読書日記 2024/04/18
面白すぎた。
こちらは森元斎著『死なないための暴力論』(集英社インターナショナル新書)の注釈におすすめで出てて手に取ってみたもの。著者はフランス在住の言語学者の方で、フランスからトルコへ言語採集の旅に出向いた際のエッセイ。
オスマン帝国崩壊後、政教分離で世俗的で単一言語を話すトルコ共和国が建国されたけれどもそれは表向きの顔であり、沢山の言語と少数民族が存在し、そこには差別と統合の圧力もあり、ということが著者が小さな村から村へと言語採集とともに旅を続ける訥々としたエッセイからどんどん浮かび上がってくるというもの。ちょっと固い高野秀行とでもいうか。初版は1991年だけど、トルコのことを公式発表と自分の知ってた中でしか知らなかった私には初めて知ることばかり。っていうか、自分で書いて気付いたけど、この
>オスマン帝国崩壊後、政教分離で世俗的で単一言語を話すトルコ共和国が建国されたけれどもそれは表向きの顔であり、沢山の言語と少数民族が存在し、そこには差別と統合の圧力もあり…
って、オスマンを大日本、トルコ共和国を日本に置き換えたらまんま本邦じゃん。っていう。
植民地化の一側面である言語を奪うということと、それを守ったり取り返したり抵抗する人たちがいること、これは日本もやってきたことで、沖縄や奄美出身で方言札を首にかけられたことを覚えている人はまだ存命している(また、本書を読むと別の言語であるにも関わらず支配者側は統合のために「同じ言語の方言」と主張し、別の言語体系であることを認めないことなど凄い考えさせられる)。
先日の金沢で、山本浩貴さんが「外国にでたら英語が共通語なのも腹立つ」というようなことをもっとやんわりとした言葉でぽつっと仰っていましたが、日本が大日本帝国時代に他国を侵略しては言語を奪い、日本語を強要してきた歴史を思うと、大英帝国とそこから飛び出したアメリカ合衆国は英語で、フランスはフランス語で、そしてスペイン語、ポルトガル語…とかつての帝国側の勝者や侵略者側の言語による統合と支配というものをアジアで同じようにやっていたのだなあと。
※日本がどのように言葉を奪い、また奪われる側が守ろうとしたのかは上記の映画が参考になります。
やはり言語でものを考えるので、その言語で自分が形づくられていく側面はあると思うし、それを奪われるということは日本を出て暮らしたことのない日本人マジョリティの自分には想像しづらい。本書はその想像しづらい部分を補って余りあるものでした。
著者が各集落や人びとに愛情とリスペクトをもって対話を重ねていく中で、よりその非道さが浮かび上がってくる。また、自分たちの言語を使うことが生き死にと隣り合わせの民族の人たちとの交流で、著者がピンチに陥った時にその村の人と「歌」を交わすことで味方と気付いてもらえ助けられるという場面も。話せないひとたちの解放としての歌、抵抗できない人たちの解放としてのダンスと同じように、こういう歌も世界のあちこちにあって、歌い継がれて守られることもあれば、消えてゆくものもあるのだろうと思います(本書では著者が採譜して楽譜と歌詞も載っています。消すまい、という執念を感じます)。
また、トルコの少数民族と言えばクルド人、と思い浮かぶ人は多いと思いますが(私もそうでした)、たしかにクルド人は人数も多く、クルディスタン自治領も広いためしばしば登場するのですが、広くて多いためにそこにもグラデーションがあり、当たり前だけど全てがPKKではない(ということにトルコはしたいんだろうけど、これはパレスチナ人は全員ハマスというイスラエルと変わらないよね)し、本当にたくさんの少数民族が出てくる。オスマントルコ帝国が頒布を広げに広げただけあってルーツもヨーロッパ側からアジア側に至るまで様々で、とても単純化できるものではない。
そのルーツや背景を出来るだけ丁寧に聞き取り、書き留められていて、日本にもクルドの人はたくさんいるし、命からがらで日本に来た1世の人も多いと思うので、その理解にも繋がるのではないのかなあと思います。
また言語と同じくらい信仰にも多様さがあり、このルーツだからこの宗教、とは簡単に分けられない。こういうところも葬式は仏教、挙式は神社や教会であげ、クリスマスにはケーキ食べて、節分に豆をまく節操のない日本人マジョリティには理解の助けになるところでした。
本当に知らないことが多すぎる。1知ると100知らないに出会う日々。でも知らないことは知るしかない。著者の旅の終わりとともに読了。久しぶりに読み終わりたくない本でした。この本も5/4の古本市に持って行きます!誰かのところに繋がって良い旅を続けていただければ!