伊藤亜和

亜細亜の平和。初孫。主に昔話や日記を書きます。

伊藤亜和

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マガジン

  • 【note連載】言葉

    「もっと知りたい。こんなとき、貴方になんと伝えようか。もっと聞きたい。貴方はなんて言ってくれるの。」 月2回更新します。

  • 小説

    思いつきで物語は成立するのか

  • ハプニング集

    これまでに発生した人生のハプニングまとめ

  • 離人症で悟りかけた話

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パパと私

パパと会わなくなって7年経った。 死んでしまったわけではない。パパは私が住む家から歩いて1分ほどの場所に住んでいる。でも会わない。 喧嘩をしたからだ。 私が18になったとき、私とパパは警察が来るほどの大喧嘩をして、それ以来いちども顔を合わせていない。 私のパパはセネガル人だ。アフリカの西の、イスラムの国の人間だ。 私の本名には苗字がふたつ付いていて(戸籍上片方の苗字は名前扱いになっているけど)、パパの家系の苗字はセネガルの由緒ある聖人の家系の印として付けられているら

    • 地頭がいい

      私は「頭の良い人」が好きだ。「頭が良い人」の定義について、最近の世の中、とくに私が主な活動拠点としているSNSでは、さまざまな議論が飛び交っている場面をよく見かける。 今流行っているのは「地頭」というやつだ。勉強ができるうんぬんではなく、あらゆる場面に適した立ち回りや、筋道を立てて何かを論ずるということが、とくに訓練したわけでもなくできる人のこと。 「地頭」という言葉の便利な点は、それを評価する際にこれといった資格や証明のようなものが必要ないことだ。 人が誰かを「地頭が

      • 同じ名前

        名刺を渡すと「芸名ですよね?」と聞かれることが時々ある。そのたびに私は「芸名でこんな名前つけませんよ」と答えるのだが「こんな名前」と表現することにべつに深い意味はない。きちんと答えるとすれば「自分で芸名をつけるとしたら、わざわざこんなツッコまれそうな名前つけないし、そもそも亜細亜の亜に平和の和で亜和なんて名前、私には思いつきません」といったところだろうか。

        • 津軽弁と片想い

          車で横浜の自宅を早朝の4時に出発し、昼過ぎに十和田に到着した。湖のほとりの古めかしく大きなホテルの案内人の説明を聞きながら、私は今年もまた青森にやってきたことを実感した。 私は祖父と祖母とで、年にいちど祖母の故郷を訪れる。とは言っても、私がこの旅のメンバーとして加わったのはつい1年前からのことだ。新幹線のほうが速いしかえって安上がりだと駄々をこねる私に、祖父母は「荷物が多いから」と、お土産の鳩サブレやドライマンゴーをせっせと買い揃えながら言う。向こうに鳩サブレを噛めるほど歯

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        パパと私

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          6本
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          1本

        記事

          「あんたみたいな」

          今日も昼過ぎに起きて、祖母が茹でたうどんを食べていた。溜まっていた大河ドラマの続きを見ながら食べたかったのに、祖母がやたらと話しかけてくるので、私は途中でドラマを止めて適当に相槌を打つことにした。 「おとといは何の用があって大阪まで行ったのか」と聞かれたので、私は短く「モデルの仕事」と返事をした。祖母はふーんというような返事をしたあと、それと変わらないままの声の調子で「まあ、いちいち一流のモデルなんて使えないから、あんたみたいなのも使うんだろうね、会社も」と言った。 私は

          「あんたみたいな」

          くさい

          去年の誕生日、ハンドクリームを頂いた。「ヒノキの香り」と書いてあって、つけてみると、まるでスケベなくせにストイックを装い、生成り色のセットアップを着て丸眼鏡をかけている都会の男のような匂いがした。そういう男の家にはたぶん無印用品の歯ブラシ立てがあるし、おそらくバルミューダのポットもある。ゴチャゴチャ言ってしまったが、私はこのお香のような香りがかなり好きだ。ブランドの服やアクセサリーみたいに「思い切って買う」というほどの値段ではないが、ハンドクリームにしては少し贅沢な品。こうい

          アイゴヤ

          平日の昼、祖母と中華街に出かけた。 メインストリートから少し外れたところにある喫茶「TAKEMI 」のママは、祖母の昔からの友人らしい。TAKEMIのママだからといって、彼女の名前がタケミさんかどうかは不明だ。高校生あたりのころ、きまぐれに幼少期の記憶を頼りに訪れたことがある。私が従業員の女性に「タケミさんいますか」と尋ねたときの「なに言ってんだこいつ」という顔が忘れられない。そのあと私が「タケミおばさん」だと思い込んでいた女性とは無事再会できたのだが、なんだか怖くなって「

          Liberté

          ふと思い立って、匿名でメッセージを募集できるアプリを使ってみた。かなり前に使っていた「質問箱」というアプリはどうやらもう利用できないらしく。今の主流は「マシュマロ」なるものらしい。あらかじめ届いたメッセージが選別されて表示されるらしく「匿名のメッセージは受け付けるのに、悪口はこない」のが特徴らしい。 悪口が届かない? そんなことはできっこないだろうと思った。たぶん「バカ」とか「死ね」とか、そういうわかりやすい言葉を弾くことはできるのだろう。死ねと言われえて喜ぶ人間はいないだ

