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狸と木ノ葉①

 庭で洗濯物を干していると藪から一匹の年老いた狸が出てきた。
中肉中背の狸だ。狸に対して中肉中背というのもおかしな話かもしれないが、とにかく中肉中背と言う以外に他に何も思いつかなかった。
「あ、中肉中背の狸だ。」
と思ったわけではないが、とにかく中肉中背だった。

 狸は僕の存在にはまだ気付いていないのかゆっくりと藪から出てきて立ち止まり、なにやら遠くの方を見ていた。それは公園でお爺さんが何を見ているわけでもなくぼーっとしている様子に似ていた。

 僕が洗濯物を籠から取り出す音でようやくこちらに気付いたのか、
僕の方を見て一瞬体が硬直したと思うとすぐに走って元の出てきた藪の中へ消えていった。驚かせてしまったようだ。申し訳ないことをした。
僕がこんなところにコテージを構えてしまったばっかりに。
僕は洗濯物を干し終え、居間へ戻った。

 2年前に僕は職を辞してここに移住してきた。
たまたま一人でこのあたりに紅葉を見にきた際に、
古びたこの家を見つけた。

 南欧調の尖った屋根が気に入りすぐにオーナーに電話で問い合わせた。
随分前から空き家になっているらしく、オーナーは持っていても
維持費ばかり掛かるということで早く手放したがっていた。
なかなか買い手が見つからない期間が長く続いたため、
タダ同然の値段で売ってくれた。

 元々山奥に家を構えようとしていたため貯蓄はあったのだが、
修繕費くらいしか払っていないため、それが丸々浮いた。
僕は浮いたお金で隣接する土地を買い取り、同じようなコテージを建てた。
近くには登山道やキャンプ場もあり、山頂の方へ行けば遮蔽物もなく星空がよく見えるし、この辺には野鳥も多く存在しているらしく、バードウォッチングに来る者もいる。今はそういった時折訪れる人たちにコテージを貸し出して生計を立てている。

 しかし変わるがわるお客が来るわけでもなく、一年の半分以上は今のように暇を持て余していた。お客を呼ぶための努力をしているわけでもないから当然のことだが、ホームページの一つでも作っておくべきだったかと今更になって思っていた。今は人伝にここのことを聞いてやってきた人や、
当日泊めて欲しいとやってくる人などに対して、適当な金額でこのコテージを貸している。

 台所で昼食のパスタを茹でていると、玄関の呼び鈴がジィ、となった。
火を止め、玄関の扉を開けると僕と同じくらいの背丈の男が立っていた。
男は僕の顔を見て、
「すみません、お水もらえませんか。コップ一杯。」と
申し訳なさそうに言った。

 男は白髪混じりの癖っ毛を肩まで生やしており、その髪と同じような髭を蓄え、臙脂色エンジイロのシャツに焦茶のジャケット、グレンチェックのスラックスという格好だった。後ろには草臥れたクタビレタリュックを背負っており、よく見るとジャケットには細かい枝や枯れ葉がたくさん付いていた。

 一瞬変な間が空いてしまったが、僕は台所から言う通りコップ一杯の水を持ってきて男に渡した。男はとてもうまそうにそれを飲んだ。
「いやぁ、助かりました。山道を歩いていたら道に迷ってしまって。するとなにやらいい匂いがしたんで、藪の中を進んでいたらここに辿り着きまして。」男は僕にコップを返した。

「はあ、そうなんですか、この辺りの道はここに住んでいる僕でも迷いますからね。」僕は匂いにつられて藪へ入る中年の男を想像したが、今までに出会ったことはなかった。

「はあ、左様ですか。」
当たり障りのないやり取りをしていると、男の腹がぐうと鳴った。
ずっと履いていた長靴を脱いだ時のような音だった。

「お恥ずかしい。実は今朝から何も食べていなくて。」

「よかったら何か食べていかれますか。ちょうどパスタを茹でていたんです。隣でコテージを貸しているんですが、今日はお客もいないのでそちらで。」

「でも、それは貴方のものではないのですか?」
男は白々しさを隠しながらそう言った。

「いいんです。僕は昨日の余り物もあるので。」

 今日は平日だしどうせ誰も来ないだろうと思い、
僕は男をコテージのダイニングへ案内した。
男はジャケットについた枯れ葉や枝を丁寧に落としながら僕へ続いた。

 

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awabuk
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