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アイゴヤ

平日の昼、祖母と中華街に出かけた。

メインストリートから少し外れたところにある喫茶「TAKEMI 」のママは、祖母の昔からの友人らしい。TAKEMIのママだからといって、彼女の名前がタケミさんかどうかは不明だ。高校生あたりのころ、きまぐれに幼少期の記憶を頼りに訪れたことがある。私が従業員の女性に「タケミさんいますか」と尋ねたときの「なに言ってんだこいつ」という顔が忘れられない。そのあと私が「タケミおばさん」だと思い込んでいた女性とは無事再会できたのだが、なんだか怖くなって「あなたタケミさんじゃないんですか」と聞くことはできなかった。だから、私はこの人の名前がいまだにわからない。私の認識はそのときから「たけみおばさん」ではなく「TAKEMIのママ」である。

TAKEMIのママの旦那さんが亡くなったから、お悔やみを申し上げに行こう祖母に誘われ、私はまた数年ぶりにTAKEMIにやってきたのだった。平日にもかかわらず、観光客でごったがえすメインストリートと一息おいて、店内は驚くほど穏やかだった。端のテーブルに派手な髪の男女が1組座っているだけで、他にお客は誰もいない。TAKEMIにはパンダ饅頭も杏仁ソフトクリームもない。本当になんの変哲もない喫茶店だから、観光客が入ってくることはほとんどないのだろう。来るのは、今時タバコが吸い放題の喫茶店をありがたがる近隣住民たちなのだろうと、私は安易に想像した。

カウンターの下のほうには、小太りの優しい顔をしたおじいさんの写真が立ててあったこの人がママの旦那さんか。祖母が香典と思しき封筒を差し出すと、ママは「いいのよいいのよ、こういうのはね、全部断ってんだから!」と、旦那を亡くした直後とは思えない大声を張りながら封筒を突き返してきた。しかし、それに負けじと「いいのよ!何にもできなかったから私!いいから!」と、御年88歳の祖母も、封筒をグイグイ押し返す。細いおばさんと丸っこい祖母の封筒を挟んだぶつかり稽古がしばらく続き、そのあと、私の本を読んでくれたらしいママに、私から葛ゼリーのギフトセットを手渡した。これはすんなりと受け取ってくれてホッとした。

お腹が空いていた私は、前にメニューにあった醤油ラーメンを頼もうと思いメニューを見たが、醤油ラーメンが書かれていた箇所は、ピラフやスパゲッティの欄と一緒にシールで消されてしまっていた。そういえば、前に来たときはこの遺影のおじいさんがキッチンのほうでテキパキと動いていたような気がする。私は人の顔を覚えるのが得意ではない。まったく会ったことがないと思っていたおじいさんのわずかな記憶が、フワフワと浮かび上がってきて、私は急に寂しくなった。

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「もっと知りたい。こんなとき、貴方になんと伝えようか。もっと聞きたい。貴方はなんて言ってくれるの。」 月2回更新します。

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