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「『プラットフォーム資本主義を解読する』を解読する」についていくつか③

 10/1(日)京都伏見「絵本のこたち」にて、スナック社会科meets絵本のこたち#02「『プラットフォーム資本主義を解読する』を解読する」を開催致します!会場チケットは完売しましたが、配信チケットは当日のお昼まで(コンビニ払いは前日まで)販売しています!

 当日まで、プラ解を読んで思い出した本や、繋がった本をぽつぽつ書いていく日記(?)3日目です。

 今日はプラ解を読んでいてグッと来た箇所と、そこが私の中で繋がったいくつかを。

インターネットからプラットフォームへ

かつては、インターネット(ワールド・ワイド・ウェブ)は自由で平等なコミュニケーションを実現するものであり、それは情報テクノロジーがもたらした革命的変化だと考えられていた。

Chapter01 プラットフォーム資本とは何か 山本 p12

かつて「インターネット」と呼ばれていた非営利志向の公的な性質を留めた仕組みから、新たに「プラットフォーム」と名乗るようになった私的に所有されたオンライン・サービスの複合体へと移り変わっていったのである。

Chapter12 プラットフォーム資本主義を解読するための視座 水嶋 p167

  「プラットフォーム資本主義を解読する」(以下本書)の中でビッグテック各社の名前が出てきますが、まだTwitterはイーロン・マスク氏に買収されたところまででXにはなっていません。マスク氏の社内改革(改悪?)、それに伴うTwitterの仕様変更、挙げ句の果てに「X」と冠名を変えるに至り、かつてはTwitterだったものから離れたユーザーは沢山いることと思います。自称ツイ廃としてTwitterからたくさんの恩恵を受けた私も今月いっぱい(2023年9月)で離れようと思っています。
 マスク氏が過剰なまでにXをアテンション・エコノミー※1に特化したSNSに改悪しようと突き進む様はとても目立つものですが、では他のSNSはそうではないのか、他のプラットフォーム企業はそうではないのか、というとマスク氏のようにわざわざ公言しないだけで各社ごとにユーザーを取り込み、ユーザーの無償労働※2の提供を資源としているところは一緒だと思います。
 ツイ廃と言いながらSNSを始めたのが遅かった私は当時を知らないのですが、東日本大震災が起こった時に、情報が遮断された中で連絡を取り合い、必要な情報を拡散し、ニュースには流れない各地の状況を知り、それ以降ユーザーが一気に増えたそうです。私も使い始めてからはどこかで災害があると#ハッシュタグで大事そうな情報を拡散したり、スレッドで繋げたりという使い方をしていました。
 そうした動きは日本だけでなく、世界中で起こり、そうしてSNSは社会インフラ的な役割を強めていったと思いますが、結局は民間企業なんだよな、と思いださせてくれたのもマスク氏であったと思います。本書ではその「結局は民間企業なんだよな」という民間企業であるプラットフォーム企業がどのように私たちの生活に入り込み、この常時接続社会のどんな側面から支配するようになったか(収益を上げるようになったか)が書かれていますが、私は読みながらずっと批評家で編集者である宇野常寛氏の言葉や著書を思い出していました。

 宇野氏もプラットフォームの現状に以前から危機感を抱いていて、やはりそれは冒頭引用したふたつの言葉のような「かつて」を知っているからであろうと思います。そして、上記引用のひとつ目「遅いインターネット宣言2020」にある鎌倉のエピソードはその「かつて」を思い起こさせるものだと思います。私もスナック社会科の企画でオファーを出す時は企画書をTwitterのDMで送ったり、所属事務所の問い合わせのフォームから送ったり、ゼロの状態から立ち上げ、各SNSで告知し、相互フォロワーと初めて対面したり、慣れなれしく話しているけど全員ほぼ初対面という場を作ってきたのでグッと来るものがあります。
 上記、宣言にもあるとおり、宇野氏は当時からの活動や運動を続けていて、今はそれが「庭プロジェクト」という形に発展している。こちらは上記引用の「遅いインターネット」ホームページに活動レポートが上がっているので是非読んで欲しい。また文芸誌の群像で「庭の話」として、そのマインドの部分を文章化されたものが連載されているのでそちらも読んでいただきたい。

