第6回森の道整備活動~安房大神宮の森 境界尾根へ~
こんにちは。2024年10月31日に安房大神宮の森の道整備活動を行いました。
館山市と南房総市の境界にあたる尾根に至る周回路を今回開通することができました。高田造園代表の高田宏臣がお届けします。
以下、2024年11月2日 高田宏臣オフィシャルウェブサイトより転載
安房大神宮の森 境界尾根へ 10月31日整備作業報告
10月31日、今月は1日だけとなりましたが、月例の大神宮の森道の整備に入りました。
今回の整備箇所は、前回踏み跡をつけた中世の土葬墓跡と思われる尾根を登り切った先、大神宮の森の主脈となる尾根筋で、この尾根が館山市と南房総市の境界にあたります。
赤い線の部分になります。8月の整備の際に2本の谷筋の古道から境界尾根に至り周回路を通そうとしながらもかなりの難所で通せなかった個所を今回、開通することができました。
境界尾根に至る明るい尾根は古い時代に平坦に整備された箇所が幾段も連なります。
ここはおそらく、中世の土葬墓跡だった可能性が高いと考えます。中世の日本では、埋める墓(埋め墓)と石碑を据えてお詣りする墓(詣り墓)とを別々に設けていたケースがよく見られます。埋め墓は基本的に、集落水源上部の尾根筋に設けられ、そして詣り墓は集落裏山の麓など、住まいに近くお詣りしやすい山のたもとに設けられます。
ここ土葬墓跡と思われる尾根筋の平坦地の南側山の麓には集落墓地が今も残り、それは中世の詣り墓の名残である可能性が感じられます。その場合、配置的にこの尾根筋の平坦地は古い土葬墓跡である可能性が高いと考えるのです。
東日本大震災後、地元でも長らく放置されてきたこの尾根にまで、再び直下布良の集落の人がこの尾根筋の平地まで上る道をつけたと聞きました。この尾根筋に心地よい平坦地があることは地元の人たちは知っており、そこを津波などの災害時の避難場所とするために、ふもとから山道を再び整備したと、地元をよく知る古老に聞きました。ここで土葬が行われていた場合、それは中世にまでさかのぼるものであって、今はその記憶も伝承も聞かれません。
尾根筋の平地は忘れられた先人の営みを今に伝えます。
境界尾根から白浜・根本の海辺の集落が見えます。大神宮の森の中に点在していた棚田はもともと、海の民であったこの集落の方々のものであることが多く、海の恵みの源である山を守りつつ、山間に棚田を開き、水場を守り育み、海と山とのつながりを意識しながら暮らしてきたことでしょう。先人の名残が色濃く残るこの山を歩いていると、かつての人たちがみていた世界が垣間見えるようです。
うっそうとした樹林に囲まれた広い尾根筋に幾重もの 枝尾根が分岐し、方向感覚が失われ、たびたび道を違えては方位を確認するということを繰り返しながら前進します。標高100mにも満たないというのに、大神宮の森の驚くほどの奥深さを感じます。
岩場の尾根筋の直下をトラバースするように昔の道の名残の地形が見えます。数百年の地震や風雨を乗り越えて残る道跡のラインに学び、尊重し、そして獣と人がともに通るその道のラインに忠実に、道として再生していきます。地形を読み、そしてこの土地や先人と心を合わせて初めて見えてくるものがあります。
尾根筋すぐ下に、明らかに人の手による石積みがあります急峻な尾根筋になぜ、こんなところに石を積んだのか、おそらくそれは人の往来から斜面を守り、土砂留めとして尾根を守り、尾根筋の岩場が乾くことのないように、保つためのもの。こうした人の造作もまた、先人の道を忠実にたどることで発見することができます。
尾根の上の岩場をあまり踏み荒らすことのないようにその直下に巻き道をつけます。獣たちもまたこうしたところを歩くもので、かすかな獣道を人も歩けるようにわずかに開いていきます。
今回は難所であるうえにたった一日の作業となり、新たに開通した距離は約200m程度。しかしながら、こうして険しい尾根に道を通すことで再びここに人の往来が生まれることを想像しながら、またすぐにでも整備に入りたいという思いに駆られます。境界尾根の山道を来春までに開通させ、山越えのかつての生活の道をここに復活させていきます。
お越しくださった方々、作業に参加くださった方々、大変お疲れさまでした!