今日はこれまでよりもほんの少し靄がかかっているけれど、それでも空の半分以上は青い。
雨が降ることもあるという情報だったが、滞在中ずっと天気が良く、朝晩強く冷え込むこともなかった。
昨日の午後は近くのビーチを訪れた。
2駅ほどバスに乗ってその後しばらく歩くイメージを持っていたが、最初の停留所を過ぎたところで降車ボタンを押した後、バスが思っていたのと違う方向に大きく曲がった。
どうやら目当てのバスと違うバスに乗ってしまったようだ。
「すぐに停まれば、歩いて戻れるだろう」などと思っていたが、バスは止まらずぐんぐん進み、しばらくして、ビーチの気配が全くしない場所で止まった。
わたし以外にもひと組のカップルが下車しているので、何か訪れるものがある場所ではあるようだ。
戻るのではなく進んでみようと思ってカップルの後をついていくと車がたくさん停まっている駐車場に出た。
駐車場のにはいくつか小さな屋台があり、その脇の道に向かう人々がいる。
急な下り坂を下ると、まもなく海が見えた。
キラキラと輝く水面を、サーフボードが滑る。
どうやらここが、目指していたビーチのようだ。
浜辺にサーフボードを並べレクチャーを受けている。
遠浅で強すぎずほどよく波があるので初心者にも適した場所なのだろう。
持ってきたタオルを砂浜に敷き、しばらくぼーっと海と戯れる人たちを眺めた。
水を持ってくるのを忘れてしまったし、地図で見つけたカフェにも行ってみたいと思い立ち上がるが、「だいたいあの辺にあるだろう」という方向はわかるものの、そこに至る道が分からない。
ビーチの脇に据えられた遊歩道のような場所に向かうと、道の脇にいた人が英語で挨拶をしてくるので、挨拶を返す。
アメリカ人だが、もう15年くらい韓国に、3年ほど済州島に住んでいるという彼は「ここが済州島で一番のビーチだ」と言った。
一昨日訪れた金寧ビーチもホワイトサンドと澄んだ水で本当に美しかったが、ここはまた違った雰囲気だ。まだそれが何かは分からないけれど、きっとそう感じさせる何かがあるのだろう。
しばらく話をして、「これからどこに行くのか」と尋ねられたので「この上にあるカフェに行きたい」と伝えると、カフェに行くには二つのルートがあると教えてくれた。
一つは来た道を戻り、駐車場から上に上がっていくルート。
もう一つはこのまま進んで途中で大きく方向転換し、階段を上がっていくルート。
二つ目の方が大変そうだったが、来た道を戻るよりも新しい道を進んでみたいのでそちらを選ぶことにし、お礼を言いその場を離れた。
進んでいくと階段は途中で大きなホテルの敷地につながっていて、ホテルの庭を通り抜けると目当てのカフェに辿り着くことができた。
あの人に教えてもらわなかったらきっと途中で引き返していただろう。
向かいたい場所があるときは、そこに向かいたいということを確認して、その想いを遠くに放り投げるようにしている。
どのルートを通るかにはこだわらない。
風に乗って、流れに乗って進む。
道の途中で、どこに行きたいのかと尋ねられることがある。
そのときは、正直に答えるのがいい。
心の中で紅茶を飲みたいと思っているのに、「コーヒーをください」と言ったらコーヒーが出てくるように、本当は行きたい場所があるのに別の場所を言うと、そちらに運ばれる。
行きたい場所を言う。そうしたらそこに運んでくれる。
宇宙は本当にシンプルだ。
だけどわたしたちはときに遠慮したり恥ずかしがったりして本当に行きたい場所とは違う場所を言ってしまったり、ごにょごにょしてしまったりすることがある。
「わたしはここに行きたい」と言えばいいだけなのに。
「今のわたしにはその資格がない」とか「準備ができたら」とか、何かと理由をつけて、行きたい場所に旗を立てることを自分自身に許すことができない。準備のためにたくさんの荷物を抱えていってしまう。そうすると、目的基地に向かうことがますます大変になる。
本当はわたしたちはいつもReadyだ。
何も持たなくていい。そのままの自分でいい。
外に出て、風に乗り、出会った人に笑顔で挨拶をすれば、
行きたい場所に気づいたら辿り着いている。
・・・・
カフェから海を見渡しながら、「ここが済州島で一番のビーチだとしたら、何がそう思わせるのだろう」と考えた。
穏やかに絶え間なく打ち寄せる波。
目の前には遮るもののない大海原が広がっている。
確かにこの光景は、周囲の町や風力発電の風車が立ち並ぶビーチとは違う。
まだ自分が元気なうちに何らかの理由で地球最後の日がやってくるとしたら、確かにこの海を見ていたい。
無限に続く宇宙の海原で小さないのちが出会う。
その奇跡の瞬間の美しさを感じながら、沈む夕日を眺め続けた。