2019常笑〜価値観のチューニング 〜(4/全5回)
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2019常笑をみていくまえに、
彼らの(当時の)価値観に沿った場合、常笑2018をどう反省して2019に臨みうるのか。
どんな反省が想定できるかをまず考えてみたい。
反省❶「絶景」をやりきれたのか?
反省❷ 彼らの〝何を〟力強く/美しく思ってもらいたいのか(愛でられたいのか)?の曖昧さについて。
次に、2019の実際をみていく。
反省❶ 「絶景」をやりきれたのか?
⑴多くのお客さんにとって演舞後の印象が「まじで迫力やばかった」だったので十分「絶景」達成した。
ともいえるし、
⑵3分40秒のうち「絶景」にみせれていない時間もあったから、そこは伸び代。と捉えることもできる。
⑶また、川(?)の表現が「絶えず流れ」(演舞前アナウンス)てるだけにみえるように、それがどう「絶景」なのか突き詰めの甘さがoutputにあらわれた。もいえる。
反省❷彼らの〝何を〟力強く/美しく思ってもらいたいのか(愛でられたいのか)?
(少し余談だが
私も大学2年のころ「トップスター」的な動機で、『証』というタイトルで作品を考えたことがある。
当時は「私の〝何を〟愛でられたいのか」という概念さえなかった。漠然と「迫力で圧倒するぞ」くらいにしか考えてなかった。「〝何を〟迫力をもってみせるのか」というところが曖昧だったから『証』という言い方で誤魔化したんだと思う。幸いにも、そのごまかしは作曲家さんには通用するわけもなく、ボツになりました。)
同じように彼らも、「何を」(力強く/美しく思ってもらいたい、愛でられたい)の部分を明確にすることに手を焼いたように思う。彼らなりの工夫の末に至ったのが「生春」という独自言語なんだと思う。漠然さはほとんど変わっていないが。
ところで当然、「何を」を重視しない生き方もありうる。その場合、迫力(力強く/美しく)を高めていく生き方だ。迫力を高めることで、私たちは愛でられるんだと信じる生き抜き方だ。
2019常笑をみれば、彼らがどっちの道を選ぶのか(「何を」を重視するかどうか)がわかる。
2019常笑がしてきたチューニング。
2019年、常笑は
①3分40秒全秒、絶景(迫力)となる演出
②「何を」を意識した作品づくり
どちらも改善してきた。
若いって柔軟だ。しゅごい。
output自体は、「初対面のお客さんがみてどこか納得感のある」までは、まだ至ってない。が、方向として、初対面の人がみて感動する(どまつり大賞)方向に向かってる!とみえた。
Twitterをみると、それがよく現れてる。
・「更なる高み(華やかな未来)を目指すきもち」を、
・臥龍の松くらいの迫力(力強く/美しく)をもってみせる。
たてつけとして、ナイスグッド👍。
outputが、「更なる高みを目指す」アイコンにみえれば大賞。
〜まとめ〜
常笑は2018→2019で、「何を」をより意識した価値観に修正してきた。
次回、
・実際には2019常笑は、新旧の価値観が混在してノッキングしてるという話と
・常笑が大賞をとる日
という話しをして、常笑全5回の記事を締めます。
参考;
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