浅春集/送春集/暮春集
浅春集(抄)(2015年)
三月十六日、京大短歌追い出し歌会。折句「また会おう」
まさに言葉は旅なのだから愛すればおしなべて咲きうる揚花火
その後コンパで酔い潰れ、榊原さんに家まで送ってもらう
就職しても元気でいてね まだ寒い春にまぶたがぶつかっている
三月二十四日、京都大学卒業式。ぼくは大学院へ進学する。
疏水の横を歩いて帰るイヤフォンを外していても音楽が湧く
三月二十八日、京大短歌歌会。三人で時間が余ったので題詠「開」。
感情のずっと瞬き、ある春の港は美しく開かれる
送春集(抄)(2016年)
生きていくのは適当で適当にやってけるから咲くんだぜ花
*献辞 昧爽の火山へ
2012/4/18
やばいですよと急にあがったテンションの、無理しすぎんようにはしゃごうよ
*献辞 女子高生という永遠の花へ
2015/4/16
骨組みを旅立ってゆくこととかが春に雪ふるようにさみしい
*献辞 隠しきれない爪へ
2013/12/16
Skypeオールしたり、漫画を貸し借りしあったり(もうぜんぶ返したよね?)、短歌バトル出たり、クソ絡みしたり、クソ絡みしたり、クソ絡みしたり、――ねんがんの天天有本店に辿りついた私たちは、口元をべっとべとにしながら、しかしもはや何の会話をしたのかも覚えていない――、そういうことが私たちの間にはあったりなかったりしたが、それも定かではない。過ぎ去ったものは過ぎ去ってしまったいま、全てが愛おしく、全てが無意味で、かんぺきに思い出せないから、だから私たちは「短歌」を書いているのかもしれない。
燃えていくみたいな日々は過ぎたけどずっと生意気でいてくださいね
*
こうやって適当に書く歌たちの恥ずかしいけど夜明け/手向けの花だ
さくらばなみしみし咲いて死んでいく愛しさのなか、ヨガのポーズを
折り句ってくそみたいだが春浅き思考のなかを埋めてゆくんだ
俺たちは歌会でしか殴り合えない 本気で噛みちぎるばらの花
横断歩道をゆっくりわたる ラブソングみたいな一瞬をいとおしむ
またね 雨の向こうに見えているポストはあまり赤くなかった
カップラーメン食べたい ラーメン食べようって誘いたい またな 何度でも蘇るからな
棚の上に積まれた本のあいだから冬のうちわが見えたら ラブだ
歌のことしか話せないけど(ありがとう。)何度でも桜を忘れたい
*
せつなさは瞬間的に来るとんび バスは賀茂大橋をわたった
暮春集(一)(抄)(2017年)
個人的に後輩に充てた歌たちから個人的すぎないものを抜粋。
疏水まで歩いて蛍見にいってあのときビール飲んでたかなあ
*
川のほとりに咲きならぶとき未来にもずっとずっと季節はあるかな
*
北野ってtraditionalなとこだよね。秋陽のなかに跳ぶなわとびは
*
長浜でいっぱい撮ってくれた写真、なんども眺めてしまうよ。
わーいって言うときに手のよい角度保って揺らす わーいって言う
たじまさんはいつでもよい距離感にいてその距離感に植物や花
川原泉、すすめてもらったのにまだ結局よめてないなあ
『笑う大天使』の1巻だけが丸善になかった、こないだもなかったのに
たちまちに時間のすすむ町のなか(なんでもいいよ)つづけた会話
*
たまに悲しくなる橋の上ゆくりなく川を見たとき凛として鷺
*
ダムから水の落ちる力をすこし身を乗り出して眺めてたのを眺めてた
*
結局ちゃんと行けてない八雲食堂でたらふく泡盛を飲まなくちゃ
無限に酒を飲めば無限になる時間 ハイネケン・アンド・ハイネケン・アンド・ウイスキー
八海山まだ飲みたらんと思わん?もうちょっと朦朧としようぜ
*
きれいな日々に手向けの花を。雷鳴が咲いてまっすぐきみは歩いた
*
風がやんだら詩がそこにある鴨川にふんわりそのひとは立っていた
*
☆2月、長浜
せっかくの旅行でみんなだまりこむ歌をかんがえたりねむったり
乾杯をしながらそれを撮ってたら遠くのたじまさんに撮られてた
旅の終わりにどこへ行こうと旅だからぼくたちがたどりつくロッテリア
*
ひょえ~って言うときあんましひょえ~って思ってなさそう ひょえ~って言う
