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ふれしゃかフェスに行ってきた

 12月7日(土)田原町readin'writin'にて開催のふれしゃかフェスに行ってきました。"ふれしゃかフェス"とは「ふれる社会学」を編集・執筆した社会学研究者のケイン樹里安さんと上原健太郎さんを中心に、同書の各章執筆者たちがその日その時限りのメンバーと場所(主に書店)でお話するシリーズイベントです。
 本好きとしては、書店は出会いの場で、読書は旅で、本は新しい窓で、新しい友人って思っているけど、それが具現化されるような面白い試み。
行脚が始まってからハッシュタグで追っていると当日の模様や感想などから次第に、肉、ビール、肉、ビール、ビールと流れていく様に当方「スナック社会科」としても、これはその流れに参加したい!、せねば、と。

 当日の登壇者は、ケインさん、上原さんに加えて、第2章で「飯テロにふれる」を執筆した菊池哲彦さんと、第9章で「レインボーにふれる」を執筆した中村香住さん。
 中村さんはメイドカフェを題材に研究をしていて、「なぜジェンダー研究者がメイドカフェか?」というところから、当初感じた違和感からその先へ進み、強制労働か自由意志かの是非が問われてきたSW(セックスワーク)の中で、メイドカフェのメイドさんは「数ある仕事の中からメイドという労働を選択した女性であり(他の労働を選ぶ女性と同じように)」→「強制労働は考え辛い」

けれども「可愛さ」にお金が払われる自己承認を満たす構図もある。
(望まれる可愛い女性像の強要と搾取という側面)

完全に「自由意志」とは言い切れない。
 というお話に、ケインさんから「授業を受け持つ看護学校の生徒さん(女性が多い)たちが、この章を食い入るように読んでいた」いうような発言があり、看護「婦」から看護「士」と名称が変わって、男性の看護師も増えて来たけど、やはり看護師さんに看護婦のイメージ(白衣の天使)を求める人はまだ根強そうだし(ケインさんいわく「ジェンダーの分業としての看護婦さん」だった過去)、当の看護師さんたちには求められるものと自分たちの職業意識の間にギャップが生まれるのかなーと思った。
 ジェンダーの分業というものが広義のSWに入るのかとも思うし、そう思うとSW自体も分けて考えるような特殊な仕事ではないなーと思ったり。表向き平等で雇用均等されている会社勤めの仕事にしても、女性「性」や男性「性」を求められることはまだまだ多いし、表向き平等なだけに見え辛く、自分でも気付かぬまま搾取されていたのかーってことも今思えばあるし、自分には全く縁のないメイドカフェというものも、窓の一つになるな、と。
(そして、メイドカフェについてはその後の飲みで、面白いことを提唱しているしている人との出会いがあり、奥深さと自分が知らなかっただけで凄い発展していることを知るのでした。)

 続いて「飯テロ」を取り上げた菊池さん。「食事」というものが持つ、包摂と寛容についてというところから(「反中って言ってる人も餃子やラーメンを食べるし、嫌韓な人だって焼き肉を食べる。」)、「食事」と「写真」が合わさった「飯テロ」の「写真」がそもそも持つ力のお話。
 「ふれる社会学」の英題が「Tracing the outline of society」で、ここの"tracing"と"ふれる"を英訳した"touch"の違いに着目。ロランバルトの言葉を引用しながら、触れてその先へ行く可能性を秘めた写真の持つ物質性について、何かを見る(視覚)→写真に撮る(物質化)→視覚を乗り越えて触れる→触れないと深堀にならない。
 TLにグッとくる写真が流れてくると「ちくしょー」と思ってしまうよくある飯テロも社会行動の一環で、深堀することでそこから見えてくる、または飯テロを投下してしまう自分を知ることにも繋がるんだなと思いました。書籍本文ではもっと深く分かりやすく書かれています。

 そして、そこから皆さんそれぞれが社会学にふれたきっかけについての話が続きます。中村さんのお話も、菊池さんのお話も、もっと唸ることをたくさん話されていたのですが、唸っていてメモを取れなかった箇所が多いのでざっくりですみません。

 印象に残ったのは上原健太郎さんが、地元、沖縄の同級生は中高卒で働く人が多いこと、自分はたまたまスポーツ推薦で大学に進学したけど、就活の時期を迎えて感じた違和感。地元の友人たちとのギャップ。そして、ブラック企業について、「ブラック企業だから辞めたほうがいいよ」という正論は、そこで自己承認を得たり、やり甲斐を見出してる人には届かない、という気持ち。
 そんなところから今のご自身の研究に繋がっているという話を聞いて、そういう違和感あるある!と思うと同時に、社会学というのは違和感や戸惑いが社会ってふんわりしたものの中で人にとってどういう位置づけであるのか、どういう構造で生まれたのかを解き明かして行く学問なんだなと思ったり。
 そこに、店主の落合さんがこの場所で書店を始めたいきさつ、棚の作り方についてのお話があって、場所が決まったのも本当にたまたま近所の別の場所を見に来て、今のお店の隣の喫茶店に入って話をしてたら「隣が空いてるよ」から、あれよあれよと決まり、棚の構成についても登壇者たちが思い思いに「この流れは」「この並びは」と思っていたら、大まかなジャンル以外は特に考えていないとのお答え。
 この日、セレンディピティという言葉をやたら聞いたのですが、上原さんと落合さんのお話に、「これか!」と思ったのでした。

 私は若い頃、全然勉強してこなかったし、大学も行ってないし、でも、何かにぶち当たった時にたまたま読んだ本に救われたり、次の一歩が想定外の場所に行ったり、ということを繰り返して来て、歳を取って社会科や社会学に目が向き始めたのも、「たまたま」流れてきて今ここにいることと身の回りで起きていることの相対化というか答え合わせがしたいのかなーと思いました。そして、情報ばっかりがどんどん増えて濁流のように流れる中で取捨選択のための視点や作法を学ぶ、というか。
 学生さんにはきっと良いだろうけど、年寄りにとっても充分面白く、編者がとことんこだわった「ふれる」という距離感と当たり前に転がってるものばかりの各章のテーマ設定が、門外漢にも扉を開けやすい作りの本で、このイベントもそんな雰囲気に溢れていたのでした。
 まだまだ続くふれしゃかツアー、お近くに来た際には是非〜。
年内ラストは鳥取。「よい移民」の翻訳者、栢木清吾さん(差別にふれる)、稲津秀樹さん(魂にふれる)のお二人がゲスト。シビアで話し辛いことをふれしゃか的にどう展開するのか、行きたいけど日帰り出来る距離じゃないので無理(泣)。
 年明け一発目は大阪で「岸政彦にふれる」。若手学者が大先輩に当たって砕け散る様が見れるのか、はたまた飲んで食べて大団円か、こちらは行こうか悩み中。
https://twitter.com/Juli1juli1/status/1203903727083458560?s=19
https://twitter.com/Juli1juli1/status/1204687447935684608?s=19


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