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月下で恋を奏でる 【其ノ壱】


桜が舞う季節。

やわらかい風が時折吹いては、春の訪れを伝える。冬の凍える寒さはどこへ行ったのやら。
先週から新学期が始まった。
四月は出会いの季節って言う通り、新しい友人にも恵まれた。俺…如月光希にとって人と関わるのは最も重要なことだからな。

元々俺は月に住んでいた。月の神、月夜様の使いとして。"使い"なんて言ってるが、まぁ部下みたいなものだ。昔から人は、月に神が宿っていると伝えてきた。

そんな俺が、月からこの下界に下りてきたのには勿論理由がある。俺が下界に興味を持ったからだ。それ以外に理由はないし、寧ろこれ以外の理由なんてそうないだろう。

1年前、俺は月夜様に直接頼みに行った。下界に下りたいと。正直に言うと、かなり怖かったさ。手は汗で濡れて足は震えた。白に淡い金色が乗った髪を持つ彼、意外にもすんなりと許可は出してくれた。しかし、1つだけ条件があった。それは、1年に1度だけ下界であったことを月で報告すること。だから、初めに言った通り俺にとって人と関わるのは最も重要なことなのさ。

さて、話を戻そうか。
俺は今、学校を終え下校している最中だ。暖かいから徒歩で帰るには丁度いいな。僅かに緑が入っている桜も綺麗だ。軽い足取りで歩いていると、道の先にかなり古い鳥居があることに気がついた。こんな所に神社があるなんて聞いてないが。

石造りの鳥居で、肝心の名前が読めない。近づくと、気に隠れた狐が姿を現す。耳や尾が少し欠けているな。鳥居の前で1礼し、境内に入る。鳥居の中は既に神様の領域だからな。手入れをあまりされていないのか、雑草が生えている。からからと賽銭を投げ入れ、2拍手して手を合わせる。普通ならお願い事をするんだろうけど、俺の場合は挨拶かな。

再度1礼し、顔を上げると何処からか視線を向けられていることに気がついた。それも人の気配ではない。周りを見渡すと、さっと影が動いた。誰だろうか、少し身構えておく。何が狙っているか分からない時は、隙を見せては行けない…ってこれは月夜様の受け売りなんだけど。

「誰かいるんですか? 良ければ姿を見せてください」

怪しいものではありません、と言いたいところだが、それだと完全に不審者の台詞だ。雑草がかさっと音を立てる。拝殿の影から出てきたのは、女性か? 顔が狐の面で隠れていて見えない。しかし、織物のように美しい黒髪が光を浴びて輝いている。この瞬間、俺は感じた。彼女はこの神社の神様だと。

「初めまして。私は光希、月の神である月夜様の使いです。貴女は?」

彼女はあたふたした後、少し顔を隠す。いや、面を隠すと言った方が正しいか。でもすぐに何処かから、声が聞こえてきた。

『すみません。誰かと話すのは久しぶりで、えっと…』

少し機械的、例えるなら電話越しに聞こえる声…でも感情が感じられないな。まぁ、彼女の口から出た声ではないことは確かだろう。

「そんなにかしこまらないでください」

立場的には彼女の方が上だ。敬語を使われるのは少し気まずいものがある。

『いや、あの、誰かと話すのは久しぶりで、こう、念を送る形になってしまって…すみません』

なるほど念だったか。まぁ、どんな形であれ話してくれるだけで俺は嬉しい。彼女は俺の様子を伺うように、じっと視線を送る。

「全然大丈夫ですよ。そうだ、どうお呼びすればいいですか? お名前が知りたいです」

少し考え込んだあと、すぐに念を送ってきた。

『では…紅とお呼びください。あと、敬語でなくても構いませんよ』

さっきより抑揚のある声が届いた。

「分かりました。ではお互い敬語はやめるということで」

俺はよく謙虚じゃないとか、騒がしいとか言われるけど、俺にだって常識も謙虚さもきちんとある。騒がしいのは否定しないけど。

太陽は既に傾いている。空が燃えてるってか。薄暗い雲も浮かんでいる。彼女…紅には別れを告げ、家へと向かう。月夜様以外の神様と呼ばれる方に会ったのは初めてだな。また明日も行ってみようか。

*

6校時の授業。

たしか、日本史か。言ってなかったけど、下界での俺は高校生だ。本来の年齢は300…何歳だっけな。最前列で堂々と顔を伏せている俺に、先生は何度も声を掛けてくる。頭と瞼がずっしりと重い。ふわふわする意識の中で、ぼんやりと浮かぶのはあの神社。そうだ、あそこには桜の木が無かったな。

日直の号令で目が覚めた。
6校時に寝るのは日課みたいなものだ。仕方がない。

「おっ、あった、あった」

学校の中庭には5~6本くらい桜の木があるんだ。今は丁度散っている頃。木の元には5枚花びらがついたものが幾つか落ちている。

学校から神社までは約4分。軽くスキップしていると、3分くらいで着いた。1礼し、境内へ入ると紅がひょこっと顔を出した。俺の気配でも分かるのか…?

「こんにちは。今日はお土産を持ってきたんだ」

こてんと首を傾げる。可愛いな、幼い少女みたいだ。花を入れた袋を取り出して、紅に手を差し出すように言う。彼女の小さな手に桜を乗せると、そのまま固まっていた。顔が見れたらいいんだけどな。

『凄く、綺麗…わざわざありがとう』

昨日の機械を思わせる声に、少しだけ感情が乗っている。喜んでもらえて良かった。誰かに贈り物をするのって、こんなに楽しいことなのか。今まで何かを貰ってばかりだったから、知らなかった。

『そうだ。こっちに来て』

優しい声についていくと、拝殿の裏に出た。彼女がそっと指をさした先には、青々とした紅葉があった。春だし、まだ色付いてないようだ。紅は木の下に行く。ついて来いってことか。木の下に入り、彼女の真似をして上を見上げる。

すると、紅葉の隙間から光が直接届いた。春の優しい日差しは、きらきらと輝いて見える。少し隙間から零れた光はスポットライトのように、空気をほんのりと照らす。太陽の光は、紅葉の緑と相性がいい。息を飲んで見ていると、声が届いた。

『紅葉は秋って思われるけど、緑の紅葉も綺麗でしょう』

彼女の言葉に軽く頷く。秋だけじゃないのか。

『ささやかだけど、桜のお礼』

そう言い、優しく微笑んだ。顔は見えないはずなのに、不思議とそう思った。いつか、紅の顔が見てみたい。もし、彼女が許すのなら。

【其ノ二へ続く】

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