落ちぶれ貴族のように優雅な男
桜庭一樹さんの小説「私の男」に出てくるこの表現が大好きだ。
まるで私の目の前に傘を持った淳悟が佇んでいるかのよう。
浅野忠信さん、二階堂ふみさんが主演で映画化もされている。(衝撃作であるため映像化は不可能と言われていたようですが、大好きなお二人でこの世界を観られて幸せだった)
小説が映画化されると必ず賛否両論あると思うけれど、私は基本的にどちらが良いとかはあまり思わない。今作では、花の感じが異なっているところがすごく面白い。受け身であるかそうでないか。
私自身の経験からも、少女が大人の女性に変化していく過程が描かれている作品はとても興味深い。誰しも自分でも気付いていないような一面があったりするもの。底知れぬものを秘めていて、ある種モンスターだとも思う。
ベッドに横たわりながら、久々に「私の男」を観始めて、すぐに以前とは何か違う感覚に気づいた。より鋭く冷たく流氷のように私の心に突き刺さってしまって、苦しいのか満足なのか、よく分からなくなった。
エンドロール後すぐに本棚から「私の男」を取り出して、今度は文字を追いかけた。
雨が降る午後3時、静かな部屋で。
作品の湿った空気を存分に味わった。
夕食に人とお好み焼を食べる間、たわいも無い話にくすくす笑いながら、内側には湿り気と少しの虚しさと愛に飢えた2人が残っていた。
おわり。
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