からあげが冷めない距離で
昨晩は近所の移住者仲間のカップルとからあげを食べた。
朝、昨晩のうちに玄米を水に浸しておくのを忘れたことに気づき、じゃあ何か作るよとピーターさんが台所に立った。
数十分後、庭で採れたバジルと近くの直売所で買ったミニトマトを使ったブルスケッタソース、やはり庭で採れたバジルをたっぷり使ったジェノベーゼソースに、同じく庭で採れたローズマリーを散らした焼きたてのフォカッチャが家の裏のデッキの、茶箱で作ったテーブルの上に並んだ。
どれもビックリするほどおいしい。
「レストランに行く必要がないね」という言葉はこれまで何度も口にしてきたが、やはりスルリと出てくる。
お茶畑の向こうから霧が立ち上る幻想的な景色が雨の季節も心地いいものにしてくれる。
幾度となく「おいしい」を繰り返し、食事を終えてお茶を淹れようとしていたら移住者仲間のカップルが家を出るのが見えた。
彼らの家は川の向こうで、直線距離にすれば200m以上はありそうだが、ちょうど我が家のデッキから家の前が見える。
「きっと犬の散歩がてらうちに寄っていくだろう」
と思っていたら、案の定、間も無くして「こんにちは」と声がした。
ひとりは犬を抱え、ひとりはオレンジ色の花とピーマンを手にしている。
「この間のハーブティー、美味しかったです。これ、うちの庭に咲いたので。こっちも庭で採れたのでどうぞ」
彼らの庭はうちの庭よりずっと広くて、彼らは日々庭仕事に精を出している。
「オチャノミマスカ?フォカッチャタベマスカ?」
とピーターさんが尋ねる。
ピーターさんがつくったものはいつも美味しいけれど、今日はその中でもとびきり美味しかったから、早速誰かに食べてほしいと思ったのだろう。
二人はこれから買い物に行くということで、晩ごはんを一緒に食べることにした。
そして彼らは揚げたてのからあげを持ってきた。
からあげとレモンを盛り付けた大きな器を、出前で使われていたおかもちのような、はたまた年季の入ったソーイングボックスにも見えるような木箱に入れて。
二人が好きな香港を舞台にした漫画で出てきた「レモンチキン」をずっとつくってみたかったのだと言う。
晩ごはんの約束をするときに普段肉料理をつくらないわたしたちに気を遣ってか、控えめに「レモンチキンをつくるから持って来ましょうか」と聞かれたけれど、二人とも厳格なベジタリアンではないし、何ならからあげは大好きだ。
レモンチキンを中心に、朝つくったジェノベーゼソースを使ったパスタ、そしてあらたに作ったブルスケッタソースとフォカッチャが並ぶ。
楽しい仲間と食べるごはんはそれだけでおいしい。さらにおいしい食べものだらけとなると、箸も話も止まらない。
「今日ソウちゃんが、二人があと15分くらいで来るって言ったんだけど、そのときに『今、彼らはチキンを飛ばしてる』って言ってたんだ。二人が鶏を持ってエイって空に飛ばす様子が浮かんだんだけど、なんでそんなことしてるんだろうって思ったよ」
(「からあげをあげている」とメッセージが来て「They are frying chickens」と伝えたつもりが、RがLの発音になって「チキンを飛ばしている」ということになった)
なんて、ホットな笑い話をピーターさんが持ち出しているうちにだんだんと日が暮れ、おなかもふくれ、家の中に入って猫と遊び、マフィンを焼き、ふたりが持ってきた小さな食べられる花をマフィンに添え、最近充実させた図書コーナーでお茶を飲んだ。
これまでこんな風にご近所づきあいというのをしたことがなかったけれど、近所に一緒にごはんを食べたい人がいるというのは幸せなことだなと最近思う。
これが隣の家だったら、頻繁に顔を合わせすぎだなあと感じるかもしれないし、姿が見えずメッセージのやりとりで予定を決めないといけなかったらそれはそれで面倒に感じるだろう。
散歩の途中で立ち寄れて、からあげが冷めないくらいの距離がちょうどいい。
季節がめぐるように、人生にもいろいろなときがやってくる。
ひとり静かに何かを深め、オンラインで人と関わる時間を経て、今は生身の人間として、いのちといのちとして出会う時間を存分に楽しんでいる。
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