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雑日記:『傷の話』
この間話した人が「無傷で生きるなんてつまらない」と言っていた。聞いたその時はなんだかカッコいいなと思っていたんだけど、その言葉を持ち帰って、そもそも生きている間に無傷でいることは不可能だよなと思った。
無傷で生きる人生があるなら、それに越したことはない。傷つかない人生の方がいいに決まっている。痛いのは嫌だし、傷は下手したら跡に残るし。傷つきたくて生きてきたわけじゃない。勝手に傷が増えていった。進んで傷つきたい、というのはマゾヒスティックな行為だろう。まあ自傷行為(自虐も含む)は、その場限りかもしれないけど、自分を救うこともあるけどさ。
「人の悲しみや不幸は比べるものじゃない」って考えはずっと一貫している。その人にとって衝撃的でダメージを受けたことは、何かに取って代わるものじゃない。痛みは共有できない。(同じ痛みなら分かち合えるかもしれないが)その人がシリアスに感じているなら、他人から見たらどんなに小さいことでも、大問題で、決して馬鹿にすることではない。
もし傷が、痛いとか辛いとか、そういう意味を指すのではなく、傷自身が希望になることはないのかとも思う。でも、希望を宿したら「傷」は言葉の意味を失い、別の言葉に言い換えられてしまうかもしれない。
(追記 7/31)
僕は、本当に助けが欲しいとき強烈に突き放されてしまう経験が人生の要所要所にあって、いつの間にか深い傷になってしまったのだけど、この痛みで苦しんでる人はきっと自分だけじゃないはずだと思って、その人たちのために書きたいと考えている。
傷は癒すことができるなんて、傷ついて苦しんでる人たちには言えない。僕は、傷のままでいいから、傷と一緒でも生きやすい方法を探している。