すこしずつ余った皿をそっちへと寄せてく春の気配のように
また関西であいましょう。
爪にひとつ見えない星をいつだって灯したままで待っているから
*
いろんな音楽や、いろんな喜びを教えてくれて、ありがとう。
名指しながら植物園をあるくときこころにも椿をうつしとる
港へとむかえば出会う公園に仲良くさまざまなスケーター
珈琲のうえであなたのぐちを聞くあなたのために在りたいいつも
酔っぱらって電話をかけて寝落ちする薔薇みたいだよ夜の時間が
ところで君の音楽の趣味の少し偏屈なところが好きだった/andymori「誰にも見つけられない星になれたら」
カラオケできみが歌っていた曲を帰って聴いてさびしさがくる
ぐらぐらの頭さらに揺らしながら 君のことだけ考えている いつか見た夏の海も冬の星も消えてしまうだろう 無くなってしまうだろう/andymori「Sunrise & Sunset」
海を見て海を見ているきみを見てまた海を見るそれだけだけど
東京でもどうか元気で。
きみと過ごしたどの季節にも鴨川があり鴨川をはなれてしまう
きみに出会えて、よかった。
歌のことばかりをいつもいつもしてきみは迷惑じゃなかったかなあ
暮春集(二)(抄)(2017年)
得たものは失っていくものだからあまねく花束へ燃え尽きろ
2012年4月12日(木)、はじめて京大短歌に参加したときに、
未経験ゾーンに足を踏み入れて未来分岐を踏み潰してく
という歌を出した。短歌を批評するのもされるのももちろんはじめてだった。その時に出ていた他の歌。大森さんの〈さきに眠ったあなたからはみ出してきた夜を魚の薄さでねむる〉について、性愛の歌ですよね、ということが恥ずかしくて言えなかった。余計に恥ずかしかった。藪内さんの〈うつくしく傘を折りたたむひととして雨のさくらの樹の下にゐる〉を見て、言葉のしなやかさに惹かれた。廣野さんの歌の〈実景を六つに分ける窓〉というフレーズが、まじで、なんでこんなことを歌にするんだろう、とか思ってた。どういう意味があるのかよくわからない、と言った覚えがある。自分がこんなに短歌にのめりこむとは思っていなかった。ほんとうに、未経験ゾーンだった。
おむら屋のあとに4人で三条へむかってみにいったレイトショー
合宿の夜たべにいくラーメンのようなかがやきが確かにあった
五年間、さまざまな人を送り出してきて、そのたびにさびしくなってきた。2013年、大森さん、駒井さん、吉國さん。2014年、廣野さん、小林さん、笠木さん、藪内さん。2015年、坂井さん、榊原さん、山田さん。2016年、中山さん、橋爪さん、松尾さん。他にも、追い出せずに京大短歌をやめてしまったひとたち。
群像は百万遍をながれゆきとどまる側がもっともさびし/永田紅『北部キャンパスの日々』
という歌がいつも胸のなかに流れていた。そして、
とどまらない側で百万遍をゆくさびしいのかなあ耳鳴りのように
ずっと疏水のそばでずーっと歌ってた。春には春の桜うかべて
なにもないフローリングに座り込み月日は赤い一瞬の薔薇
この句またがりは屈折感などではない
横隔膜の震えのように日々は過ぎほんとうに京都が好きだった
すべて失くした心の中で音楽が鳴りやまなくて鴨川にいた
左へカーブを曲がると 光る海が見えてくる/小沢健二「さよならなんて云えないよ」
きみを見てきみが笑った一瞬をそのいっしゅんでわすれてしまう
いつの日かこの町を出て行く僕らだから/THE BLUE HEARTS「休日」
さようなら 笹舟のようなひとときを歩いていって振り返らない
何にもかも忘られないよ お世話になりました/井上順「お世話になりました」
去るんだなあ 夜風にあたり歌う歌がなんで不思議とラブいんだろう
初出
「浅春集」:「塔」2015年8月号
「送春集」:京大短歌追い出し歌会(2016年3月11日)
「暮春集」:京大短歌追い出し歌会(2017年3月8日)
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