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自己肯定感を纏う

なんでそんなに自己肯定感が低いの?

他者から「自己肯定感が低い」と言われる人で、
自分を「自己肯定感が低い」と認知している人
はいるんでしょうか。
私は、自分を「自己肯定感が低い」と認めることすら
おこがましいのでは?
謙遜していると思われることすら避けたい!!
「本当に私何もできないんです」は本心だと伝われっ…!
と思っていて。これくらい面倒なところがあります。

※調べたところ、私が低いと言われていたのは
本来「自己有用感」かもしれませんが、
今回は「自己肯定感」と表記しています。
これについては後述。

小動物みたい、悪い意味で。


「いつもペコペコしているよね。」
「嘘っぽい。」
この辺まではよくありました。
「怯えてるみたいで、
小動物みたいって思ったことあるよ。悪い意味で。」
それは初めて。悪い意味で小動物…?そんな人おる?

幼少期から根強く作られたものだったなと思います。

入院レベルの病気が多かった私が周囲の大人から言われた
「手がかかる」「お母さん大変だね」などの言葉たち。
生きているだけで迷惑をかけているのか…
それは申し訳ないなと。

中学生の頃に追い討ちがかかります。
家の近所のクリーニング屋さんに向かう最中、
同級生に橋の上から大きな声で容姿を馬鹿にされ、
自分嫌いに磨きがかかります。
そんな橋の上からわざわざ言うほど醜い…?
写真では笑わない、むしろできるなら写らない。
前髪は分厚く。触角(横髪)は顔を隠すように。

ちょっとのことで
「(こんな奴がさらに迷惑をかけて)すみません。」
が口癖になり、
自分を卑下して表現するのが当たり前になっていました。

「褒めてくれている人や大切に思ってくれている人に失礼だよ。」



わかる。言われていることは、字面としてはわかる。
これは結構ぐさっと来て、
誰かの発言や思いを蔑ろにしているんだと思いました。
でも、そうは言ったって、
誰かの評価をそのままの大きさで受け取りたくても、
そんなわけないと思ってしまったんです。

社交辞令や、
もしかしたら気をつけたほうがいいよ的な暗示?
(時には嫌味かもしれない!と思ったり、、)
もし、本気で褒めてくれているとしたら終了宣告だ。
今、この時点で見くびられたんだ、
これ以上はできないって。
それか、以前から見限られていたんだ、
でも、できたことが意外だったから
言ってくれたのかなとか。これが
「自己肯定感が低い」と言われていた私の脳内でした。

こじらせすぎです。でも、本心だった。
謙遜なんかじゃなくて呪縛です。

(今思い返せば「私はまだまだできるのに!」
みたいな感じでとても強欲、、
なんなら自己評価高いとすら言えそう、、)

自分のせいにしたら腑に落ちた。


人にこれ以上迷惑をかけたくない。
の気持ちが拭えなくて、
原因や要因、事象の根源を探るより、
「自分が悪い」と思ってしまえば
楽だったんだと思います。
客観的に見れば他に原因があるとしても、
自分のせいにして、自分で改善策を練ったら、
誰とも議論をする必要もないと気づいたんだと思います。
誰かと何かを協力して解決・
改善しようとすることが苦手で、
それが癖になっていました。

「ーだと思う」と表現するのは、
ある人の話を聞いてそう思ったから。

「自分のこと嫌いでいると楽なんだよね、
かまってくれるし、みんな自分以上にひどいこと言わない。
でも自分のことそんなきらいじゃないなって。
自分の好きなとこも知ってるなって。
わたし今悩みないんだよね。毎日たのしいの。」




それが大学4回生の11月。今から約4年前のこと。
ああ、私、自分で自分のせいにしたら、
これ以上「迷惑をかける人だ」って思われなくて
済むんじゃないか
って思ってたんだって。

それはものすごくシンプルだけど、
私を22年取り巻いていたもの。
すこしだけ解放されたのが23歳。
先日、26歳になりました。

周りから何を言ってもらっても
無駄にしてしまっていました。
これまでもらったいくつもの言葉を、
そのままの大きさと温かさで受け取っていたら
どれほど嬉しい気持ちに、豊かさにつながっただろうと思います。


そんな私は、3年ほどかけて卑下癖をほぼ克服したのではと思っています。
友人に話すと全然やでと一蹴されることもありますが…

変わったこと、変えたこと


可能な限り、自分が纏うものや目や耳から得るものは
「心からすき!」と思えるものを集める。


デパコスは「自己肯定感」

と聞いたことがあります。
お気に入りのネイルをしていると、
オフィスワークが捗る人もいます。
デパコスつけてるもん今日!とか
手元かわいい〜!とか。
誰かだけのために身につける、
指定されたものを身につけるではなく、
自分が「これを視界に入れたい」「纏っていたい」
と身につけたものはどれだけ安物でも、
他の人に理解されなくても最強なんです。

