
朗読脚本:少年版『キャット・シーク』
【はじめに】
登場人物を少年同士に変えた朗読『キャット・シーク』です。別のノートに記載しているのは一人でも読める用ですが、今回のは掛け合い用のものを掲載します。(2018年8月初出の作品/2023年5月更新)
【登場人物】
小湊(こみなと)ユキト……少年。夏祭りの路地裏から、猫と風鈴の世界に迷い込む。
ミオ……猫と風鈴の世界で生きる猫耳少年。ユキトを案内する。
【本編】
ユキト 出会って別れる。繋いで離れる。覚えて忘れる。
ミオ そうやって僕らの日常は通り過ぎていく。
ユキト 僕は小湊ユキト。16歳。都心から少し離れた時鐘町ときがねちょうで暮らす、高校生。毎年何も起こらない夏休み。でも毎年、何かを期待している。
ミオ そして、何かを待っている。
ユキト 少しだけ踏み出そう。夏の扉に手をかけよう。
ミオ 君も一緒に、想像の果てを見に行こう。
ユキト&ミオ 「キャット・シーク」
ミオ 愛らしい猫に閉じ込めた記憶のカケラ
♢
ユキト 忙しなく鳴く蝉の声。白く照りつける光。風鈴の涼やかな音色。そんな夏に包まれながら、大人たちが屋台の準備に勤しむ。その姿を横目で見ながら、僕は今日という日に胸を躍らせていた。
ユキト 今夜は年に一度の夏祭り。時鐘町の祭りには風鈴の屋台が多く並び、町が一日中、きらきらの音色に包まれる。僕は幼い頃からこの空気が好きで、毎年夏祭りの日には、夜になるまで待ちきれず、お昼から町へと繰り出してしまう。
ユキト ソーダ味のアイスを片手に、お馴染みのコースを散歩する。このコースは、町並みの変化する様子が一番わかるもので、僕は気に入っていた。多くの人の手によって町の景色が移り変わっていく。ずっと暮らしている場所のはずなのに、外から迷い込んだような感覚に陥るのは、今日だけの景色だからだろうか。
ユキト 水色のアイスが一段と魅力的に映る。心地よい風に身を任せながら歩くと、あっという間に終着点までついてしまった。引き返そうとしたその時、どこからか、声がした。
ミオ「やあ、今年も来たんだね」
ユキト 振り返ると、そこには誰もいなかった。あたりを見渡してみるが、声の主らしい人はいない。…呼ばれたと思ったけど、気のせいかな。
ミオ「こっちだよ、こっち」
ユキト もう一度、声がした。今度はしっかり聞こえる。声の方向に目を向けると、そこには、今まで見たことのない細い路地があった。目を凝らしてみると、路地の先に人影のようなものが見えた。
ユキト しかし姿かたちは影のようにゆらゆらと揺れていて、はっきり捉えることはできない。あの人が、声の主なのだろうか。
ユキト「……こんな道あったかな?」
ミオ「ずっとあったよ。君が見つけられなかっただけさ」
ユキト「きみは、誰? どこから喋っているの?」
ミオ「気になるかい? だったら、おいでよ。一歩踏み出せば、わかるさ」
ユキト 艶のある声に誘われるように僕は、その路地へ足を踏み入れた。日差しが入り込まない路地の中は、涼しくて気持ちがいい。騒音に混ざって聞こえていた風鈴の音色が、輪郭をさらけ出し、静けさの中に粒立つ。
ユキト 路地を抜けてたどり着いた先には、ひとりの少年が立っていた。白い肌。利発そうな顔立ち。金色の大きな瞳に、くるっとカールのかかった長い睫毛。人間離れした美しい風貌。しかしそれ以上に、僕はある部分に目を奪われた。……耳である。彼の頭には、猫の耳のようなものが生えていたのだ。
ミオ「ようこそ。こっち側の世界へ」
ユキト「…夢でも見てるのかな。その耳、まさか本物じゃないよね…?」
ミオ「そうだよ。だって、僕は猫だからね」
ユキト「でも、言葉をしゃべってる。人の形をしている。…猫人間?」
ミオ「可愛くないなあ、その呼び方。僕は、ミオ。こっち側の世界で暮らしている」
ユキト「こっち側の世界?」
ミオ「現実の裏側。君たち人間が生きる世界とは、違う場所。でも、この夏祭りの時だけ、つながるのさ」
ユキト「お祭りの時だけ?」
ミオ「そう。この風鈴は僕たちの世界の音だから、つながれるんだ」
ユキト「どうして、僕を呼んだの?」
