お役に立ちませんので失礼します
最近になって思うことですが、人が人を見る時に利用価値があるかどうか?で見ている人が思っていたよりも多いということです。そうした見方が無意識にくっついて離れなくなっている。無意識なので悪意も執着もないままに無意識に人をジャッジする行動をしていたりするのかも?と考えました。
その背景にはそうせざるを得ない社会構造も関係していると思います。(女性に多く見られる傾向があります。生存戦略として受け継がれてきた部分もあると思っています)
記号として振る舞えている人の方が一定の安心を与えることとも関係しているのかもしれないです。
過去いろんな場所で冷遇されてきた記憶があるのですが、どうしてそれが起きていたか?だいぶ理解して消化できました。
以前友人から言われた「人は求める反応しか求めてないよ あなたは何も返せてない」と言われた意味も腑に落ちました。自分は人を見る時に利用価値があるかどうか?という視点がなかったのでかなりズレた反応で返していたと思います。
ただわからないながらもそうした人と接した後には違和感が残り体温が低くなる感触がありました。その蓄積の疲労がどかんと今年来たと思います。
そこからSNSでも苦しい心情含めた吐露をしました。それ以降応援の声をかけてくださったみなさんありがとうございました。
無意識に人からの利だけを求める人は無意識なのでランダムにその時浮かんだ人を選んでいるんだと思います。
その無意識に対して今は「お役に立ちませんので失礼します」という言葉が浮かんでいます。
記号化され消費されることへ違和感を持ち続けたいのです。