向こう岸からの眺め、新たな旅立ち
リスの尻尾がふわふわと揺れる。水音が聞こえる。
これまで「波の音」と表現してきたけれど、砂浜に打ち寄せる音とは少し違う。ゆらゆらと水が漂う音。
風に乗ってやってきたエネルギーが湖の淵にぶつかって立ち昇る。
昨日、グラナダのヨガのクラスで出会った女性が持っている場所をピーターさんが見に行き、来月一ヶ月はその場所に滞在をすることに決めた。
湖の反対側にあたるその場所はここよりも少し風が強いようだ。
思い返せば昨年4月から、「向こう岸からの眺め」を見てきた。
最初に滞在したトルコのイズミルでは、大きな湾を挟む2つの街にそれぞれ1ヶ月ずつ滞在した。次に滞在したイスタンブールはアジアとヨーロッパにまたがる街だ。ヨーロッパ側に滞在し、毎晩アジア側の丘を眺め、そして時折アジア側に渡りヨーロッパ側を眺めた。その次に滞在したギリシャのレロス島ではほぼ毎日、湾の向こう側までてくてくと歩きお茶をしながら滞在先があるエリアを眺めていた。
宇宙に行った宇宙飛行士は地球を遠くから眺めることによってオーバービューエフェクトという、ある種意識の変容が起こるというが、「向こう岸からの眺め」のそれに重なるものがあるのではないか。
自分がいる場所が対象化されることによって、世界だと思っていたものが世界の一部、あるいは世界のある側面に過ぎないのだと気づく。
たとえば自由や成功といったものも、多くは普段身を置く世界の中に暗黙のうちに存在する基準を活用しているに過ぎない。自分が自由意志の元選んでいると思っているものやこれが自分の幸せだと思っているものも、繰り返し刷り込まれた価値観によってそういうものだと思い込むようになったものだったりする。
反対側から眺めることは、自分を形作る重要なアイデンティティだと思っているものが無価値になることでもある。
所有するもの、所属するもの、肩書き。
そのどれもが何の意味をもなさないということに気づいたとき、人生において本当に大切なことに気づく。
自分を生きるということは破壊のプロセスだ。何度も何度も、社会の中で居場所や価値を得た自分を手放していく。
4月にはこの旅は終わりを迎えるかもしれない。
「旅をする自分」を手放したとき、今度はどんな世界に出会うことができるだろう。
旅はいつも、元のいた場所に戻ることで終わる。元いた場所に戻ってこその旅だ。
旅に出て、自分が暮らしてきた場所を「向こう岸」から眺め、旅から戻り、自分が旅してきた場所を再び「向こう岸」から眺める。
そのとき何に気づくのだろう。
旅を終えるにしろ続けるにしろ、一つのステージが終わり、新たなステージが始まる予感がしている。2022.2.23 Wed 8:50 Nicaragua Laguna de Apoyo
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