友だちと会うことについて

最近毎日誰かしら友だちに会っている。
寂しくて予定を入れてもらっている。

私はずっと人間嫌いだと思ってきた。
小さい頃から仲が良かったり、学校でずっと一緒にいてくれたり、親友と呼べる友だちは何人かいるが、それは一緒にいる時間が長かったからそういう関係になれたのであり、なかなかべったり一緒にいる時間が取れない年齢になってくるとどうしても会うたび緊張したり、当たり障りのないことしか言えなかったりする。
私は人間関係を深めるのにだいぶ時間を要するタイプなのだ。

誰かと対立することはほとんどなく、誰とでも当たり障りのない関係では居られるのだが、気軽に遊びに誘ったり、何話そう、、と心配しなくて良かったりするような関係になるまでは結構時間がかかる。

それは人間が苦手だからだと思っていた。

でも、友だちに会いたい、とは思うのだ。
少し前までは友だちと会う約束をしても、会う前になると緊張してしまってなんだかうまく行かないというようなことが多かった。
解散した後には満足が残るのだが、それは一緒にいる時間を楽しんだというより私なんかに会ってくれたという成果的な嬉しさだったと思う。

こういう状況は不健全だと思っていた。
友だちと会っている間は友だちと会っている時間そのものを楽しみたいと常々思っていた。

それがなぜか最近、何かを意識的に変えたわけでもないのに前よりも友だちと会っている時間そのものが楽しめるようになってきた感じがするのだ。

大きな理由は恋人と別れたことだと思う。
なぜ恋人と別れると友だちと会う時間そのものが楽しめるようになったのか、、。
思いつく理由が3つある。

一人の時間が寂しすぎて、人といる時間の方が気持ちが落ち着くようになったから

単純に一人の時間が本当に寂しい。寂しい、というか悲しい気持ちになってしまう。だから私は友だちをはじめ、積極的に人と会うようにした。そうすると、寂しさや悲しさから離れる時間が増え、楽しい話もできる。自分勝手だが本当に良い気晴らしになっている。一人でいる時間が寂しい分、人と会う時の嬉しさや満足感が今までより増えたのだと思う。

恋人以外の人を頼り始めたから

恋人がいる間は友だちのことも大切に思ってはいたけど、最終的に恋人がいてくれれば安心だったし、心を開く相手が一人いればそれで良かった。実際私はかなり恋人に心を開いていた。こんなに他人と近くなれるのかと思うほどに。だから友だちに心を開く努力をする必要がそんなにはなかった。
けれど恋人という存在がいなくなってみると頼れる存在が多くはない。
このままでは(比喩的に)生きていけない。
多分私は無意識的にだが今までより友だちに頼ろうとするようになった。会う時間をとってもらうという意味でも、心を開くという意味でも。

緊張感が皆無という外れ値をとる存在がいなくなったから

恋人と一緒にいるのは本当に楽だった。家族と一緒にいるより楽なくらいだった。
だから、どんな友だちと一緒のときも恋人と一緒にいるときの楽さが優ってしまい、緊張感が自分の中で誇張されていた気がする。
レベチの安心感を持つ存在が消えたことで、恋人以外の人への緊張感の誇張がなくなったのではないか。

なんだか全体的に自分勝手だなあと思うが、私が勝手に誰かを頼ればその人が困った時には私を頼ってくれるかもしれないという淡い期待を抱きつつ、まだまだいろんな人に構ってもらいたい。

助けてくれている皆さん、ありがとう。

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