ミオ「君が僕のことを知っているからだよ」
ユキト「君のことを? そんなのデタラメだ。だって僕たち、初めてあうのに……」
ミオ「それはどうかな?こっち側にこれるのは、僕たち猫に関係がある人だけなんだ。もしかしたら、君は、他の猫と知り合いなのかもしれないね」
ユキト「猫の知り合い、って言われてもピンとこないけど」
ミオ「まあせっかく来たんだ。良い場所に案内してあげるよ。ついてきて」
ユキト ミオは、優しく手をとると、僕を連れて歩き出した。はじめてみる景色。青空が地平線の先まで広がっている。目立った建物もなく、瞳に映るのは広大な青の世界。その中を僕とミオは、二人だけで進んでいく。ミオの手は、柔らかくて冷たくて。はじめて触れるはずなのに、この心地よさには覚えがあるような気がする。
ミオ「君は、逃げ水って知ってる?」
ユキト「逃げ水?」
ミオ「実際はないのに、みえるもの。遠くに水があるのに、そこには絶対追いつけない」
ユキト「不思議だね」
ミオ「ここは、逃げ水と同じだよ。見えているけど、そこにはないという点でね」
ユキト ミオは空を仰ぐ。首の動きに合わせて、大きな耳がふわっと揺れた。憂いをみせた彼の表情が、すこし気になった。
♢
ユキト しばらく歩くと、何もない景色の中に、ぼんやりと一つの建物が浮かび上がってきた。ミオは微笑む。どうやらそこが目的地のようだ。さらに近づくと、小洒落たログハウスが姿を現した。
ミオ「さあ。ついたよ」
ユキト「ここは?」
ミオ「一番の避暑地だよ。僕の仲間が沢山いる」
ユキト「猫は、涼しいところを見つけるのが得意って言うよね」
ミオ「落ち着ける居場所を探しているだけさ」
ユキト 扉を開くと、そこには無数の瞳が僕たちを待ち構えていた。色とりどりの三白眼が、僕を物珍しそうに見つめているのがわかる。そこにいた猫たちは皆、ミオと同じ猫人間であった。僕のようなただの人間はいない。視線が気になりつつも、ミオの後についていく。
ユキト「君の仲間、こんなにたくさんいるんだね。この場所だけじゃ窮屈じゃない?」
ミオ「外にいるよりはマシさ。みんな大人しく涼んでいるだけ。喧嘩もしない」
ユキト「…なんだかちょっと怖いな。ミオは、そうでもなかったのに」
ミオ「それは、嬉しいなあ」
ユキト バーカウンターのような場所を見つけると、ミオは椅子に腰掛けて、僕にも座るよう促した。よく考えると歩きっぱなしだったので、座った途端、ふう、とため息がでる。僕の呼吸が落ちつくのを待ってミオは話し始めた。
ミオ 「ここの猫たちはね、ただの猫じゃないんだ」
ユキト「みればわかるよ。猫人間ばっかり」
ミオ「どうして人の姿と重なっているか、わかる?」
ユキト「うーん。猫が人間になりたがったから、とか?たしか、そういう本を読んだことがある」
ミオ「素敵な回答だね。でも答えはその逆」
ユキト「人間が、猫になりたかったの?」
ミオ「僕たちは、実は人間の一部なのさ。記憶と呼ばれるものを背負っている」
ユキト 「記憶?」
ミオ「そう。僕たちは、人々が忘れてしまった記憶がカタチになったものなんだ。現実世界から追い出された記憶が、こうして猫となる」
ユキト 「じゃあ、ここにいる猫はみんな……」
ミオ「誰かが忘れてしまったものだよ。……忘れるのは悪いことじゃない。その分、新しいことに出会える。更新していくという意味でも正しい。忘れられる僕たちも、十分理解してるんだ。でも、ときどき、それを寂しいと感じるときもある」
ユキト「ミオ、僕にも猫の知り合いがいるって言ってたよね?なら、この中に僕の記憶もいるの?」
ミオ「かもしれないね」
ユキト「……もしかして、君が僕の記憶なの?」
ミオ「え?」
ユキト「だって、君と喋っているとなんだか安心する。前から知ってる人みたいって、ずっと思っていたんだ」
ミオ「人間世界からのお客様は、お土産にここから猫を一匹選んで、忘れた記憶を持ち帰ることができる。でも、それを選ぶも選ばないも自由だ。思い出して傷つくこともあるから。……君は、どうしたい?」
ユキト「……君の記憶をみせて。ミオは、僕に見つけてもらうために、ここに呼んだんでしょ?……違う?」