他のお店を回って戻ってきたら
もう出会えないかもしれない古着の1着。
ここでスキップしたらもう見つけられないかもしれない
偶然流れてきたインディーズバンドの一曲。
旅先でふらっと入った、1つひとつの本棚に
店員さんの意図がある本屋さんでの1冊。

身近な存在になった後も「やっぱりいいな」
と思える、言葉にしてしまう、
見返してにやにやして眺めていられる
それらを纏うようになってから、
容姿コンプレックスの部分に目が行きにくくなりました。
自分自身を褒められるよりも、自分が選んだもの/ことを
褒められる方が嬉しいと感じたんです。
「でしょ!」って心から言えるから。

自分が納得せざるを得ないスキルを身につけた。



「自己肯定感が低い」とされる人に
1番厳しく評価をつけるのはおそらく自分です。
根っこにあるものが、
家族や教師だという意見もあります。否定はしません。
その場合は、周囲の人が「今の自分」にも
同じような評価をしているかどうか整理してみます。
他者に強く厳しく評価されたことや、傷つけられたことが
たとえ薄れていたとしても、
ほんの少しでも記憶として蔓延っている場合、
私自身がそれを引っ張り出してきて
今の自分にも着せていました。
「生きているだけで迷惑をかけている」がまさにそれです。

もし、現在進行形で厳しい評価や傷つく言葉を貰ったとき、
それがどれだけ大きな一声だとしても、
客観的な評価や言葉かどうか?を考えました。
ただ、もともとは卑下全開なので、
1回の言葉が過去の言葉を全部保管されいる場所から
引き連れてかえってくるんです。
ひどいと脳内リピート再生。

本当は気にしすぎないでいいんです。
それができたらやってるんですよね。
でも気になっていることに
気づいていないくらい全身に”それ”がいる。

ベクトルを変えることにしました。
自分が、納得して、客観的に評価してあげられる
新たなスキルを身につけること。

ここで、私が大前提にしていたのは
「上位互換は山ほどいる」ということ。
こうしておかないと、人に褒められても、
上はもっといるし、私なんてと言い始めます。
面倒くさいんですほんと。

私の場合は成果物を作ること

職場で使える、プログラミングスキル。
あとは、定められた目標に近づける数値的な結果。
以前の自分と比較すること。
「ここが変わった」「これが作れるようになった」
上位互換は山ほどいるのは承知で、
私の中ではできるようになったと
思える成果物を作ったことです。
資格や具体物でもいいんだと思います。
もともと0だったことが1でも0.1でも
なればそれは「できた」とせざるを得ない。

あえて自分が苦手なことを
得意そうにしている人に教わりました。
定められた目標数値に近づけることで、
客観的評価をせざるを得ない状況を作りました。
かなり遠回りなやり方ですが、
自分で納得するには1番効果的でした。

もし近くに”自己肯定感が低い人”がいたら


本当に自己肯定感が低いのか?



自己肯定感ってなんや。
ほんまに低いん?調べてみました。

抜粋するとこんな感じ。
私がよく言われていたのは有用感にも近い?
自尊心や自己効力感なども類語としてありました。

自己肯定感
『自分が自分であって大丈夫』という感覚

自己肯定感等に関する一考察
https://www.kyoto-be.ne.jp/ed-center/cms_files/kenkyukiyo/3002.pdf

自己有用感
自分と他者(集団や社会)との関係を自他共に肯定的に受け入れられることで生まれる、自己に対する肯定的な評価


文部科学省:https://www.nier.go.jp/shido/leaf/leaf18.pdf


「自己肯定感ゲシュタルト崩壊・・」
とフリーズしそうなんですが、、
もし、「この人、自己肯定感低いな?」
「周囲の評価と自己評価が大きくずれているな」
と思ったら、そしてもし、それを「伝えたい」
と思ってくださった場合
(あくまで相手もそれを克服したいと思っている場合)は
・何(一般なのか最頻値なのか平均なのか)と、
・どのようにズレがあるのか。
を伝えていただけると、ありがたいなあという気持ちです。

久しぶりにお会いする方は、
私が自分を卑下しなくなっていて
拍子抜けするかもしれません。

縮こまっていた私は
今は少し大きく見えるかもしれません。

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