ボヘミアン・ラプソディ和訳・深掘り⑤バラード4/4
フレディ・マーキュリー作詩の楽曲ボラプの和訳の続きです。
前回は、バラードパートのうち、2番の前半を深堀りました。
今回は、2番の後半。いよいよバラードパートの最後です。
今回は残りの部分を訳した後、バラードパートの総括と、前回言っていた私の妄想についても語ります。
"Bohemian Rhapsody"
Written by Freddie Mercury
~バラードの2番~
Too late, my time has come,
Sends shivers down my spine-
Body's aching all the time,
Goodbye everybody-I've got to go-
Gotta leave you all behind and face the truth-
Mama, ooo- (Anyway the wind blows)
I don't want to die-
I sometimes wish I'd never been born at all-
今回は、最後の、この太字の部分の解説をします。
②-C
Mama, ooo- (Anyway the wind blows)
I don't want to die-
I sometimes wish I'd never been born at all-
訳は、
ママ、ああ。(どっちにしろ、風は吹く)
死にたくない、
時々こう願うよ、「生まれてこなきゃよかった」って!
です。
()はレコードのコーラスとしてこう聞こえるので書いているだけで、歌詞カードにはありません。
この部分はバラードの最後だけあって、一番盛り上がるところです。
①-Cと同じ構成ですが、1番よりは短くなっています。
I don't want to die-
は、①-Cの
Didn't mean to make you cry-
と、dieとcry(ダィ、クラィ)で韻を踏みます[ai]。
「死にたくない」とあるので、ようやく前回の謎が解けました。
主人公が向き合う「真実」(の一つ)は、「死に向かっていること」です。
「死にたくない」=もうすぐ死ぬことになっている。
だから、さよならみんな、であり、もう行かなくちゃであり、みんなを置いていくのです。ただ、すぐに死ぬというわけではなさそうで、みんなのもとを去ってから、真実に向き合ってから死に向かっていくみたいです。
しかし、「ママ、死にたくない」は胸をえぐるセリフです。
「死にたくない」と、「ママ」という言葉とのコラボだと生々しさが増します。人間、予期せず死ぬときになると、心の中で、「お母さん、助けて」となりそうです。悲壮感、絶望感が強調されます。
とはいえ、殺人を犯してはいるので、場合によっては当然の報いともいえる感じも否めません。
あとは、直前にクッション材のように、(Anyway the wind blows)が後ろで聞こえます。死が迫る、という人生における一大事の場面の直前において、「風任せ」、みたいなセリフが浮かび、緊張を緩ませます。
つぎが絶唱。
I sometimes wish I'd never been born at all-
何度も言うように、ここが一番盛り上がるところです。そして、余韻を残しつつ、次のギターソロに引き継がれます。
このセリフは、最も言いたいことではないか。
「死にたくない」、の流れで、「死ぬ苦しみを味わうくらいなら生まれてこなければよかった」、という理論はもっともなことで、あまり不自然には思いません。
しかし、ママに言っているのがポイントです(2番はこれまでママは出てきませんでしたが、急にここで出てきます)。
生んだママに向かって、「生まれてこなければよかった」、は、痛烈な批判です。
そう時々願う、とは濁していますが。
ママが自分を生み、期待されて育ち、その人生を裏切って、いかにも離れがたい感じでお別れを告げ、一人で(?)最期を迎えようとしています。
生まれてこなければ、期待もされなかったし、こんな別れもなかったし、愛し愛されるが故の苦しみを皮肉をこめて訴えているようです。
つまり、殺人に気をとらせておいて、実はママへの執着の歌だった、という考えが浮かびます。
1番でも、一番盛り上がるところは、殺人場面ではなく、期待された「人生を投げ出してしまった」だし、最後は自分がいなくなった後のママの生活を気にして、「何も起こっていないかのように」ふるまってほしいといいます。
2番は、自分がもうすぐ死にそうな感じをほのめかしつつ、みんなの前から消える宣言をし、最後は「ママ。産んでくれなかった方が(お互い)よかったかも」で絶唱します。
これは、私の仮定の一つであり、本当の意味はだれにもわかりません。
聴く人の個人的に持つ問題点に当てはまるかもしれません。
私は現時点では、これは母の歌と結論づけました。
マザコンと笑う人がいるかもしれない。しかし、親問題は笑えません。欧米やその他の国でも、同性愛者や性的倒錯者などがこんなに増えたのもこういった、親世代との価値観の違いも原因の一つにあるのかもしれません。
こうして、「生まれてこなきゃ~」で盛り上がった後に、ギターソロに入ります。
このギターも実は歌の一つで、泣いている様子や哀れな感じ、悲しみなどを表している感じです。そして変調して、オペラパートに移ります。
今回の部分をまとめます。
主人公は死に向かっているようです。そして、「生まれてこなきゃよかった」で絶唱します。
韻は、1番と2番をまたいで、cryとdieで踏んでいます。
バラードパート全てをまとめると、
Mama, just killed a man,
Put a gun against his head,
Pulled my trigger, now he's dead,
Mama, life had just begun,
But now I've gone and thrown it all away-
Mama, ooo,
Didn't mean to make you cry-
If I'm not back again this time tomorrow-
Carry on, carry on, as if nothing really matters-
Too late, my time has come,
Sends shivers down my spine-
Body's aching all the time,
Goodbye everybody-I've got to go-
Gotta leave you all behind and face the truth-
Mama, ooo- (Anyway the wind blows)
I don't want to die-
I sometimes wish I'd never been born at all-
1番:
母へ穏やかな殺人告白→人生を投げ捨ててごめん!→「失望させるつもりはなかった」、「今日でお別れかも」、「二度と会えなくてもママには今まで通り続けて欲しい」
2番:
母のもとを離れた様子。
ついに自分の時間が来てしまった→体も異常事態→みんなへ「さよなら」→真実に向き合うため一人(?)旅立つ。
「ママ。死にたくない、どうして僕を生んだの!?」→悲愴感のあるドラマチックなギターソロ。
このように、バラードでは、少年が殺人を犯したのち旅立つ様子が、ママに語りかける口調で描かれます。
一番最初のコーラス部分は、これから始まる物語のサマリーであり、謎だらけでしたが、何が土砂崩れか、現実とはなにか、どうしてウツっぽいのか、少しわかった気がします。
それでは、バラードパートの深掘りは、いったんこれで終了します。
次に、前回言っていた、私の妄想についてです。
前回の部分はかなりセンセーショナルな部分であり、いろいろな妄想が掻き立てられます。
この部分の考察もぜひしておきたいです。
前回のバラードの2番前半に戻ります。
②-A,B
Too late, my time has come,
Sends shivers down my spine-
Body's aching all the time,
Goodbye everybody-I've got to go-
Gotta leave you all behind and face the truth-
カンマ(,)の位置に注目したときに、
「遅すぎる、僕の時間が来た、背中に恐怖(または興奮)が走る。
「体はいつも痛む、さよならみんな。行かなくちゃ。
というセリフの区切り方を重視して考察します。(震えと痛みは別の文ということ。)
実は、実際のフレディがよく思うことではないか?
