 俺は何をすればいい? 」
うっすらと開いた瞳は、俺を映して細くなる。彼女は俺の手を握り、小さな声で言った。
「このままで大丈夫。いつも、冬はこうなっちゃうの。少し寝たら治るから」
軽く頷き、そっと彼女の頭を撫でる。やっぱり、彼女の力が弱まっているのか。だとしたら、怖い。紅を失ってしまいそうで。
冷えきった空気を吸い込み、下腹部に力を込める。そして、ゆっくり息を吐き出す。
「ゆりかごの歌を カナリヤが歌うよ」
秋の終わりに、また歌ってほしいって頼まれたのを思い出した。歌声に僅かな霊力を込める。音に合わせて力を使うのは、1番得意なことだ。少しでも、彼女のためになればいいな。
「ねんねこ ねんねこ ねんねこよ」
穏やかな寝息を立てる彼女。童謡『ゆりかごの歌』の1番を歌い終わると、空気は一気に静まり返った。
紅の黒髪はいつ見ても美しいな。冬の微かな光を浴びて、艷めく髪を見てそう思う。
「好き。紅のことが好き」
思わず零れた声は、空間に溶けていく。彼女に伝わってしまうだろうか。
「私も。私も、光希のことが好きだよ」
柔らかく、優しい声が耳に入ってきた。
「起きてたんだ…」
かっこ悪すぎるだろ。穴があったら入ってしまいたい…。呆れと恥じらいの混ざった感情の中にいると、彼女は言った。
「ねぇ、ずっと一緒にいてくれる? 」
「当たり前」
すかさず返すと、彼女ははにかんだ。
*
それから、一晩中彼女の隣にいた。少しずつ回復する紅と、話したり歌ったり…2人で賑やかな夜を過ごした。
「光希、見て! 」
すっかり元気になった彼女は、子供のようにはしゃぐ。
「あそこ、桜の蕾があるよ」
目を凝らしてみると、10メートルくらい先の桜の木に蕾が、ぽつぽつと姿を現していた。
また、紅と出会った春が来る。あの時と、関係は違うけど。
「咲くのが楽しみだな」
終
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