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実家の墓じまい|千の風になって
現世に神も仏もあるものか
映画「室町無頼」を観た後、垣根涼介さんの小説「室町無頼」が原作と知り読んでみた。
映画も良かったけど、やはり小説の方がおもしろい。
小説は、
「現世に神も仏もあるものか」ではじまる。
室町無頼の舞台は応仁の乱直前の京都である。主人公の蓮田兵衛が寛正の徳政一揆を起こす物語だが、公式サイトのイントロダクションでは、
天災、物価高騰、政治不信、ポスト・コロナの不安な世界。
そんな中にあって、名もなき人々が、ダメな幕府に命懸けで「NO」を突きつけ、次代の扉をこじ開ける姿――
それはきっと、今を生きる人々に大きな爽快感と明日への情熱を与えるはず。
とあるように、今を生きるわたしたちへのメッセージともとれる。
土倉や酒屋、問丸は銭にものを言わせて暴利を貪り、幕府や公卿は好き勝手に関所をつくり、寺社仏閣も様々な座から上納金を吸い上げ、それぞれの富貴を謳歌するばかり。
物語に登場する法妙坊は、叡山の権威を笠に着て法外な金利で銭を貸し付けている。しかも返済が滞れば神仏の鉄槌が下ると脅かす。
家康から考える「日本人というもの」
磯田道史氏の「家康の誤算」の第5章が興味深い。
ここでは、徳川家康がつくった「仕組み」は日本の庶民の心のうちにまで影響していて、信じ込んでいるもの、信じ込まされているもので動いていくとある。
室町時代以降、自分の家を自覚し始めた日本の民の軸となる思想や、先祖を祭祀するための仏教もそのうちのひとつ。
高い身分の武士の戒名は院居士や居士、低い身分の武士や民には信士をつけ、死後もランク付けを行い、もらったお金の多寡で死後の名前にわざわざ永久の差別をつけたが、これはもちろんお釈迦様の教えではない。
この信じこまされている悪習がいまも続いていることが信じられないわたしは、実家の墓じまいを決意したのだ。
実家のお墓は先祖代々でなく、わたしの父が祖父母のために建てたもので、91才の母を見送ってから墓じまいを考えていた。
ところが、何年か前に菩提寺が永代供養のお堂を建立した。当然檀家として寄進を勧められる。
父が他界したとき、ゆくゆくは永代供養堂にと伝えたら四霊まで150万円以上の冥加料が必要で、五霊からは一霊追加ごとに50万円が必要だと言う。
お墓を建てる時に権利金?や墓石代を支払い、毎月の檀家が支払う会費を長年払って、墓じまいするときは自己負担、魂をぬく儀式にお布施が必要と、いったい誰が決めたのか?
坊主憎けりゃ袈裟まで憎い
とはよく言ったものだ。
千の風になって
いつだったか、この歌がヒットしたとき、高野山大学の先生の本に葬式仏教と揶揄されていることについて書かれていた。
下記のリンク先にも似た内容が書かれているので、良かったら参考に。
わたしのお墓の前で泣かないで
わたしはそこにはいない
風になって見守っている
というような内容の歌で、わたしは風ではなくわたしの心の中で生きていると思っている。
立派なお墓が無くても、位の高い戒名をつけなくても、亡き人を身近に感じることができさえすれば、それはそれで良しとしたい。
空海さまも一遍上人さまもお釈迦さまも、お金ばかり要求したりはしない。
人は死んだら無になるだけ。
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