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スナック社会科vol.8「『なぜガザなのか』なのかを早尾貴紀さんに聞く」が終わりました②

 この週末から週明け7日というガザ蜂起から1年の日にかけて全国、世界各地でパレスチナ連帯のアクションがありました。また、あれから1年という節目でテレビや新聞でも報道が増えている印象です。

 渋谷でのデモは後ろに某アイヌ文化やその歴史を(も)取り扱った漫画の実写版の広告が大きく掲示されていて、「セトラーコロニアリズム(入植植民地主義)」で彼の地とこの国は繋がっているのだよな、と改めて思いました。そしてイスラエルと日本のその歴史と文化のウォッシングぶりも繋げるもので象徴的だと思いました。

 こちらの記事では、この間、居を変えながら取材を続けたムハンマド・マンスール記者の動画と寄稿に始まり、市民の声と現状を取り上げ、最後はサラ・ロイさんのインタビューで締めくくっているもの。長めですが是非読んでください(有料記事ですがフォロイーさんがプレゼントをシェアしてくれていたリンクを貼っています。10/9、1時まで読めます。ありがとうございます。)

 ロイ氏は、イスラエルのガザ支配の特徴を「反開発」という言葉で説明する。低い開発レベルの貧困を意味する「低開発」に対して、開発をできないよう生産能力を意図的に奪うことを意味するという。パレスチナの人たちが、自らの力で自分たちの未来を形づくる能力を奪い、生活を外部に依存する状態※を強いる支配だ。
(略)
 ガザは今回の戦闘が始まる前の時点で、人口の8割が国際機関の支援に頼り、失業率も5割近くに上った。こうした状況はとりわけ、移動や貿易の緩やかな制限も含めると、90年代から始まり、「時間をかけてつくられてきた」と指摘する。
 イスラエルは今回の戦闘が始まって以降、自分たちはかつてはガザに入植していたもののすでに撤退しており、ガザとは関わりないのに、ハマスが攻撃してきたと強調する。ロイ氏は、「イスラエルがその後もガザの領空、通信、海上・陸上交通を支配している。徹底的な境界管理も続けている現実は占領」とし、イスラエルの説明は誤りだと指摘する。

朝日新聞WEB 「世界は僕たちが死ぬのを見ていただけ」 だれも止めぬガザ侵攻1年ハンユニス=ムハンマド・マンスール 構成・エルサレム=高久潤
2024年10月7日 7時00分 より

 この「低開発」から「反開発」へのシフトとその長い時間をかけて完成するまでがサラ・ロイ著『ガザとは何か』にみっちり書かれていて、先日のスナック社会科でもお話に出ましたが、上記引用に※を付けた部分、「生活を外部に依存する状態」は日本を含む各国NGO、NPO団体が支えてきたことでもあったわけです。この「善きこと」がイスラエルの計画をアシストどころか利益を与えることにもなっていたことは、『なぜガザなのか』に読んでいてキツいくらい書かれているので是非お読みください。

