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”うまのまち”への道 vol.1

シリーズもののvol.1を増やし続けて大丈夫なのか心配になっていますが、今の本業オブ本業である"うまのまち"事業について書かない訳にはいかないので。

1000年続く人馬の歴史

早速ですが個人的に「1000年続く」は言い過ぎな誇大表現だと思います(笑)
「じゃあ言うなよ」って話ですが、まぁ、〜と言われている程度に受け取ってもらえれば良いので、適度なニュアンスで使っています。

僕が今勤めている福島県南相馬市は、伝統行事であり国の重要無形文化財でもある相馬野馬追が有名です。

日本の歴史の中で、人は古くから馬に助けられてきましたが、農業の機械化に伴って「産業を担う=金を稼ぐ」ために飼われる馬の数は激減し、今では競馬という一大産業と馬術(乗馬クラブ)はあるものの、それ以外で積極的に馬が飼われることは無くなりました。

そんな中、馬が関わる伝統行事というものが日本各地には存在し、相馬野馬追はその代表的な存在(花岡談)です。

現在の千葉県付近で、かの平将門公が軍事訓練として始めたことに由来すると言われていることから、「一千有余年の歴史」という言われ方をする相馬野馬追。
相馬家が居を現在の南相馬市を含む、旧相馬藩領(北は新地町〜南は大熊町)に移してからも、大切な年中行事として継承されてきたようです。

そのため、相馬野馬追の行事を絶やすことなく続ける上で常に馬を必要としていたことから、機械化により農業の世界から馬がいなくなった後も、一定数の馬が飼われている珍しい地域となりました。

現在もおよそ250頭程度が飼養されていて、その多くは経済活動に関わりなく、年に数日の相馬野馬追のために飼われています。

【脱線】「相馬野馬追の行事を絶やすことなく」という言葉を象徴する逸話として、第二次世界大戦終戦間際の1945年7月にも野馬追は開催されており、早朝に空襲警報が鳴りながらも「敵機ノ来襲ヲ十分考慮」しながら行ったという資料が見つかっています。(野馬追にかける熱量が凄い…)

そう記していたまさに今日、イケメン&イケてる学芸員(イケガク)として個人的推そうと思っている南相馬市学芸員の二上さんから「実際は、日程の都合上野馬懸を先に行い、神旗争奪戦(当時は戦時中で火薬が使えないため弓矢で旗を射上げるもの)はその後に行われた」という話を聞き、「なおのこと野馬追をやろうという熱意半端ねーな」と感じた今日この頃です。

続く

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