雑日記:『美しい老い方』

「40までには死にたいんで」「50まで生きるつもりもないし」最近同世代(30代)の友人や知人と話した時に出てきたワード。これらにネガティブな感触はなく、むしろ皆明るくあっけらかんとして話す。長生きしたいと思ったことは自分もないので、気持ちがわかる。

長生きをしたとして、何が残せるのか。無駄にずっと椅子に座り続けても後進のためにならないし、キリの良いところで潔く引退して世俗を離れてスローライフを送った方が世のためになる気がする。

美しい老い方についての提示があまりなされてない。いずれ皆行く道なのに老い方のすべを学ぶ機会が少ない。(映画『PERFECT DAYS』は老いに対してある種の願望や祈りが垣間見えたが)老い迷う状況にもかかわらず、アンチエイジングの広告ばかり流れてくる世界で、若さ=美しさという一面的な価値をいつまで追わないといけないのだろう。そんな思考がありつつ、今も学生が出てくるような物語を作っている矛盾。この葛藤は付き合っていくものとして割り切るしかないのか…いや別に好きなんだけどね、学園もの。ただ自分の身体と描く物語の乖離が続いていく状態はあまり健全でない気はしている。

何かに期待しないで常に諦念を抱えるこのスタイルは、人生ゲームにおいて傷を最小限にとどめる有効なスタイルだと思う。自分もそう選択している。ゆえに先に何か希望を持ちづらい。未来にワクワクしたいと常に口にしているのは、そういった諦念を受け入れつつも、「そうあったらダメだろ」という相反する気持ちがあるからかもしれない。「大人になったらいいことあるよ」「大人になるのも悪くないだろ」と語ってくれたアニメや漫画作品を見て育ったのに。先人には「おじいちゃん・おばあちゃん」はいいぞって言って貰いたいし、もしそこまでたどり着いたら言える存在になりたいとは思う。(見え張ってるかも)

なんだかまとまりのない文章になってしまった。とりあえず自分の現状。死にたいでも生きたいでもない。せっかくだから命を使い切りたい。そういう気持ちで日々を過ごしている。いつまで生きるかは考えない。振り返ったら「こんな生きてたんだ」って言えるくらいがちょうどいいかなって今は思ってる。

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