読書日記 2024/10/19
本を読む気力もないくらいヘボヘボになっていたので、こんなときは漫画だ漫画、と思っていたら吉田秋生の『詩歌川百景』の最新刊が出いたので即購入&読了。
吉田秋生作品は不穏なことがよく起きるのだけど、それは現実に生きる私(たち)に起きることともほぼ同じで、その不穏なことに立ち向かったり、立ち向かえなかったりする登場人物たちの姿とそれでも人生は続いていくという時間の流れも書き込んでいることにとても慰められるし、励まされる。
初めて読んだのは小学生の時にプチフラワーに連載していた『カリフォルニア物語』で、それからずっと絶えず読み続けている。長く現役な漫画家は他にもいるけど、萩尾望都は子供の頃怖くて読めなかったし、逆に大人になってから読めなくなった漫画家もいるし、絶えずずっとは本当に吉田秋生くらいだなあと思う。
異性愛規範バリバリだったり、ホモソ全開だったり※というところが今はもう読めないという意見を前に見て、「なるほど」と思ったのだけど、異性愛規範バリバリでホモソ全開社会を生きてきて、今はその反省もある私としては、新作を出すごとに、その時代々々の空気や価値観も織り込んで「今」を丁寧に物語ろうとする吉田秋生の作品を今の価値観で断じて捨てることはできないのですよね。今読んで「これはないなあ」、と思う表現はセクシャリティやジェンダー、エスニシティに関わることでちょいちょいあるけれど、人間を蔑ろにすることはないので信頼できるという感じ。そこが村上春樹と違うというか(なぜ突然、村上春樹かというと私にとって長く読んできた作家でもう読めないなあでやめてしまった作家の代表格なので)、他の作家や漫画家が長く続けているうちに、現実(人間)から離れてお筆先やお約束的なフォーマットの中で登場人物を動かして物語るようになっていく中で、現実(人間)を諦めない気概や葛藤を感じる作品が好きです。なので世代的にはだいぶ後だけど羽海野チカも読み続けています(今のところは)。
あと当時は許された表現が、どうして当時は許されていたのか、ということも含めてわかる資料になっている側面もあり、小説などに比べて早いスパンで出る連載漫画という形式は否応なしにその時時の空気を含んでいるのでアーカイブとしての役割も担えるのではないのかなあと思います。
で、本作は『海街diary』※のスピン・オフのような形で、海街diaryでは鎌倉に住む三姉妹が小さい頃によそに女を作って出ていった父親の葬式に東北の山間部に向かうところから始まり、そこで出会った義妹「すず」を「一緒に住まない?」と鎌倉に呼び寄せて共同生活を送る日々が主にすずの視点で描かれていますが、『詩歌川百景』は「すず」がいなくなったあとも同じ場所で暮らし続ける義弟「和樹」の視点で物語が進んでいきます。
姉妹、義妹、義弟、とややこしいのは、三姉妹の父親とよそに作った女との間の子供が「すず」で、その後すずの母親は早くに亡くなってしまい、その後移り住んだ東北ですずの父親が再婚した女性との間に生まれた子供が「和樹(と、その弟の智樹)」という関係性のため。ただ海街diaryでもこの詩歌川百景でも、「サイテー」で終わってしまうような不倫や離婚、連れ子再婚などにしてもその選択に至った背景や、悪者になって終わりのような登場人物でさえもその弱さや仕方なさみたいなものも丁寧に描かれているので安心感があります。それは何でも良い方へ取ろうという無駄なポジティブさみたいなものではなく、良いも悪いもひとりの人間の中に混在しているのだから一部を抜き出してジャッジは出来ないことを受け入れていく覚悟やその混在も愛おしくなるような人間が持つ豊かさのようなものです。
吉田秋生作品にはやたらと上記のようなステップファミリーと葬式がやたらと出てくるのですが、葬式も良くも悪くも人の死に目の際に現れる様々なことが見えてしまうものでもあるけれど、それがちゃんと表現されていて、小さい頃から家がゴタゴタしていて「ふつうのおうちじゃない」ことが恐ろしかったり、コンプレックスに感じていたことがだいぶ成仏できたし、相対化して見ることも出来るようになったので感謝している部分でもあるし、ひとりの人間の中に混在する善悪や、それが集団になった時に怖い方へ振れてしまうこと、逆に優しさを感じるものに振れることもあることを描こうとすると恰好の舞台設定なのかなとも思います。
吉田秋生作品は一貫して、その中で、その自分で生きていかなければならない主人公がストラグルする様が描かれていますが(なので『ラヴァーズ・キス』※も異性愛規範バリバリじゃんとは切って捨てられない…ちゃんと読めば主人公の恋愛を縦軸に同性愛も階級差も横軸として織り込まれているのですが…)、本作は舞台を東北の山間部に設定し、ずっとそこで生きている人、都会に行って帰ってきた人、都会から来た人、出ていく人たちが交わっていくことで中央と周縁についても考えさせられるものになっていると思います。
書いていて気付いたけど、中央と周縁の関係や階級差というのも、ずっと吉田秋生の作品には描かれている気がします。
折しもなし崩し的に衆院選に突入してしまい、全ての問題が棚上げされてしまったような状態で、選挙に勝ちさえすれば全部チャラ、全部アリになってしまいそうな絶望感がありますが、それでも何でも生きている限り生活は続くので、それでも続く人の営みについて思いを馳せたい時に吉田秋生は効くのではないかと思います。疲れ切った時に読む『ムーミン谷の11月』ばりに効く気がします。
※異性愛規範バリバリだったり、ホモソ全開だったり
といえばこの作品に凝縮されていると思うし、たぶん下品すぎるところやホモフォビア、性的消費対象としての女性の描き方に読めない人もいるだろうと思うけど(当時もそれなりにいたと思う)、女性にも学生生活にも屈折している主人公が住む基地の街や家族関係、経済状況なども併せて描かれていて(だから許せるというわけではなく)単純にジャッジできないものになっていると思うのですよね。と、この作品と同時期に『吉祥天女』も連載されていたと思うと、両面のようなものでもあると思ってしまうのです。
※海街diary
本作のスピン元作品。
本作に出てくる「すず」の語りのひとコマ。たったひとコマのモブなんだけど、海街diaryの四姉妹それぞれがあのときのあのひととその後家庭を築いたのか!という時間の流れと今も変わらぬ仲の良さとうるささが垣間見れるムネアツな場面。
※ラヴァーズ・キス
これも意外と「読めない」という人の話を聞くのですが、全2巻という短い中によくもこれだけぶっ込んだなという作品で同じ学校、同じ学年、同じクラス、家族という狭い世界の中にもこれだけ色々な人がいるよ、それぞれのお家に階級差もあるよ、という少女漫画でこれだけのことが出来るのかという表現の凄さを感じた作品でもあります。あと、海街diaryのよっちゃん(次女)の元彼が主人公の運命の恋人であるという、海街diaryのスピン・オフ元の作品でもあります(時間軸も重要な脇役も被っているので両作読むとより良いと思います)。
良かったからみんな読んでね!と一言で終わることをキモオタ全開でガーッと書いてしまった。
ではおやすみなさい。