求められている「普通の人のリアル」
8月15日の終戦記念日を迎えた。私も今の平和の礎を築いてくださった方々に感謝の意を表して黙祷をささげた。終戦から77年を迎えた今年、全国戦没者追悼式が行われ、天皇陛下や岸田総理が参列された。そして一般の参列者は70歳以上が8割に及んでいたという。
私のような戦争を経験していない20代にとって、戦争は過去のものになってきてしまっている。私はたまたま前職が日本という母国に対しての教育に力を入れていた為、関心がある方だが、一般的にはそうではないように思える。ウクライナを見ればわかるように、戦争は過去のものではないし、日本だって明日は我が身だ。大東亜戦争での経験を無駄にしない為にも過去のことにしてはいけない。
私が住んでいる南あわじ市には、「若人の広場」という戦死した若者への追悼の意を込めて作られた施設がある。そこでは毎年8月15日になると市長をはじめ、学生や来賓の方などが参加し、式典が催される。
ウクライナと日本の高校生がディスカッションしているテレビ番組を見た。ウクライナの今をウクライナの高校生が感じた形で話し、平和について議論していた。最後に日本人学生の感想の中で、「一般の人のリアルな声を情報として発信していく事が何より重要だと感じた」という感想があった。メデイアの発信は切り取る側の意図が反映され事実とは遠い。実際に暮らしている普通の人の言葉を聞ける媒体は確かに重要だと感じた。そして何よりその声を聞いた学生が言っているのだから価値のある情報を得たのだろうと感じた。
ウクライナの問題も日が進むにつれて関心は薄れる。しかし、日常的に現地のリアルが耳に入ってくれば感じ方も変わってくるだろう。「普通な人の感じるリアル」が持つ力は大きいと思った。
私が受ける移住相談に置き換えても、「先輩移住者」や「地元の人」の実態について不安を感じている人が多い。制度や移住を受け入れたい側の発信よりも普通の人の声に需要があるように感じる。飲食店選びでも重要視される口コミも客(普通の人)のリアルな声なのだから近いことが言えるだろう。
人にはいろいろな主義があり、信念があり、判断基準がある。しかし、無知による偏った考えに至ってしまうのは悲しい。靖国神社参拝においても様々な意見があるが、首相が参拝して叩かれるなんておかしいと私は思う。しかし、偏ったメディアの情報だけを鵜呑みにすると何やらいけない事をしているように思ってしまう人もいる。そんな時にも、参拝している普通の人の声が気付きや学びを与えてくれると思う。
日本人の固定観念と世界の暮らしの間にも大きなギャップがある。逆も然りで、世界から見た日本も同様だ。そんな時に、日本とウクライナの学生がかわしたような情報を交換するという事に大きな価値があるのだと勉強になった。
地方の暮らしと都会の暮らしでも、お互い自分が幸せに生きられる選択肢を持つきっかけとして「普通の人のリアル」は大切にすべき点なのかもしれない。
日頃から戦争のことを考えられている訳ではない。せめて8月15日は感謝を思い出せる人が増えて欲しいし、そういう自分でありたい。
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