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20代が3年間地方フリーランスをやった結果

私はホームレス状態で淡路島に来てから2ヶ月でBARを始めた経験がある。お金もなかったが奇跡の初期費用ほぼ無しでスタートさせる事ができた。物件の問題等で現在BARはやっていないが、私の最初の事業であり、多くの方との関わりのきっかけや自分自身を知る機会を与えてくれたかけがえのない経験となっている。

今はアウトドア施設や映像PR業などを仲間とやっていて、一見BARとは畑違いのように感じるが、あの時の学びはとても生きているとふとした時に感じる。

スティーブ・ジョブズの有名なスピーチにもあるように、点をつなげる感覚を味わえた様に思えている。

ちなみにBARの名前は「BAR DAR」で「だぁ」という淡路島の方言からとった。東京出身の私は方言が新鮮だった。そして「だぁ」には「そうだよね?」のような共感的な意味があり、THE BARのように敷居が高くない「BARだよね?」というアットホームな店にぴったりなネーミングだったと思っている。

そんなBAR DARで出会った友人がいる。祖父の家が淡路島にあり、PC一台で仕事ができる彼は淡路島でフリーランスのIT系の仕事をしていた。年齢も私の一つ上(28歳)で東京からの移住という事もあり境遇が近く仲良くなった。

そして彼はYOUTUBEをやっていて、一緒に運営する仲間を探していた。そこで、アホみたいに動き回っている私を気に入り、一緒にやらないかと声をかけてくれたのだ。

そこからお互いのできる範囲で趣味程度に進めていたYOUTUBEも3700人近いフォロワーさんに恵まれ収益化する様になった(お小遣いにもならない様な額だが)。

YOUTUBE撮影という理由で定期的に顔を合わせているとお互いの現状の共有する話になる。高学歴で計画的な彼と、無計画で行き当たりばったりな私の進捗具合は新鮮で、お互いにいい刺激を受けていたと思う。

最近は東京などからの企業案件が多くなってきた彼は、家にこもって仕事を行いながら、自分のやりたいこととも向き合う日々を過ごしていた。対する私は、神戸、徳島、ベトナムなど動き回り、いつも新しいことに興味を持っていた。

そして本日、彼から一本の電話を受けた。「拠点を東京に戻す」というのだ。話を聞いてみると自分のやりたいことを実現するチャンスが舞い込んできて挑戦したいということだった。

淡路島に来た当初の彼は、フリーランスとして駆け出しの段階だった。しかし、南あわじ市での仕事を受けたりと前進していくにつれて、仕事のレベルが上がっていった。そして、今回のようなチャンスが舞い込んできたのだと思う。

私は彼がいなくなることは寂しい。しかし、若者の地方での挑戦はやはり面白いとテンションが上がったのも事実だ。「移住」という言葉は、一生を感じで重い。私は「留学」という方があっている気がする。

彼のように3年程度淡路島に留学したことで、市場価値が上がり、やりたいことを見つけ、実現するチャンスを得た。これほど人生を面白くするキャリアアップがあるだろうか。さらに淡路島で新しい人脈もできて、新しい故郷を得られるのであればこの地方留学は可能性に満ちている。

彼の東京での挑戦で刺激をもらうだろうし、私の淡路島での冒険によって彼に刺激を与えていきたい。「若者×地方×挑戦」という私の軸に改めて自信を持てた機会だった。

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