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推しと自身の同化を図った夢女の爆死まで

※ある作品のネタバレ注意。知っている方ならジワジワわかると思います。

私の推しは自殺しました。
「あっ……(察し)」となった皆さんに事の経緯をお話しします。

私は作品や夢主に自己を投影し救いを求めるタイプの夢女でした。そんな私が好きな人(推し)に自己を投影してしまったがために起こった悲劇です。

現代の「生きづらい若者像」が投影されたキャラクター性

私の推しは、人から愛されず人を愛せず目的のためには肉親すら殺し、果てには自殺するような自分勝手な人間でした。

それでも、私は彼の言動を見てずっと思っていました。「生きづらい若者の象徴」であると。
まぁこれは私の主観に過ぎないですが、実際彼に自己投影した人間が界隈に多くいることも知っています。

彼は、違う時代(明治の戦争期)を生きた人間ですが、コミュニケーション能力が低いため人とうまく繋がる事ができず、独特な白黒思考があり(しかもそれを実行してしまう行動力もあり)、腹違いの弟に強烈な劣等感を抱えながらも愛を渇望し常に心の奥底には不安を感じている側面がありました。

求愛は彼が生きる唯一の原動力だったと言っても過言ではありません。

絶えない「不安」。
何をしても結局は1人だという「孤独感」。
他人あるいは兄弟と比べた時の「劣等感」
「幸せ」とは何なのかという自問自答。
産まれてしまった以上生き抜かなければいけない「絶望感」。

生きづらい人間は、愛に飢えていながらもそれに酷く懐疑的だと感じます。自分の持つ能力ではすぐに失われる可能性が高い事を知っているからです。

ままならない日常をそのまま映し、己の悩みを共有したような生き様に共感して、私は完結前から彼に自己投影することとなりました。

突きつけられた「お前は死ぬしかないのだ」というメッセージ

私は、作者が彼の事を救い取ってくれると信じていました。それはあっけなく裏切られることとなりましたが。

先に断っておきますが、これはあくまで私が勝手に感じた事で、物語や解釈が正しいとか間違っているとか、そういう類の話ではありません。

彼は子供の頃から父親と疎遠で、母も精神疾患を患い孤独感の強い幼少期を過ごしたと思われます。

所謂、機能不全家族育ちのアダルトチルドレンの要素があり、物語の後半では幻覚を見るほど精神を病んでいました(現代における統合失調症に近いと思われます)。

そんな彼と対峙したのが、病死した父から「自分が幸せになれる場所を探しに生きなさい」と愛を与えられた主人公と、民族の未来を父から託されたヒロインでした。
彼らは充分すぎる愛を受けて育ち、それぞれ多くの理不尽と戦いながらも強く楽しく逞しく生きる力がある人間でした。

だからこそ、物語の終盤にその2人に挟まれ果ては自死に至った推しとの対比はなんてグロテスクだろうかと私は思うのです。

最も人間らしく悩み抜いて間違いを起こして自分の持つ能力では望むことが何一つ得られなかった推しこそ救われてほしかったと、思わずにはいられなかったのです。

私はこの作品を読んでいる間ずっと、彼のようにまた彼を通して見た私のように、生きる事が「地獄」の人間が「死」以外で救われる方法を探していました。
この作品を最後まで読めばそれを提示してくれるのではないかと淡い期待を持っていました。

しかし待っていたのは推しの「自殺」であり、私にも「死」という救いしかないのだという事実の突きつけでした。

世の中が「弱肉強食」なんてことは弱者側こそよく理解している

主人公らはこれまでの自らの行い(殺人を含む)を許容し、新たな未来に向けて共生する道を選びました。

自分を許せること、妥協点を探し落とし所を見つけられることも才能だと私は思います。

そのような人間が最後に「幸せ」を掴むのだということは物語を読まずとも既に「生きづらい若者」にはわかりきっていることでした。弱者には強者との違いが痛いほどわかります。

私は、推しである彼に現代で言う発達障害(アスペルガー症候群)があったと思っています。先に記述した統合失調症ですが、一説に「発達障害仮説」と言うものがあり、これに当てはまるのではないかと思いました(あくまで個人の意見)。

後からわかったことですが私自身も自閉症を診断されました。そして何故か統合失調症の治療薬を飲んでいます(睡眠薬としても使われるケースもあるらしい)。

当事者実感として、彼が幼少期から思考パターンが極端であった点。
言語によるコミュニケーションが下手で行動での表現が多かった点。
職人のようにひとつだけ突出した才能が伸びた点。
独自の理論を持ちそれを正とするための行動を行なった点。
「愛という言葉は神と同じくらい存在があやふや」と哲学的な思考を持つ点など、上げたらキリがないのですが、元々かなり似たものを感じていました。

だからこそ、努力ではどうにもならないままならなさがあった事がよくわかります。亡くなった後に直接話した事のない同族にのみ鮮烈な印象を残し絵画の題材にされていたのもわかる気がします。

いずれにしても私には、強者と対比して断罪するべきことだったのだろうか?と疑問に思わずにはいられないのです。

彼が「死」以外の方法で救われる道をどうしても見てみたかったのです。

それは推しに自己投影した私が救われる道にも通じていたのかもしれなかったから。

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