ミオ「…後悔、するかもよ?」
ユキト 「それでも…決めた」
ユキト ミオは優しく僕を抱きしめる。ふわっと甘い匂いが広がる。ミオの身体から伝わる体温は、ちょうどよい心地よさだった。
ミオ「君が選んだんだ。責任持って思い出して、僕のことを。……ユキト」
ユキト 僕は、導かれるように目を閉じた。
♢
ユキト 昔、僕がまだ小学生だった頃、ずっと一緒だった男の子がいた。その子は、僕よりも背が高くて快活で、よく笑っていた。家に引きこもりがちだった僕が外で遊ぶようになったのは、彼のおかげだった彼が僕の名前を呼ぶ声は、とても優しくて。風鈴の音色のように、透き通っていた。
ミオ「ユキト」
ユキト 彼が僕を連れ出してくれた。
ミオ「ユキト」
ユキト 声をかけてくれた。
ミオ「ユキト」
ユキト 僕の手を、ひいてくれた。
ミオ「ユキト」
ユキト 僕にとって、人肌が心地よいと思えた、初めての相手だった。
ユキト これは、彼と交わしたとある約束の記憶だった。彼と行った、夏祭り。屋台を回って、二人で空に打ち上がる花火をみた。
ユキト「夏祭りの花火、今までずっと一人で見てた。家のベランダからこっそり。花火って大きく光って五月蝿いだけで…。どうして皆が好きかわからなかった。だけど近くでみた今日の花火は、とても綺麗に思えた。きっとミオのおかげだね。誘ってくれてありがとう」
ミオ「こちらこそ。今日の花火は、君と一緒にみたいって思ってたんだ。僕、ユキトと一緒ならなんでも楽しい。だからできるだけ、ユキトとの思い出を残したいんだ」
ユキト「来年もまたこうして、一緒に花火、見に行こう」
ミオ「……来年はたぶん、もう、この町にいない」
ユキト「……え?」
ミオ「僕、引っ越すことになったんだ」
ユキト「転校しちゃうの? せっかく仲良くなれたのに」
ミオ「またユキトのところに戻ってくるよ。いつになるかはわからないけど。……それまで、僕のこと忘れないでくれる?」
ユキト「もちろん! たくさんお手紙かくから。ミオが戻ってくるまで書き続ける。これは約束。君が僕を忘れないように。僕が君を忘れないように。…ずっと、待ってるから」
ユキト そうしてミオは僕の元から旅立ってしまった。約束を果たすため手紙を送り続けていたが、次第にその数は減っていった。中学生、高校生になるにつれ、僕にはまた新しい友達ができた。どんどん世界が広がった。次から次にやってくる目先の新しい出来事に、いつの間にかミオとの思い出は上書きされてしまったのだ。あんなに大切に思っていたのに、どうして。
ユキト 涙が、頬をつたう。溢れる雫が、僕の瞳を開かせた。そして、目の前の少年をもう一度、はっきり捉える。あの頃の面影が、そこにはあった。
ユキト「ごめん……僕、君にひどいことをしてしまった。最初、ミオのこと知らないって……」
ミオ「いいんだ。さっきも言ったでしょ?忘れるのは、悪いことじゃない」
ユキト「……約束を破ってしまった」
ミオ「ユキト。過去はもう取り返しがつかない。でも、ユキトは今ここで思い出してくれた、僕のこと。僕との出会いが大切だったって言ってくれた。……今からでも、遅くないよ」
ユキト「……ミオ」
ミオ「僕はただの記憶。現実のミオじゃない。だから、今度こそちゃんと再会しよう。向こうの僕には、今度は、君から声をかけてあげてくれる?もしかしたら、僕も忘れちゃってるかも」
ユキト「…わかった。また君と出会いたい。今日みたいに」
ミオ「……ありがとう」
ユキト 視界が霞んでいく。溺れるような感覚に陥る最中、ミオの姿が遠のいていく。
♢
ユキト 気がつくと、僕はいつもの道の上に立っていた。持っていたアイスは溶けて、手はベトベトだ。軽く手を払うと僕は、振り返ることなく歩き出す。そういえば、このコースを教えてくれたのも彼だった。彼は今、どこにいるのだろう。まだ同じ住所に住んでいるだろうか。帰ったらお母さんに聞いてみるものいいかもしれない。背中から爽やかな風が吹き抜ける。
ミオ「逃げ水にはね、追いつくことはできない。でもね、またきっと、見ることはできるよ」