第3回森の道整備~みんなの道をつなぐ活動~
第3回の活動は「みんなの道をつなぐ」と題しまして、2024年7月25日~26日の2日間実施しました。
道をつなぐ— 野鳥の森を目指して
こんにちは。高田造園設計事務所スタッフの堀越侑莉奈です。今回は少人数精鋭ということで、3人で道をつないでまいりました。目指すは野鳥の森のピクニック広場。縄文小屋をスタート地点に約300mの道のりです。道は繋がっていると聞いていたけれど…。加えて、第1回目に行った道の整備も行いました。
立ちはだかるカラスウリモンスターと篠竹の壁…
縄文小屋から野鳥の森に向かう入り口から少し進んだところ、開けた空間ではありますが、樹々は生えておらず、他の環境に比べて藪化が広がっていました。空気は止まり、蒸し暑く、まるで灼熱のサウナのよう。かつてこの場所を何かに利用しようとしていたのか、あまりのほかの森の環境との違いに驚きながら、足を先に進めていきます。
かつての営みに想いを馳せる
藪を抜けるとひとたび別世界が広がる。かつての人々が使ってきたのであろう道を前にして、昔の人々の営みに想いを馳せる。道の山側はところどころ小高い台地になっているところがあり、谷側は開けて、猪のぬたばになっていたり。先を進んでいたメンバーの一人が立ち止まる。
「この台地には家があったんじゃないかな」「境界木みたいに木が並んでいるね」「下では田んぼをしていたかもね」
地形の名残が私たちに土地の記憶を思い起こさせる。それは想像でしかないかもしれないけれど、そんなことを思いながら、草を刈る。
いのしし先生に学ぶ
道を進んでいくとそこかしこに、いのししが掘った穴や溝があります。普通の人に見たら、きっと、「またいのししに道を荒らされた」と思うかもしれません。でも、私たちの反応はというと…「おおおお!こんなところに見事な穴が!」「こっちみて、絶妙なところに溝が!しかも直角に段が切られている!」と興奮鳴りやまず。
というのも、私たちは環境の整備をするときに水の流れや浸透状況を観察します。生き生きとした自然環境では必ず、水は滞ることなく、大地に浸みこみ、川に向かって動いていきます。その水の動きが滞っていたり、どこかで遮断されていたりすると、先ほどの篠竹の藪のようになっていきます。人の身体もどこか縛ってしばらくすると皮膚は紫色になってほおっておくと壊死してしまうように、森に降り注いだ雨水はまるで人の血液のように大地を巡っています。
その水の滞りを解消することがあたかも彼らの役割のようにいのししたちはポイントポイントを定めて掘っているのです。いのししはかならず、藪がひどいところ、水が滞っているところに水が抜けるような穴や溝をほっています。私たちはその穴に杭を打ち、水が大地により浸透するようにしたり、燻炭を撒いて菌糸を呼び込み、穴が浸透孔として機能しやすいようにしたり、いのしし先生のお仕事のお手伝いをさせていただくのです。
いのししの仕事をこんなに感激してしまうのは日本では私たちくらいかもしれません。
野鳥の森までの道のり
野生に帰りつつある道と対話する。
この2日間、道の名残を追いかけて、藪を払い、蔓を引っ張り、倒木をさばいたりしてきた中で、感じたことは、「道も生きものみたいだな、それも人に近しい生きものだな」ということでした。人が通るために森を開いてつくられた道。かつては毎日誰かがその道を通っていたことでしょう。
つくられた道の中でも草は生えていきますが、よく人が歩く、踏みしめられた地面からは草は旺盛に生えてくることはなかったでしょう。メンバーの一人が言いました「きっと、道の中に道があったんじゃないか。人が歩くところが道になって、そこをほかの人も歩いていたんじゃないかな」
道の中に自然とできていく道。そうして道は道の姿をとどめ、道行く人を導いていたことと思います。草と人の道とお互い場所を譲り合いながら、道はあったように思います。不思議なことに、人が暮らしを営んでいたであろう気配の残る周辺の道は、穏やかで優しい道の姿が残されていました。けれど、少し入り組んだ道やその道の上部で何か開発のような暮らしとは異なる造作が行われているところは、イバラがはびこっていたり、倒木があったり、大量の蚊が襲ってきたり、人の侵入を拒むような道へと変貌していました。
人に忘れられた道は道であることをやめて森に還ろうとします。道の名残こそ残しながら、近寄りがたい鬱蒼とした藪になって、いのししたちの楽園になっていきます。ところが、私たちが道に入り、手をいれていくと、景色が変わると同時にもっと大きな何かが変わったように思いました。何が変わったのか考えながら、帰りしなに道を振り返ったとき、ふと道の表情が変わったということに気がつきました。道はかつて道であったことを思いだしたかのように表情を変えていたのでした。それは穏やかでどこかほっとするような優しい雰囲気に満ちたものでした。野生に還ろうとしていた道は私たちという人と出会い、今一度人と向き合ってくれたように思います。
そんな道を歩くことで、私たち人も何か大切なものを思い出していくようです。現に私たちも道整備を進める中で沢山の気づきを与えていただきました。
大神宮の道はまだまだ奥深く、葉脈のように広がっています。その道一つ一つにたくさんの記憶が刻まれていることでしょう。道を繋げていきながら、道との対話も楽しみつつ、今後も道をつなぐ活動は続いていきます。