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Queen's English~記念日を祝って~

こんにちは。みみです。

今日は2021年7月13日(日本は14日ですが、イギリス時間でお願いします。日本の8時間前です)。

Queenの歴史にとっては、2つの記念日です。

まず、待ちに待ったデビューアルバム「Queen」の発売日。1973年から48年目です。

その後、ボヘミアン・ラプソディ収録の「オペラ座の夜」でイギリスで初めて1位になってから何年もたち、その後もアメリカや世界中で次々とアルバムが大ヒットするものの、1985年くらいになると人気が低迷してきていました。原因は、これだけ長くやっていたらそうなるでしょうというものから、ソロ問題、ロックそのものの衰退、サン・シティ問題などいろいろあったと思います。そんな中、ライブエイドで復活を果たした日にもなります。ライブエイドからは36年目です。

どちらも12の倍数で、なにか縁を感じます。

初めてQueenが生まれた日と、復活した日が同じと考えると感慨深いです。


今回は、記念日を祝って、フレディを中心にQueen結成とライブエイドのお話をします。ライブ・エイド関連では、フレディの最後の恋人ともいわれる、ジム・ハットンさんについても多少触れます。彼は享年60歳なので、12つながりということにしてください。


まず、遡ると、バンドメンバーでは、フレディが一番最初に生まれます。

1946年9月5日、存命なら父親よりも年上です。

小さい頃から可愛くて利発だったようです。期待をかけられて、8歳で異国の遠い寄宿舎に送られ、(恐らく)ひどい目にあり、あるいは寂しくて枕を濡らした夜が続いたことでしょう。親を恨んでいたかもしれません。

期待に添えようと頑張って、勉学で優秀賞をとったこともあったようです。

しかし、高校の時落ちこぼれます。

彼の得意なのは、スポーツと美術でした。卓球でチャンピオンになったり、クリケットやホッケーやボクシングが得意だったそうです。絵もピアノもかなり上手でした。そして、演劇ではいつも主役(女の子の役)でした。ボーイズバンドも組み(ピアニスト)、特に女の子たちに人気でした。

そして、実際に高校の時に退学させられたかなんかで、両親の住む現タンザニアのザンジバル島に戻ります。ボラプの「こんなところでなくちゃ!」の心境かもしれません。

ザンジバル島で革命がおこり、支配者層のアラブ人が虐殺され始めると、フレディは再びインドに戻りたくなかったのでしょう。父の雇われている政府のある国、イギリス行きを提案します。インドの司法制度はひどいとのことでした。

ロンドンでは、父親は支配者層からレジ打ちみたいな仕事になり、母は召使のいない空港近くの小さな家を切り盛りしなくてはいけなくなります。

家族にひどい思いをさせてまで17歳のフレディはロンドンにやってきます。妹は10歳、寒いと言っています。

そして、イギリスの高校を出て、美術の専門学校に通い、優秀な成績で卒業。その後美術系のカレッジに進みます。

弁護士や医者、せめてちゃんとした仕事に就いてほしいという期待を裏切り、芸術の道を選びます。ファッションコースはあわず、グラフィックデザインのコースをとりますが、イラスト業界への興味を失います。しかし美術学校を出てミュージシャンになったり、この学校を出てアート業界で有名になった人はたくさんいました。

この学校で運命の出会い、ティム・スタッフェルに出会います。すでに高校の時の学友ブライアンとバンドを組んでいたティムはボーカル兼ベースでした。フレディとティムは教室の後ろでハモっていたそうです。当時はコーラスはダサいと思われていたそうで、変わった二人だったそうです。

そしていつだか「スマイル」を結成し、ロジャーが入り、スマイルのリハーサルにティムに連れられフレディも行ったりしました。

そこからQueenの物語は始まります。


そして、ティムの脱退でフレディが加入し、1970年にQueenを結成し、翌年2月にジョンが加入し、最終形態となります。

このバンドはフレディの亡くなるまで20年続きます。


なかなかデビューできなかったり、人気が出ても音楽評論家やメディアに酷評されたり、アルバム「オペラ座の夜」がイギリスで1位になっても、レコード会社かなんかに多額の借金があったり、いろいろと紆余曲折があったようです。

そのたびに4人で乗り越えてきて、さらに進化していきます。(書籍「孤独な道化」やいろいろな雑誌などに載っている初期のお話は心躍ります。以下後述)

かわいらしい容姿を強調しながら、冷静なビジネスマンだった4人。

音楽的才能とワードセンス、自己プロデュースなどを行います。

そして人気とともに、求められる形に変貌を遂げていきます。

紳士然とした雰囲気から、大物ロックスターになり、ワイルドになって、最終的にはフレディのひげが象徴するように方向性が初期とは全く変わっていきます。

本当は方向性は同じ、「音楽で、いつの時代の先端を」、だったかもしれませんが、ビジュアルの力は強く、フレディはデビュー当時とは別人に見えます。

何人もの女性ファンが離れたことでしょう。

また、男性ファンが堂々とクイーン好きを公言できるようになったかもしれません。

ひげの少し前から、マイケル・ジャクソンはフレディやクイーンのライブのファンでした。ちなみにマイケルはフレディの12歳年下です。(しかし芸歴はフレディより長いそうです。フレディは、昔から「ジャクソン5」の幼いマイケルの才能に気づいていました。)