 宇野ファンなのでアツくなってると思われる方もいらっしゃると思いますが、宇野氏の出す本や活動をずっと追っているなかで、自分の抱いていた絶望と希望が言語化される喜びのようなものがあるのですが、それはこのプラ解を読んでいても感じたことで、やはりちゃんと絶望しないと希望は抱けないのだと思うのですよね。ちゃんと絶望するためには、しっかり現状を把握しなければいけない、全ては無理だとしてもそういう気持ちは持ち続けなければいけない、その上で希望を語りたい。という、「希望」の萌芽は本書にも、宇野氏の「庭」にも感じており、それは宇野氏の言うところの「あたらしくて古い問題」であり、それは本書の編著者のお一人である山本泰三氏の前編著書「認知資本主義」と本書を合わせて読んでも感じた旧来の資本主義から認知資本主義に至って新しい技術が数々生まれ産業構造が変わっても、プレイヤーが変わっても資本から搾取される庶民(植民地化)という構造は変わらないことにもつながると思います。
 自分がSNSやインターネットを使いながら、スナック社会科をやりながら、賃労働しながら、毎日の生活を送りながら、宇野氏の連載や著書を読みながら(他も読みながら)ぼんやり考えていたこと問題意識をもっていたこと、それがプラ解を読んだ時にカチッとピースがハマった気がしたのでした。
 こういうひたすら本を読みながら世界が見えた気がする一瞬というのは(あくまで一瞬ですが)何よりも本読みとしては嬉しい瞬間で、「1冊の本を媒介として著者を呼ぶ」という8月から始めた「絵本のこたち」さんとの共同企画は本当にベストな場で、絵本のこたち、という店舗が持つ小さいお店だけど開放的な空間という場所の力もおおいにあり、それは店主の熊谷さんによるものであり、熊谷さんと出会えたのもケイン樹里安氏を介してのTwitterの相互フォローから始まったので、それをインターネットの「かつて」として懐かしむのではなく、今のこの現状にしっかり絶望して常時接続の世界から抜け出るために(支配から逃れるために)もプラットフォームを利用しながらも、仮想空間と実空間を行き来することが重要なのだと思うし、そのために本書は本でありながら地図であり、眼鏡でもある有効なツールで、これを持って今まで読んだ本やいま現実に起きている事象を眺めた時にまた違った側面が見えると思います。
 そこが私が宇野氏の仕事とプラ解を繋げる一番の理由でもあります。なぜかリベラルなひとたちに嫌われがちな宇野氏ですが、食わず嫌いな人もふれてみてほしいと思います。(ちなみに上記引用した宇野氏の著書「遅いインターネット」はこれまた嫌われがちな箕輪厚介氏が編集であとがきを成田悠輔氏が書かれているのですが、箕輪厚介氏はさておき、成田氏のあとがきは一読されると意外さを感じるかもしれません。私はこういう人だという印象が強いので、昨今の胡散臭いイメージがどうも馴染まないのです。普段からちゃんとやればいいのに、とも思いますが。)話がそれました。そこの判断はご自由に。

 最後に上記を引用。プラ解を読まれた人にはグッと来ると思います。
では賃労働に行ってきます。

※1 アテンション・エコノミー
アテンション(注意・関心)をいかに引き付け、掻き立て、獲得するか。そのために投じられる資本や、アテンションを引き付けることで回る経済構造などの総称。

※2 ユーザーの無償労働
ユーザーが使えば使うほど、プラットフォーム企業にはデータが蓄積され、それを加工して売買すること、表示広告の精度を上げること、アルゴリズムの精度をあげることなどの利益がある。


(少々誤字と語尾を直しました)

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