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日が暮れる部屋 /diary
外の空気に触れない日々がつづくので、昨日の雨が蒸発した匂いがして、空気が濃い。いつもは気に留めない嗅覚を意識すると眩暈にも似た感覚におそわれてまばたきが多くなる。眩しい。すこし遅れて、呼吸することの本能的なよろこびがやってくる。正午をめざす太陽がアスファルトに反射してつめたい冬のひかりが拡散している。紙パックにはいった1リットルのつめたい緑茶を買って、すぐにまた部屋にこもる。換気扇をまわす。
部屋のなかは16時半には暗くなってしまうから、わたしの生活は人工的なひかりを浴びる。すべてが平板で、単調で、心細くなりもする。ここのところ、日当たりのわるい、蛍光灯に照らされたこの部屋のなかが自分にとっての全世界だ。いたたまれない。ゆびでガラスをなぞり、自分にとっておまもりみたいになっている音楽を聴く。墓の入り口までまっすぐ見通せそうなこの平坦さとゴールまでのどうしようもない遠さを、引き摺るからだの重さを、きちんと言葉にしようと考える。諦めきれないんだ言葉を。
映画を観てなにかを感じることが自分の感情の答えあわせになっている。まだ生きてる、と思う。これを言葉にしたら、あと一日、また一日。呼吸することのよろこびを、ほそく紡ぐ。