他にものちの映画監督やアーティストなどにも、クイーンファンがたくさんいます。

そして、栄枯盛衰のことわりの通り、時が経つうちに人気が低迷していきました。(若いマイケルは1982年の「スリラー」以降大人気になっていました。)

フレディも、もともとの私生活のシャイで内向的かつフレンドリーで優しくかわいらしい性格は変わらないようですが、ゲイクラブをうろついたり、ワイルドな生活もしていたようです。

1985年もドイツで暮らして、刹那的な生き方だったようです。

そして、フレディは、週末帰宅したロンドンでジム・ハットンに目を付けます。

偶然か必然か、二人は何度か出会います。

ジムと付き合い始めて、数カ月でライブ・エイドがあり、ジムは初めてロックコンサートに行きます。ロックなど芸能関係に疎いそうです。

そして、初めて恋人がライブで豹変する姿を、復活したQueenの姿を目の当たりにします。


私はジムさんがライブエイドでの復活に少しは寄与している気がします。

フレディは恋愛状態になると仕事がはかどるそうです。


今までフレディの恋人は長続きしませんでしたが、この関係はフレディの死まで6年ほど続きました。癒しだったそうです。

確かに、ジムさんは一般ピープルであり、移民であり、フレディの犠牲になってしまったという見方もできるかもしれませんが、二人の関係は人生の短さや時間を超えた関係だったと思います。

そして、フレディの死期が迫っていなかったら、また喧嘩別れしていたかもしれません。

しかし、全体的にみると、フレディはずっと探してきた、いわゆる結婚相手としての”Somebody to love”に初めて出会い、本当に結婚はしていないものの、いわゆる夫婦がどんなものか味わえたと思います。

夫(または妻)は、フレディにとって、その他大勢の友達と同格だったかもしれませんが、どこか心の安定になったはずです。夫婦の絆です。


ジムさんに出会ってから、エイズおよび死期が近いことが発覚したらしい(真相は不明)です。でも出会ってからは、ライブエイドでQueenが復活し、アルバムを作り、ラストコンサートに何十万人と人が押し寄せ(当時はラストとは誰も知らない)、大好きという日本に一緒にショッピングに行き、ソロシングルとビデオがヒットし、敬愛する世界的オペラ歌手とオペラを作ったり。エイズ発覚後も、そのアルバムの曲がバルセロナオリンピックの歌になってスペイン国王に会ったり、スペイン国家が予算を出してくれた誕生パーティーも含め豪華なパーティーを相変わらず開いたり、幅広い友達と楽しんだり、ロンドンの自宅や色んな美しい国で最後の穏やかな生活を送ったり、幸せだったようです。発覚後にライブはなかったものの、Queenのアルバムも2つもだして、ファンを喜ばせました。

このように、フレディは間に合ったようです。もちろん、順風満帆な夫婦生活および音楽生活だったわけではありませんが、人生をいっぱいに生き切ったことは確かです。

この記念すべき日に、フレディの人生を振り返ってみました。

ちなみに参考にした本や情報は、

#"The Show Must GoOn" by Rick Sky 2001 フレディー・マーキュリー 華やかな孤独

#"Freddie Mercury The Definitive Biography" by Lesley-Ann Jones 2011 フレディ・マーキュリー 孤独な道化

#"Mercury And Me" by Jim Hutton 1994 フレディ・マーキュリーと私

その他、日本のML誌(ミュージックライフ)のボラプ映画特別誌、ハリー・ドハティのオフィシャルヒストリーブック、QueenTheGreatestのYoutubeチャンネル、その他いろいろなど。

どれも矛盾してたり、フレディやほかの人もうそを言っていることもあるので、何が真実かはわかりませんが、私が真実っぽいなと思ったところをまとめています。

ありがとうございました。


全く英語っぽくないので、YouTube動画の宣伝をします。

QueenThe Greatest(クイーン・ザ・グレイテスト)は、QueenのオフィシャルなYouTubeチャンネルで、毎週Queenの歴史を5分程度配信しています。字幕もあったりなかったり、英語の勉強になります。

ほか、Matthew’s fam(ily, gang)のQueen reaction video(リアクション動画)も面白いです。字幕はありませんが、初めてQueenの曲を聞いたマシューさんのリアクションは国を超えているのがよくわかります。ちゃんと驚くべきところに驚いたり、正直なので、英語がわからなくても見てて楽しいです。発音もはっきりしたアメリカ英語で、わかりやすい英語を繰り返し言ってくれます。どちらかというと批評より感性派です。まずは1回目のボラプがおすすめです。Queen関連は80本くらいあります。

ではおやすみなさい。

Sweet dreams, everybody!









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