 こちらのアーカイブはまだまだ配信&販売中ですが、また感想が届きましたのでご紹介します。

フリンジ34さん
北海道 配信参加

 今回もまた貴重な学びの機会をありがとうございました。
最初のお話からすでに衝撃的で、「洗練された最新鋭の植民地支配」という言葉を咄嗟に思い浮かべました。なぜここまでできるのか。
 熱量を保ちつつゆらりゆらりと交わされる言葉の中で、植民地を求めるのは土地の問題だと思っていたけど、差別の問題であるのだと、コロンブスの出航日の話で気づきました。コロンブスの卵って、もろに逆張りの話だよなって、あの話がなんで偉人話になるのかのかわからなかったことへの答えが出てきた今日この頃だったので特に。差別されることで感じる劣等感。それを補うために優越感を得ることのできる行動に走る。それが支配的な行動であったり、逆張り的な行動であったり。コロンブスとイーロンマスク。劣等感と恐怖。ブルドーザーで描かれる星。昔、日本軍も占領地で、陰陽道的に大事な土地の流れがあるところに、巨大な杭を打ったという話を読んだことがありますが、(すいません探しても出てこないので、うろ覚えです。)やっぱりみんな同じことをする。そこには民族とか宗教とかそれを利用するけど、本当のところ関係ない。支配に駆り立てられたものは同じことをする。
 今回、ヘブライ語の成り立ちのことを知れたことも大きくて、コトバをまず統一する。身体に結びついたコトバを否定する。このことが反知性主義や、極端なナショナリストを生む温床になっているのだという思いを強くしました。知性的な「正しい」言葉への反発としての反知性主義。土地のコトバではなく国の言葉こそ「良い」「価値が高い」もっと単純に「カッコイイ」ものであるという刷り込みからくるナショナリスト。
 徐京植さんのコトバのお話も深くて、説明に応えるための洗練された無駄のない言葉を獲得するための痛みと、だからこそスナック社会科のような冗長な言葉で語ることが許された場所が必要だとも感じました。
 「土地を離れたところで、その土地で生まれた文化を引き継ぎ育むことと、その土地にいながら文化を塗り替えられてしまうことの残酷さのセット。」
 駆け込みで書いた質問という形になっていない言葉を拾ってくださってありがとうございます。早尾さんが具体的に、パレスチナで行われたこと、今パレスチナで起こっていることを教えてくださり、アンケートで書いた講演を聴きに行った時(清末愛砂さんの講演)、ガザ地区の面積の狭さに、それを聴いていた函館の面積とリアルに重ねてしまい、早いうちからアイヌはいない地域として記載されたその土地のアイヌは本当のところどういう風に消えたとされたのか。その答えも伺えたように感じました。
 文化を塗り替えられるという意味では、良いものとしてやってきたアメリカナイズされた生活様式が塗り替えてしまった膨大な世界中の土地の記憶。それが意味するものとが、今否応なく目の前に突きつけられている気がします。
 パレスチナで行われていることが、決して偶発的でも、一つの国や組織の暴走でもないことが、あからさまになってきていて、何に怒ればいいかもわからなくなってきていますが、(はっきりしているのは国としてのアメリカはいつまでアメリカ然としているのだということ。腹の底から憤りを感じます)少しずつでもほんとの平和に進めるように。できることをやっていこうと思います。(一部省略)

事後アンケート回答より

 コロンブスの話(コロンブスが出航した日は改宗を迫られていた期日の翌日)は話がそれたようでいて、大海原に出ざるを得ないやむを得ない理由があったこと、歴史の偉人のように語られていたコロンブスの大航海も近代から現代に続く植民地主義の礎を作ったわけで、本当に先日のnoteにも書いたマスターナラティブだけを読んでいると見誤るなと思わせられるものでもありました。
 こうして、ご自身の住まわれている土地や日頃考えていることに引き付けた感想をいただくと、またこちらでも発見があります。コロンブスとイーロン・マスクを繋げることもなるほどな、と思いました。これからも冗長にやっていきます!(そこか)
 また、ヘブライ語についての話も詳しく聞けたのも良かったですよね。もうちょっとイディッシュ語(ヨーロッパの離散していたユダヤ人たちが使っていた言語)についても突っ込んで話したかったところですが、支配と言語の統一の裏に消えていく(消えていった)言語がどれだけあるか、またこの日のお話で出たクレオール語とも繋がる話で、日本で生まれ育って単一言語で生きてきた(しかも神奈川県)自分には本当に意識しづらい部分なので、徐京植さんのお話含め結構しつこく言語の話ができたのは良かったです。あと「国語」といわれるものも意識していたいと思いました。

https://forms.gle/d6G3nzh3QgW9ckLW6

 事後アンケートフォームもまだまだ開いておりますので、後から視聴された方も是非ご感想をお寄せください。また配布資料も早尾さんの予定など随時更新しておりますので(本当にどうかしている)チェックしてみてください。

 あと、先に引用した記事で初めてサラ・ロイさんを知った方は是非、この2冊をお読みいただければ。「ガザ」について考えることは、その当地や人びとのことを知るだけではなく、支配・被支配側いずれにも関わらない人はいない植民地主義の歴史と、それが現代においても変容しながら続いていること、我々もその影響から逃れ得ないことを突きつけます。

では今日はこのへんで。つづく(かも)。


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