不安障害と私
これを書いたところで何か変わる訳でもなければ、同情を買いたい訳でも、悲劇のヒロインを演じたい訳でもないことを先に書いておきます。
これはただ、認知療法の一環だと思ってください。
さてはて前置きが長くなりましたが、私と不安障害(以下コイツ)の付き合いも長いものです。
小学生の頃から何となく死んでしまいたいという感情が生まれ、中学で自傷行為というものを知りました。そして高校生になった頃には完全に希死念慮に囚われていました。
だからと言って根暗な性格ではありませんでした。
どちらかと言えば明るい性格だと思います。会った事がある人は分かるかと思います。
要は外面と内面で全く違う私が棲んでいた訳です。
それを20ウン年続け、自分でも心配しながらも自分のような人の拠り所になりたくて今の職に就きました。
だいたい勘は当たるものです。
1年目は研修や覚えることが多すぎてすぐに過ぎ去りましたが、2年目になってコイツはやってきました。
2年目になり任される事が増え、相性の悪い上司と組む事になり地道に心が蝕まれていきました。
そして頼りにしていた人に相談をしに行くことを遠回しに相性の悪い上司から止められました。
「あなたがやっている行為は他人の時間を奪う行為だ」「これくらいやって当たり前だ」
この言葉たちは棘となって今も私に深く刺さったままです。
丁度コロナ禍も相まって手詰まりを起こした頃、過呼吸が頻発するようになり、職場に行くと吐き気をもよおし、職場では食べる事が出来なくなりました。
夜ベッドに入ると極彩色の何かが襲ってきて眠れないそんな日が続き、心療内科に行くことを決意しました。
2回目くらいの診察の前に同僚と話していて
「あなた、治す気ないでしょ。あったら今頃休んでる。」
と言われ、今までどうにか保ちながら責任感と使命感だけで働いていた私の中で何かが崩れる音がしました。
「パニック発作ですね。鬱症状も出ているので休職した方が良いです。」
最初の診断名でした。でも発作だし、症状だし、と自分を騙して休職することを放棄しました。
休みが増えると職場からの視線は冷たくなっていきました。今となってはそら何も言ってないからサボりと思われてもしょうがないなと考えられますが、当時の私を追い込むには十分でした。
通院して2ヶ月くらい経ち、自律神経失調症と診断名が変わりました。
パニック発作の回数も変わらない、何なら1回1回の発作が酷くなっていく。
でも外では明るい私じゃなきゃいけない。
治療を始めて5年が経ちました。5年前に刺された棘が取れないままコンプレックスと化し、こんな人間誰が受け入れてくれるんだと諦めを抱きました。
そして今年、安定期が多くはなってきたものの、落ちた時の症状が以前より酷くなって来たため薬は増量。診断名は不安障害になりました。
良くなっているのか悪くなっているのか。受け止めてくれる人はいるのか、独りでひっそりと消えてしまおうか。そんな事を考えているうちにそれでもいいと言ってくれる人が増えてきました。
まだまだメンタルが不安定すぎる私でそれを表立って言うことが恥ずかしく、コンプレックスのままです。
それでも私は生きています。
というか勝手に時が流れてます。
だから今はその流れに任せようと思います。
発作も収まらないし、薬の種類は減ったけど1つ1つが増量されてるけど、とりあえずコイツと共同生活してます。
治る日は来るんですかね。
最初にも言いましたが、これは私の不幸な話ではなく、悲劇のヒロインになりたい訳でもなく、認知の一環です。
なんだかんだで笑って生きてますよ。
言わなければコイツと共存してるなんて分らせないようにしてますよ。
でも世の中にはそう出来ない人がたくさんいるので、どうかこれを読んだあなたの心が少しでも温かいものになってくれること、些細な言葉でも何年も刺さり続ける棘になることを覚えていてくれることを願っています。
長々と最後まで付き合ってくれてありがとうございました。