月下で恋を歌う 伍
放課後はいつも部室に行っていたが、それも終わり、のろのろと家に帰る。これが元々だったな。いつも通る階段ではない方から帰ろうと自分が語りかけてくる。逆の階段は人が少ないから自分のペースを守れるしな。
踊り場まで行ったところで上から人が…否、雪華が降ってくるのが見えた。他には誰もいない。足を滑らせたか。腕を伸ばすも届きそうにもない。
どうするか、そう思った時彼女の体に淡い光が集まるのが見えた。しまった。学校では人の姿だが、使いとしての力が使えないわけではない。雪華はふわっと俺の腕の中に落ち、すっぽりと収まった。
「大丈夫か?」
色々と状況が分かっていないのか、彼女は少し固まっていた。
「階段から落ちてきたんだよ。ったく」
目を見開いたまま言った。
「ご、ごめん。ありがとう」
ほんのりと耳が赤くなっているのが見えた。降ろして、そのまま立ち去ろうとしたら呼び止められた。
「あ、あの…さっきの星がしたの? 」
やっぱりバレてたか。咄嗟だったとはいえ、もう少し上手く隠すべきだった。まだまだ未熟だな。答えない俺に追い討ちをかけるように言った。
「星って何者なの? 」
話すしかないか。此処じゃ他の人が来る可能性がないとはいえない。場所を変えよう。絶対に人が来ないところといえば、屋上か。
…此処に来る時に月夜様に聞いたことがあった。もし、俺の正体が露見したらどうするのかと。すると彼は当然のように言った。
「別にどうもしないよ。だって俺らは信仰されるべき存在だ。隠すかどうかは君に任せる」
俺は下手に目立つのが嫌いだ。だから、他の人には隠してきたが、もう頃合いなのか。少しひんやりとした風が俺らの間を吹き抜ける。
「雪華は神様って信じるか? 」
首を縦に振る彼女に、俺は全てを話した。何分かかっただろう、何度もつっかかったりしながら、できるだけ分かりやすく話した。話し終わった頃には赤い光が俺を照らしていた。
「信じてもらえるかは分からないが、俺はそういう存在だ」
「そうだっんだ。何か色々と腑に落ちたよ」
色々と…? 他に何かしたのか、俺。頭にハテナマークを浮かべていると彼女は言った。
「階段のもだけど、初めて歌を聴いた時にも不思議な光を纏ってるように見えたから」
よく歌っている時に力が漏れやすいって言われていたのに、不注意だったな。人の体にも慣れてなかったからか。膝から崩れ落ちたいのを堪え、ため息を吐く。
「あと、他の奴らには黙っててほしいんだが」
分かってる、と雪華は何故か寂しそうに笑った。胸が締め付けられる。何だこれ。そういえば、この前からそうだったな。違和感がしこりのように残っている。
俺はいつもこうだ。細かいことは気がつくのに、肝心なことが分からない。
「な、なぁ最近っていうか少し前くらいから、俺に対する態度が少し変じゃないか? 」
これが聞いてもいい事なのか分からなかった。でも、俺が原因ならそれなりの事は出来るかもしれない。彼女は頬を赤く染めて言った。
「…好きだから、だよ。星のことが。でも……」
そこまで言って口を噤んだ。俺が、人じゃないから…諦めてるってことか?分からない。
ズキっと何処が痛んで、肺が押しつぶされそうな程苦しい。好きだと言われたら嬉しいはずなのに、何故だ。少し目の前がぐらついた。俺は、何も言えなかった。
**
目の前がぐらついたのは、気持ちのせいだけではなかったようだ。突発的に力を使ったせいで、体に負担がかかったらしい。倦怠感、発熱といった症状が出る。風邪とは違うが明日は学校を休むしかないのか。
こうなるのは久々だ…100年ぶりくらいだろうか。ベッドに倒れ込み、そのまま眠り落ちた。目覚めたのは朝6時。1晩で治るわけもなく、学校に連絡を入れる。
何も口にせずに寝たため、空腹だった。体を引きずり、冷蔵庫を覗くと幾つか果物があった。舌がぼやけていて味はよく分からなかったが、取り敢えず食べられればいい。体は思うように動かない。ベッドに着いた途端に、再び意識は飛んだ。物を触れずに動かすのは得意だが、人を動かすのは無理があったか。
何時間経ったかはよく分からない。玄関からインターホンの音がして目が覚めた。回復したのか、体は軽くなっている。訪ねてきたのは光希だった。
「雪華から聞いた。無理したんだな」
ああ、と返事をする。表情から察するに説教をしに来たわけではないようだが。
「あと、その後のことも」
そのあと…苦いものが込み上げてくるのを感じた。未だにこの感情が分からない。
「正直、お前はどう思った? 」
口を開かない俺に言った。
「嬉しかった。でも、それ以上に…苦しかった」
俺が人ではないことを忘れていた訳では無い。でも、改めてそれを突きつけられた。彼女も無理をしていたんだなと思うと、苦しかった。あんな表情は見たくない。今も苦しい。いつの間にか涙が出ていたようだ。輪郭から水が滴る。
「じゃあ、それが答えなんじゃねーの? 珍しいことか? 俺らが人を好きになるって」
向こうにいた時も、誰かが人を連れてくるのを見かけることは少なくなかった。人でも許可さえ下りれば、月に来ることは可能だ。でも、そうすると人は人ではないものになる。
形は変わらないが、寿命がかなり長くなる、というか不老不死に近いものになってしまう。とはいえ、色々と考えても仕方ない。
「っていうかさ、気づいてなかったんだ? お前も雪華と話す時だけ声が変わってたの」
「…は? いつから?」
笑みを浮かべて、文化祭くらいと答える。自分の気持ちにすら、気づいてなかったのか俺は。菫や光希から人間関係についても不器用だって言われていた理由がようやく分かった。
「この、にぶちんが」
そう言って、俺のおでこを指で弾く。じんとした痛みを感じた。明日、もう1度話してみるか。
陸に続く
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