と思ったのです。
ライブ直前、もう出番が来てしまった、背筋は恐怖と興奮が入り混じって震える。
ライブでは馬車馬のように働くので、体は筋肉痛と酷使でいつも痛んでいる。
そのうち、浮かぶ考え。もうやめたい。
しかし、ライブに出ていると「生」を実感できる。
その動きをもうしなくてもよくなっても、観客が喜ぶし(愛されたい)、演奏してくれている仲間を鼓舞するため、最高のショーを作り上げるために、薬の力を借りてでもダンスをやる。せっかく作った完璧な音楽もどんどん宣伝しなくてはいけない。
オフ・ステージでも常にプレッシャーに追われ、ストレス発散で酒や女(男)、ドラッグなど無茶苦茶な行動もする。
ついには、体を壊したり、死に向かったり、さよならみなさん、の時が来て、もう人気がない、もう若くない、魅力的でない、という真実に向き合う。「死にたくない」、とは文字通りだけでなく、人気がなくなり、今まで作ったショーや名作が忘れ去られることも含むのではないか。
または、
「自分の時代」が来てしまった、という予言。この曲「ボラプ」は成功間違いなし(というか、売れなかったら借金があるのでバンドは解散)。
背筋はいろんな意味でゾクゾクし、人気者になるので、求められるがままに舞台に出ては、今以上に体を酷使する。ヒットするたびに次を期待され、もっと頑張らなきゃいけなくなる。
ついには、体がおかしくなり、結局さよならみんな、という幕引きが訪れる。以下同文。
という妄想です。
このように、実際に今起こっていることも織り交ぜられているのではないか。
この曲は、かなり苦労して時間もかけ音を作り上げた。自信は充分。自分の音楽的天才性と声の使い方を最大限に生かし、詩にもワードセンスや現在の世相を反映した(一つ前のクイーンのヒット作「キラー・クイーン」でフレディは優れた歌詞に送られるアイヴァー・ノヴェロ賞をとっている。ボラプものちに受賞する)。仲間の演奏もバックコーラスも最高級。確実に名作になる、センセーションを起こす。
そう思いつつ、その栄光の先の悲劇まで予想してしまう。実際がデビューが遅かったので、あまり若くない。
フレディならありえそうだ。
あまりに視えすぎて、ウツになりそうなのではないか。
あとは、予言といえば、フレディの急逝も何となく思い浮かぶ。
私はフレディが亡くなって20年くらいしてからこの曲を聞いたが、彼の死にどうしても結びつけて考えてしまう。
エイズ(AIDS)だ。
このくだりは、彼の死に際を表しているような気がしてしまうし、多くの人も同じではないか?
亡くなる16年前に作られた曲ではあるのに、予言しているようだ。またはこのように生きると決めたのか。
特に、「もう遅い、僕の時間が来た、背中に悪寒、体中が痛い、」
は、病気の末期のよう。
みんなとお別れをして、「真実に向き合う」は、
引退をして、エイズをもたらした無茶苦茶な行動の結果に向き合うこと。
実際、死に際に彼は一部の人以外と交友を絶ったらしい。死ぬ前に一人になるのは猫を連想させる。
生まれてきたことを後悔するくらい、死が怖い。
セリフがとても生々しい。実際、享年45歳はまだ若い。
「始まったばかりの人生を投げ出した」も当てはまる。
さらに、「殺人」とは、エイズで間接的に殺害した人たちともいえる。この病気は当時はまだ謎であり、だれが悪いというのはないが。
このように、想像ではあるが、ただ単なる少年の物語ではなく、とても個人的な歌のように思えるのだ。時空を超え、霊的な感じがする。
ここまで個人的苦悩を歌ったからこそ、人々の胸に響くのかもしれない。
ただし、夫ともいわれるジム・ハットンさんの本などを読むと、彼の実際の死に際は穏やかで、少し若いとはいえ幸せだったのではないかといわれています。辛いことも多かったようですが、普通の人が経験できないことを何度も体験しています。
私の妄想は以上です。
しかし、このバラードパートは問題の大きなところなので、先に進んでからも蒸し返したいと思います。
長々とお付き合い、ありがとうございました。
次はいよいよオペラティック・セクション。
よろしくお願いします。
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