否定と肯定
少しこのテーマで書きたくなったので。
私が常々思うのが、「他人を否定するということは自分も否定されるという覚悟を持つ」ということです。
私は、基本的に余程ろくな目に合わない限りは否定はなるべくしないようにしています。
逆に言えば、経験則で、信頼出来ないと感じると否定します。
かつてはなんでも一度否定してから受け入れるという、よくわからないことをしてしまっていましたが、それは自分にとって損でしかないと気づいたのです。
もっとも、自分の親に対しては肯定した結果ろくな目に合わず、常に心にダメージを受けさせられていたので、否定しがちなのですが……。
ただ、それでも、「否定してるからこっちも否定されて仕方ない」と思っているので、今は適度な距離を保っていますが。
話がズレましたが、だいたい、他者が自分に何かアドバイスなり言葉をかけてくれるという事は、余程の事がない限りは「操作しよう」とか「思い通りに動け」とかはなく、何かしら理由があると思います。
心配してくれているとか、何かしら付き合い上困るとか……。
全てを肯定する必要はもちろんないと思います。ただ、「自分を貫く事」と「否定するという事」は実は似ているようで違うと思うのです。
「他人の多様な言葉から自分なりの答えを導き出し、それを軸にする」というのが「自分を貫く事」であり、「自分の考えが否定されるのはおかしい。自分の方が正しい」「自分はこういう人間だから受け入れろ」というのは、ただ意固地になっているだけなのではないでしょうか?
信念と頑固は別物だと思います。そして否定と肯定も取捨選択をする必要があると思います。
ただ、注意すべきなのは「自分にとって心地の良いもの」だけを肯定すること。
なぜなら、それはただ「自分を肯定してくれる」事に依存し、益々損だと思うからです。
損とは何か? それは、私にとっては「一個人としての価値」と「人間関係の構築及び信頼関係」の喪失だと思っています。
否定されるという事は、何かしらそこにも理由があると思うからこそ、一度「何故自分の考えは否定されたのか?」を考えてみると良いかもしれません。
それが、ただ相手の都合なのか、それとも心配または不利益をこうむるからなのか……。
それによって「否定するのか肯定するのか」判断しても良いかと、私は思うのです。
長くなりましたが、あくまでこれも一個人の意見ですので、違う答えがあって然るべきと思います。
それでは、読んで頂きありがとうございました!
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