前向きになるために始める一歩

これは未来の自分にあてた日記です。
のほほんと生きているだけでは自分自身を楽しませられないと気づいたので、このnoteを始めました。

楽しい思い出や面白かった記憶は簡単になくなってしまうので、未来の自分が振り返った時、
「あ、そういえばこの時は面白かった」
「忘れちゃってたけどこれは楽しかった」
なんて思ってくれるように、自分自身へ宛てて書くハッピーの貯金です。


ここ最近で心が動いた作品と感想

を書こうと思う

【 君たちはどう生きるか 】 宮崎駿

面白かった。
鑑賞後、まずそう思った。
SNSでウッカリ見てしまった先に見た人の感想では、”なんだかよくわからなかった”という意見が多かったから、抽象的で遠回りし、学術用語とオリジナルの羅列でよくわからなかったシン・エヴァンゲリオンのような映画なのかと予想していた。
しかし、実際見てみると、登場人物や場所、世界や生物が、いかにも何か人間や哲学的なモチーフを持っていそうな出し方をされていたが、メイン筋のストーリーとしては、「意気消沈の主人公が摩訶不思議世界に迷い込んでしまい、その世界で現実の世界にも通ずる心の変化を経験する」といった王道過ぎるくらい王道の物語だった。
何かを読み取り、意味を深く考察することは普段からしない私だけど、それでも面白かった。
勿論、意味を考察できるところはあると思う。
・墓所と呼ばれた謎の門
・生まれる前の命
・命の意味を失った老いたペリカン
・継母の寝室にある信仰されている大岩
しかし、それらをおいて私が感慨深く思ってしまったのはラスト1分ほどで ”ヒミ” のセリフである。

物語終盤で摩訶不思議世界は崩壊し、主人公たちは脱出を目指す。
現実での時間軸に関係なく出会うことのできるこの世界で、現実では死んでしまった母親の若いころの姿であるヒミに会ったマヒトは壊れゆく世界から現実へ戻ろうとしながら、それでも直前でヒミを引き留めようとする。
ヒミは過去の母親であるため、現実へ戻ればマヒトの母親と同じ運命をたどることになる。すなわち病院の火災で亡くなってしまうからだ。
しかしヒミは戻るという。なぜと問うマヒトにヒミは「あなたを産むことができるから」と説いた。
このセリフから感じた母親から深く愛されていたという事実は、マヒトにとって ”存在への許し” になったのだと思う。
物語序盤で病院を目前にしながら母親を亡くし、無力感と喪失感で打ちのめされ、信用すべき父親はその後亡くなった母の妹と結婚し自分には新しい学校へ通えという。
傷跡が残るほどの自傷をしてまで外界と関わることを拒否したのは、そんな流れから厭世的になってしまったためだと私は考える。
この世界で自分だけが時計を進められていない、進めることで母親を否定してしまう気がしてそもそもそれを望んでいない。
そんなマヒトに対する許しとは、やはり ”母親の死を受け入れる” ということだったのだろう。
喪失感は消えないまま、受け入れることで世界は回っていく。
そのことの象徴として、母親の死を想起させる ”戦時中の東京” から ”戦争が終わった東京” へ帰るのだ。
この映画を見て感想を話した中に、もう終わり?と感じたというものがあった。
たしかに現実世界へ戻った後のシーンはかなり短い。
戦争が終わって少し時間が経ったというモノローグのあとは、東京へ帰る日にマヒトを呼ぶ継母の声とそれに返事を返すマヒトしか描写されない。
このことも、やはり世界が回りだしたことの表現だと思うのだ。
あの後、マヒトは学校に通いだしたかもしれない。継母に心を開いたかもしれない。逆にそれらはなかったかもしれない。
しかし、それはマヒトの世界が回りだした結果としてどの形でも納得できるのだ。

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