地方でのキャリアが市場価値を上げる
ホームレス状態で淡路島に移住し、生きていくために最初に就いた仕事が宿泊業だった。オーナーが先代からホテルを受け継ぐ際に、ファミリー向けにアレンジし、今では連日満室の人気のホテルだ。現在私はそこで行っているBBQの仕組みを真似して、焚き火BASE〜HOKAGE〜というアウトドア施設を経営している。
一般的な人のキャリアという面では大きく逸脱してしまった。しかし、対外的には小規模でも講演の機会を頂いたり、ラジオや関西ネットのテレビに取り上げてもらったりした。自分自身を見つめ直しても、企業前の自分より遥かに他の企業に行っても貢献できる自分になってきたと感じている(もう元の生活には戻れないが、、、)。
そして淡路島で事業をしていく中で、食いっぱぐれたら社員としていいポストで雇ってくれそうな経営者との付き合いもたくさんできた。働くことになってもあの社長の為ならと思える人間関係ができているため、それほど苦ではないと思う。お分かりの通り、たった3年弱過ごしただけでくいっ歯ぐれないし嫌なことはしなくていい環境ができたのだ。
それはもちろん、特別に私が優秀だからではない。東京でのサラリーマン時代の学びと、人との出会いを大切にするスタンスが、淡路島でいい方に生きているということだ。都会で嫌嫌働くくらいなら地方で挑戦すればいいのにと心から思う。
そして、50代のキャリアについての記事を読んだ。50代になると出世や給与の増加をギラギラと狙うモチベーションがなくなり、管理職か何もしない人のどちらかになるというものだった。何のために仕事をしているのかわからなくなるのが50代なのだという。
30年近く同じ会社に勤めて、50代でモチベーションをなくし、労働から解放された定年後にやることがなく燃え尽きる。そんな生き方は悲しすぎる。そもそも仕事の中に自分が楽しそうなことや、やりたい生き方を取り入れる発想がなさすぎることが理由のように思える。
私は自由に経営して仲間と挑戦を楽しめる組織を作りたかった。だから脱サラし現在に至る。シンプルだが死んだら自分が悪いし楽しいのも自分が選んだからと言い切れる。私の身の回りには生き生きとした50代もたくさんいる。そういう人は自分が何を求めていて、何をすべきかが見えている。「仕事は会社から言われた時間しなくてはならないもの」、「仕事は人生の大部分であり中心」このような考え方ありきだと、仕事に依存している状態だと言える。
燃え尽き予備軍の20代こそ地方を見てほしい。仕事以外に多くの人間関係が生まれ、人生という器の中に何を入れるか選択していくことでイキイキと楽しく生きていけるのだと私は考えている。借金持ちのホームレス状態の私でさえ楽しく生きているのだから。あなたに出来ない理由はない。