見出し画像

明治の化学−中村喜一郎、昭和の化学−高原義昌

   中村喜一郎『堅牢染色法』明治22年

明治になって化学染料の使用が広まると、化学染料の使用方法が書籍によっても紹介されます。『西洋染色法』明治11年 東京府勧業課、『初学染色法』明治20年 山岡次郎、『堅牢染色法』明治22年 中村喜一郎など新しい技術の習得に熱心な様子が窺える内容になっています。化学染料と化学薬品は驚くほど早く多くの工場で使用が始まりますが、色の定着や生地の扱いなど従来使っていた天然物との変換には多くの困難がありました。これらの書籍の中には化学染料と並び、化学薬品を使い従来の藍(蒅)の新しい建て方も紹介されています。蒅(すくも)に慣れ親しんでいた職人たちもインド藍や琉球藍、台湾藍(藍靛)の出現で、灰汁に変わるポットアス(炭酸カリ)や曹達、苛性曹達の使用方法もいち早く覚えたようです。

『西洋染色法』は西洋の染色技法を齊藤實堯が翻訳した書籍です。藍の使用方法も掲載されていて「菘藍(ウォード)をもって藍玉を製する法」などの項目や、藍靛の染色法についての説明など、長い間口伝で伝えてきた藍の伝授の手続きに困惑も生まれたのではないでしょうか。『初学染色法』には藍建てに薬品を使った還元方法「硫酸鉄建」「亜鉛末建」「亜硫酸建」が説明されています。『堅牢染色法』はドイツの染料会社やヨーロッパ各国の工場を巡り染色技術を習得した中村喜一郎が、技術の向上を図るために実地で染色を行いながら研修した染色指導書なので、いま読んでも明治の染色業の発展に重要な仕事だったことがわかります。

藍及び藍染についても多くの解説をしていて、藍玉と藍靛の応用や特徴、染色方法の短所長所も論じています。中村氏は天然染料に対する知識が乏しかったので指導を請い研究したといわれますが、この時の解説から殆ど前進をみなかった戦後の藍の説明に驚愕します。「藍靛硫酸鉄建」「藍靛石灰建」「藍靛アンモニア建」「藍靛苛性曹達建」「藍玉濁建」「藍玉澄建」「藍玉亜鉛末建」の説明にはじまり藍色の染め方、青色を得るシステムは「醗酵作用によりて之を還元せしむか、もしくは親和作用によりて還元せしむかの二種の仕方に基づく」と書かれています。シンプルで明瞭な解説に膝を打つ思いがしました。
明治以降繊維素材と化学染料の出現で江戸時代まで続いた技術からの転換を成し遂げて、堅牢であり鮮やかな美しさを多くの人たちに与えてくれました。欲をいえば欧米文明を吸収した後もう少し時間があったなら、日本独自の藍の醗酵技術の解明もこの時代の人々ならできたかも知れないと、残念に思うのです。

    高原義昌•田辺脩『細菌による藍の工業的還元に関する研究

明治31年に合成藍の輸入が始まり、大正時代になると天然藍は衰退します。消滅しようとしている技術の解明や染色方法の説明も衰えていくのはわかりますが、化学染料の普及が終わると昔の染料への懐古が生まれ、僅かですが日本では天然藍が使われ続けました。転換期にインド藍(藍靛)や合成藍との折合いから、世界でも珍しい割建てという曖昧な技術を生み出し、現場は様々な情報があふれていました。同じように見える藍瓶でも、経営者の仕事の選択によって使われる染料、添加する材料が著しく異なった状態で「藍染」として存在していました。この時の曖昧な認識が、当事者の間でも過去が忘れ去れ伝授された技術が本来の藍染だと考えられました。戦後「本物」と称して藍染が注目されたときから、伝えるべき情報が現実から乖離した言葉だけの内容になって、益々混乱したように思います。

「細菌による藍の工業的還元に関する研究」高原義昌•田辺脩(1960年工業技術院発酵研究所)による論文があります。藍還元菌の生理形態の究明と醗酵建の菌学的研究です。公的機関での研究は初めてだったかもしれません。「細菌(バクテリア)による天然藍の還元、いわゆる醗酵建は有史以前から行われているにもかかわらず、その実態は全く不明で各地の染色場においては古来からの言い伝えや長い間の経験と‥‥」藍染を行っている現場の管理技術や醗酵時間の短縮など、合理化と染色生産費の低下も見据えての研究だったと思います。研究結果は有意義なこともあったかとも思いますが、残念な結果も報告されています。

「醗酵過程において細菌や酵母の関与で炭酸ガスと水素が生産されるといわれてきたが、乳酸、ピルピン酸、蟻酸、酢酸の検出による炭酸ガスの発生のみで、酪酸は検出されず水素の発生は認められなかった」と報告されました。この論文によって酪酸醗酵、乳酸醗酵による水素によって還元するという従来の説は否定されました。藍の含有糖分や麸などの澱粉の糖化作用も否定されています。現在ではどちらの説明が有力なのかははっきりしてきましたが、この時点で後藤捷一氏など従来の原理は支持を失い、結果、藍染における醗酵の仕組みが閉ざされてしまったように思います。大掛かりな機材を使って、却って醗酵のシステムを考えるうえで混乱が生じました。明治の研究者中村喜一郎は「藍玉濁建」「藍玉澄建」は灰汁を使って解説しています。そして還元の研究には「苛性曹達建」「灰汁建」との区別もしていますが、発酵研究所の試験の藍染は苛性ソーダで行っています。30数年藍染をしているだけの微弱な経験からですが、この基礎知識の違いは大変大きいことだと考えます。

                ✦✦✦✦✦

https://www.japanblue.info/about-us/書籍-阿波藍のはなし-ー藍を通して見る日本史ー/
2018年10月に『阿波藍のはなし』–藍を通して見る日本史−を発行しました。阿波において600年という永い間、藍を独占することができた理由が知りたいと思い、藍の周辺の歴史や染織技術・文化を調べはじめた資料のまとめ集です。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?