読(web)書日記 2024/4/26
『応答責任』について考える日々。大人の責任として、自分の使える特権や能力を使って、厳しく自分に突きつけつつそれぞれ格闘している「大人」たちが自分より下の世代の人たちばかりというところに感じる希望(クレバーで勇気のある若い大人たちに)と絶望(自分と同世代以上の無邪気や無気力な中高年の大人たちに)。
昨年の国会前での高橋一(マコイチ)さんのスピーチを覚えている方もいらっしゃると思いますが、そこから更に視野と出来ることを着実に広げていて、現場第一主義になりがちな社会運動も(現場が重要なのは勿論の上で)こうして各自が各所で出来ることを模索していくことで変化を生むことが出来るのではないかと希望を感じます。
昨年のスピーチ全文が入った記事はこちら。1年経ってその言葉を読み比べると、より先へと進まれていることが分かると思います。
以前アルビジアさんと、同じくオリジナルアクセサリーを京都で作っていらっしゃるnichi nichiさんのお二人で発行したフリーペーパー『反骨装身具通信』(最高なタイトル)を「スナック社会科で配布させて欲しい」と申し出てからのご縁で、やっていることは全く違うのだけどエールを送り合うアルビジアさんの記事。ちなみに会った事はまだない(笑)。
以前、アルビジアさんのジュエリーは素敵だけど今の私には買えないなーと呟いたら「ジュエリーは歳を取るのを楽しくするアイテムなので、サトマキさんの人生のタイミングでご来店いただければ!」とリプをいただきシビれました。「人生のタイミング」!、射程長すぎ!ブームや世代、時代なんぞに囚われないものづくりをする気骨を感じました。しかし、贅沢品であるからこそ、社会が良くないと困るというのは本当にそうだと思うのですよね。黙ってやり過ごすこと、仕事ではなく作業に逃げてものを考えることをやめること、もうそれで自分と身の回りだけは逃げ切れる…というタームはとっくに過ぎたと思っています。「大人」で「仕事」を大切にするからこそ声を上げていくべきでは?とアルビジアさんのインタビューを読んで改めて思いました。
そして、本日は仕事帰りにこちらに途中参加してきたのですが、前回のおでん会に来て下さったお若い皆さんが次々にスピーチで壇上にあがり、力強いスピーチをされていてリスペクトするとともに恥ずかしい気持ちでいっぱい。なんで若いひとたちにこんなことさせてるんだろう。なんで若いひとたちが自分より上の世代たちがサボってきたことを引き受けなきゃいけないんだろう。
ある人は「マジョリティである自分の責任」を話してた。ある人は入管法の中の「永住権取消し」について「(日本政府を)軽蔑します」と力強く吐き捨てた。ある人は、個人で寄付を募ってパレスチナの友人たちに送金していると言って「なんで国がやんないの??」って泣きながら叫んでいた。
これらに大人はどう応えますか?冷笑?皮肉?発言の本意と関係ない外見や言葉遣いの揶揄?もうそういうの見飽きたし、うんざりしている。1ミリも生産性も前進もない。
そして、大人の応答責任を考えたときに、数少ない見上げる大人であるケン・ローチのインタビューも読むべきところがたくさん。
前作『Sorry,I miss you』が『家族を思うとき』とくそみたいなタイトルに邦訳されたり(が、全人類に観てほしい1本です。)、「弱者に寄り添う視点」みたいな優しさ語りされたりしがちなケン・ローチ監督ですが、一貫してクールでストイックな方だと思います(もちろん優しい人でもあるのでしょうが優しさなんぞでは何も解決しないということも良く分かっておられる方だと思っています)。
あと、これはおまけですが、イスラエルのネタニヤフ首相に「反ユダヤ主義」と言われカンカンに怒るバーニー・サンダース氏。元気出る。こういう不正義に対してカンカンに怒る大人がいないことがそもそも問題。
話は飛ぶけど、スナック社会科をやっていて、今まで様々な方にご出演いただきましたが、自分より年上のゲストを呼んだことは実は一回しかなくて(藤井誠二氏)、年令で選んでいるわけではなく、「この人の話を聞きたい!それをシェアしたい!」と思う人が結果的に全員自分より若い人たちばかりという。
そして上記に引用した方々(国会前のデモ含め)も若い人と、自分より更に上の世代の人で国外の人(ケン・ローチとバーニー・サンダース)で、本当に引きたくなる中高年がいない。凄い人数が多いはずの団塊ジュニアが丸々空洞化。このことをどう捉えたらいいのかもずっと考えています。
昨日の帰りも大変だったのですが、たまに都心に出ると人身事故が多くて、毎日都心に通勤していた頃もその度にしんどくなってたことを思い出します。いつだって死は隣りにあります。自分の生に含まれています。それがガザでも新宿駅でも、「今ここでじゃないでしょう?」というところで選択してしまう、追いこまれてしまう、そもそも選択肢がない、その理不尽と不均衡にずっと怒りがあります。その理不尽と不均衡を作り出しているのはこの社会なので、この社会で生きる我々全員が無関係ではありません。自分にも向きます。
地獄を上手に乗りこなす方法が商売になる昨今ですが、地獄に過剰適応する必要はないだろうと思います。地獄化を止めることや、なんで地獄になったのか考えるほうが先じゃね?
飛ばした話を引っ張ってしまった。オチもまとめもないのでこのへんで。やはり社会科で資本主義やらなきゃなー。