          絶句

          人に面と向かって暴言を吐かれたことがない。唯一思い出せるのは、祖母に手を引かれて広い道路の片側を歩いていたときの記憶。たぶん、小学生にもなっていなかったと思う。川のそばで、空は気持ちよく晴れていた道の途中、反対側にいた小学生男子の集団の中のひとりが、私を一瞥して「外国人だ。気持ち悪りぃ」と叫びながら走っていった。心地よい風が吹く午後だった。 きっとこれから、なんどもこんなことがあるのだろうと、私は迎えに来た車の中でめそめそ泣きながら考えていたのだが、大人になっても、それ以来

          「言葉は歌なり 歌は言葉なり」

          父はよく、私に歌を歌ってくれた。おそらくセネガルでは定番の、子供をあやすための手遊び歌のようなものだった。記憶が正しければ、それは「ラーインベレ、アフジャマノ」というような、セネガルで話されている“ウォロフ語”らしい歌詞から始まり、それからしばらく単調な調子が続く。私が「パパ、あれやって」とねだると、父は笑顔で手をたたきながら歌いはじめ、私も手を叩いてそれをまね、まもなく起こることへの期待に心拍数があがってこらえきれずににニヤニヤと笑う。 単調なメロディがおわると、父は私の

          「言葉は歌なり 歌は言葉なり」

          復讐

          私がいつから言葉に執着するようになったか、思い出してみよう。 私の言葉にまつわる悲しい記憶は小学校の下校時間から始まっている。 私は天然パーマの髪を三つ編みにして、赤いランドセルを背負って学校に通っていた。今の私ならば選ばないであろう、昼下がりの日の光を受けて、鮮やかに輝くロゼ色のランドセルだった。授業が終わって帰る途中、あと5分も歩けば家に着くあたりの道には、やがて私も通うことになる中学校があった。道は中学校のフェンスに沿って続き、フェンスの向こう側には広い校庭があり、

          ファンクに抱かれて

          私は黒人とのハーフだ。それで、黒人好きの男が嫌いだ。 とはいっても、人の好みに善悪をつけるつもりはない。私だって、色白の優しい目の男が好きだ。人にはそれぞれ、恋愛的に好きになる相手の傾向、俗にいう「タイプ」というものがある。もちろん、エキゾティックな顔が好みという人もいるだろう。私はそれを聞いて不快になったりもしないし、美人が好きだと言われても、物静かな子が好きだと言われても「そうなんだ」程度の感想しかない。それぞれの好みのタイプというものを面白がったり「ありえな~い」とか

          ファンクに抱かれて

          「自慢じゃないけど」

          「自慢じゃないけど」と、祖母はよく口にする。 リビングの棚には私が持ち帰ったウィスキーが何本か並んでいる。バランタイン、オールドパー、イチローズモルト。人から譲ってもらったものがほとんどなのだが、中には太っ腹な紳士が気まぐれで寄越すような、なかなか手に入らない高価なものもあったりする。

          「自慢じゃないけど」

          ちゃっかしいの謎

          小学校の高学年のとき、突如として謎の言葉が流行した。たぶん最初に言い出したのは、学校の中でもやんちゃで目立ってた稲村くんだったと思う。ちなみに私は稲村くんのことが好きだった。小中学生の頃は、私も例にもれず足が速くて少しやんちゃな男子を好きになりがちだった。まあ、この件と一切関係ないそんな話は置いといて、稲村くんはあるときからこんなことを言うようになった。  「ちゃっかしい」 ちゃっかしい。それは私が今まで聞いたことのない表現だった。ちゃっかしい。聞いたことがなかったどころ

          ちゃっかしいの謎

          声は小さい、気は強い

          私は声が小さい。 言葉を話せるようになった瞬間からずっと小さい。話す速度ものろくて、抑揚もあまりない。どうしてこうなったかはわからない。物心がつき、いくつかの言葉を発したあと、私はこのくらいの音量が私には最適と考えたのだと思う。 もしかしたら、最初は声の大きく短気な父を刺激しないためだったかもしれないし、べつに理由なんてとくになくて、ただ母の話し方をそっくりそのまま受け継いだだけかもしれない。たしかに、私と弟は母とそっくりな話し方をする。3人とも、まるで牛が草を食みながら

          声は小さい、気は強い

          積み木の塔

          最近、話題の種はTikTokから生まれることが多い。昭和の子どもたちの話題がもっぱらドリフのコント番組だったように、平成のオタクがニコニコの動画についてばかり話していたように、私が働くバイト先の学生たちはTikTokの話ばかりしている。 私はというと、いまだTikTokを始めるに至っていない。アプリをインストールするところまではいったのだが、開いた瞬間ノンストップで流れはじめた無数の映像に混乱し、画面を縦に動かすのか横に動かすのかもわからないまま早々にギブアップしてしまった

          積み木の塔