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会話の重力・無重力(2)

(1)の続き。

先日、昔から大好きな某東欧アニメの版元さんを訪れた。
私がチェコを訪れたことがあると言ったこともあって、話が盛り上がって3時間半くらい、いろいろな話を怒涛のようにお聞かせくださって、とても楽しかった。

私自身、20歳の頃に強烈に影響を受けた、ヤン・シュバンクマイエル。その彼に実際に何度もお会いになって、おうちを訪ねたり共に食事をしたりしている社長のエピソードは、作品のぶっとんだものよりもさらに斜め上をいく凄まじさであった(ここでは書けない、、、興味がある方はお店訪れてお話聞いてみてください)。

話を伺ううち、かかわる作家さんたちがぶっとんでいてやばいのはもちろんそうなのだが、その人たちと関われてしまう社長、あなたも実は相当やばいのではないか、ということを思ってしまった。

おそらくめっちゃ冥王星が効いているタイプだということは推測がついた、、
いかに自分が、困った有力者と仲良くなるのが上手いのか、気を遣うタイプなのかということを熱弁してくださったのだが、その間、ずっと立たされている客の私のことはまったくおかまいなしであった(笑)

映画業界には、ハラッサーが大量に棲んでいる。ひとりひとり名を挙げることはしないが、ほとんどの人がその気を持っているといっても過言ではないのでは。

数年前に問題になった、某ミニシアターの社長がパワハラをしたことで、社員が集団で訴訟した、というのがあったけれども、お話を伺った社長、この狭い業界でやはり事情をご存じで、どうも、その被害者側だった側がどういう人だったのか、というのも、よく知っていたようなのだ。
彼は「声を荒げたり、暴力をふるったりしないけれども、俺も同じ気持ち」と、ミニシアターの社長のことを、庇っていた。

ハラスメントというものは、どんな事情があるにせよ、暴力的な態様によって、力でねじふせてしまってはいけない、というところで法的なジャッジがある。

しかし、本来このハラスメントというのは、非常に魔術的なからくりによって起こっている。
そのことを解きほぐさないまま、暴力をふるった瞬間だけで裁いても、実は何の解決にも、ならない、、、

この2人の社長は、(1)ででてきた、弟のような感性をもっている。
普通の人と少し違う角度から、物事を感じてとらえる才能を持っている。
だけど、その感性は、社会に揉まれる中で、散々に傷めつけられ、否定され、殺されてきた。

大人になって、黙って努力して我慢して、やっと権力を手に入れて、感性を自由にしてもいい、という時がやってきた。
だけど、周囲の人間は、俺が大事にしているポイントをまったく理解してくれない!
というときに、おもわず、暴発するように、暴力的なかたちで、エネルギーが発露してしまうのではないだろうか、、、
そのときに、この元、幼い弟たちは、心はそのままでも、実際は権力も腕力もある、大きな大人であり、その様子は周囲への脅威となってしまう、、

ハラッサーたちはみんな、非常に繊細で、優しい心を必ず持っている。普通の人よりも優しすぎるところがある。
だからこそ、その裏面として、暴発したときの発露が激しい、、

ハラッサーたちを庇うつもりはない。
だが、わたしたちが涼しい顔をして、世界を記号として捉えないやつらは全員許さない、とさばき続ける限り、彼らは必ず、人生に現れてくる。

そんな風に、思う。

わたしたちがほんとうの意味で、この種の暴力に対峙したいなら、
それは法の裁き(パリサイ人的アプローチ)でねじ伏せるのではなく、
彼らがほんとうは、何を理解してほしかったのかというところに気づくこと、、


Photo by Larisa Birta on Unsplash


そのことに気づくことは、往々にして、私自身が、社会に迎合して、見失っていた自分の本質の鏡合わせだったり、する。

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