緑の土管をつくった人たち
私はいま、栃木県真岡市に住んでいる。いちごの生産量日本一で、いちご王国栃木の首都を名乗っているまちだ。強そうである。だけど私は失礼ながら、住むまでこのまちの名前を知らなかった(ごめんなさい)。
ここに住もうと決めたのは、妊娠がわかり、子育てと仕事を両立できそうと感じたことが大きかった。ただ、住む場所も仕事の内容もなんでもよかった訳じゃない。真岡にしようと思ったきっかけの、緑の土管の話を残しておきたいと思う。
*
2年と少し前、私は東京のベンチャーで働いていた。福島出身の私は、一度は自分の力で東京に住んでみたい、という地方出身者の憧れみたいなものを持っていた。そこに住んで戦ってみないといけないような気がしていたのだ。仕事を通して本当にいろいろなことを学ばせてもらった。社会人のマナーみたいなものもそうだし、いろいろな人と出会い、人生の話を聞く中で自分の人生に返ってくる気づきがたくさんあった。魅力的な人がたくさんいて、社会に出ても熱量を持って生きていけることを知った。
できたことは少しかもしれないけれど、自分的には一人で戦ったなと思う。自分の力で東京に住むことができると知った。すると私は、もう少し何もないところに住みたいかもしれない、と思うようになった。
電車に乗るのだけは苦痛だったが、東京の迷路のような地下鉄の通路や、駅ごとに表情を変えるまちを歩いたり、美味しいものや美しいもの、楽しいものがある場所に行ったりするのは好きだった。でも、東京にはもう全てが「ある」ような気がしていた。誰かが多大なエネルギーを費やしてつくった何かで埋め尽くされていて、どこを歩いていてもコンテンツでいっぱいだった。新しい店、店、店。たまに現れる何もない場所も、そこに何もなくなることを計算して作られた「何もない場所」というコンテンツなのだった。どの場所にも目的があった。そのことにたまに疲れた。
田舎で育った私は、何もない空間があるのが当たり前だった。何もないというか、人の意図が介在しない空間といった方が正しいかもしれない。ただ植物が生えているだけ、ただ木々が立っているだけ。それは自然があるということだった。小さい頃は整備されていないように感じて嫌だったけれど、ぎゅうぎゅうに人の意図が詰め込まれた場所にいると、あの空間が懐かしくなった。
素直に、もう少し何もないところに住みたいと思えるようになった。自分で選べるようになった、ということが大事だったのだと思う。
ちょうど仕事の限界も感じて、なんとなく次の仕事を探していたところ、地域おこし協力隊の募集が目に飛び込んできた。それがここ、真岡市の募集だったというわけなのだ。要件が魅力的だったので、まず担当の方に会いに行ってみた。
その日は地域のコミュニティセンターでイベントが開かれているということで、会場に足を運んだ。電車を乗り継いで駅から歩いていくと、会場近くになると目に見えて人が増え、イベントの盛り上がりが感じられた。会場には青空図書館やドッグランが設置され、キッチンカーが出ていて、来場者が芝生でくつろいでいた。一際目を引いたのは会場に置かれた緑の土管である。遊具?それにしてはあまりにも土管である。子供が中に入ったり上に登ったりして遊んでいる。担当者の方に聞いてみた。返ってきたのはシンプルな答えだった。
「つくったんです」
まちづくり組織のメンバーと、このコミュニティセンターをどう盛り上げるか考えていたところ、あの有名ゲームのマリ○みたいな土管があったら面白いね、という話になったらしい。するとメンバーの建設会社の社長さんがどこからか土管をもらってきてくれて、それをみんなで緑に塗ったという。
市の管理する施設に、緑の土管。
一見すると、芝生の上に緑の土管が置いてあるだけだ。でも、これまでいろいろな取材で聞いたことから想像すると、市の管理する施設に、民間で手作りしたこの土管を置くことの難しさがなんとなく察せられた。
管理は誰がするの?
維持費は?
安全性は?
誰か怪我をしたら?
ちょっと想像するだけで、N Oと言われそうな状況がどんどん浮かぶ。実際にいろいろあったらしい。「面白いから」と始めるのは簡単そうに見えるけれど、それを貫徹するのはどれだけ面倒で難しかっただろう。それでも、この人たちは緑の土管をつくったのだなと思った。面白そうだから。みんな楽しんでくれるだろうから。
子どもたちは、緑の土管に登ったり隠れたりして遊び、ゲームの主人公よろしくポーズをとってはしゃいでいる。
その景色がとても眩しく感じられた。
協力隊になると、この土管をつくった人たちと関わりながら仕事をすることになるという。まだうまく想像はできなかったが、その時の私はなんだか楽しそうだなと思い、あ、私ここに住むかもしれない、と直感した。
*
私の人生は、いろいろ考えているつもりだけれども、決断するときはいつも直感とタイミングだ。そんなわけで、夫とお腹の中の子どもと一緒に真岡市に引っ越してきた。それから2年。早いものである。
緑の土管をつくった人たち。あの時の皆さんは、まちづくりの組織「真岡まちづくりプロジェクト」のメンバーで、この組織は2022年にグッドデザイン賞を受賞した。私に緑の土管の話をしてくれた担当者の方は、方々から呼ばれてこのプロジェクトについて講演をしている。かっこいい大人たちだなと思う。
2年でいろいろなことがあって、私は2人の子育てにあくせくしている。初めて真岡にきたのはちょうどこの季節だったなと思い出し、忘れないうちに書いてみた。
今思い出しても、あの緑の土管はかっこよかった。私も緑の土管をつくれる人間になれるといいな、と思う。